福島、元気です!

「もう一つの福島はいらない」なんてもう言わないで

社会

「核食」という単語を見るたびに、「NO NUKES, No More Fukushima」の悲しいスローガンが思い出される。

「核食」と表現することは、被災地の傷に塩を塗る行為

「核災食品」、略して「核食」という言葉がある。この数年間、台湾のメディアを日常的に賑(にぎ)わせてきた言葉だ。これは「放射能汚染食品」を指す台湾華語だが、直訳すれば「原発事故食品」である。さらに解説を加えると、台湾が輸入制限をしている「福島および近隣県で生産された食品」という文脈で使われる表現だ。何と心無い響きなのだろう。僕はこの言葉を耳にする度に、一人の東北出身の日本人として心が痛む。この言葉は一人歩きをし、福島および近隣県からの食品はおしなべて危険という印象を台湾社会にまん延させてしまったようだ。そう言えば・・・・・・ふとデジャビュ(既視感)のように、僕の脳裏にもう一つの記憶がよみがえった。

それは、2014年3月のことだった。僕は台湾の若い音楽プロデューサーに請われ、台湾の脱原発を考える音楽イベントに、トーク&ライブの形で参加した。が、そこには自分なりの思惑があった。当時台湾では、脱原発を唱える市民や団体の多くが、「反核,不要再有下一個福島/NO NUKES, No More Fukushima(反核、もう一つの福島はいらない)」というスローガンの入った旗を掲げていた。以前、僕も訪れたことのあるカフェや民宿にも、この旗は貼られていた。だが、この「錦の御旗」には、ずっと違和感を抱いていた。原子力から自然エネルギーへの転換を目指すことは、未来の子供たちのためにも僕は大いに賛成だ。しかし、その運動を進めるに際に「No More Fukushima」と叫ぶことは、福島という地域全体にレッテルを貼り、台湾社会に福島に対する負のイメージを植え付けることになりはしないか。そのことを危惧したのだった。

そこで、僕はイベント会場で福島県の地図を映し、台湾の参加者に以下のことをまず伝えることにした。福島は日本で3番目に面積の広い都道府県であり、台湾全体の40%ほどもの大きさであること。また、事故のあった福島第一原子力発電所から内陸部の会津若松市まではほぼ100キロメートル、新潟県との県境までは160キロメートル以上も離れていること。これは台北から台中までの距離にほぼ匹敵すること。福島県の実際の大きさをイメージしてもらい、放射能汚染の影響が直接及んだ地域は、その一部であったことを示した。

続いて、東日本大震災後の福島には、三つの異なる状況の人々が存在すると説いた。すなわち一つ目が、日本政府の避難指示区域の内側にあって、放射線量が基準値を超えているため、現在も帰還困難区域や居住制限区域に指定され、故郷で暮らすことができなくなってしまった人たち。二つ目が、避難指示区域の外側ではあるものの、放射線の影響に日々不安を抱えながら、そこで生きていかなければならない人たち。そして三つ目が、事故のあった福島第一原発からは十分離れていて、一般的には安全と考えられる地域にも関わらず、福島という言葉でひとくくりにされてしまい、風評被害を受けている人たちである。

会場の参加者に向かって、僕は上述の立場に置かれたそれぞれの異なる苦しみを想像してほしいと投げ掛けた。脱原発の旗に記されている「No More Fukushima」の文字が、図らずも福島の人々を二重に傷付けることになってはいまいかと問うた。会場は波を打ったように静かになった。そして、「請不要再說“不要再有下一個福島”(“もう一つの福島はいらない”なんてもう言わないで)」と訴えた。福島は今も多くの人々が普通の暮らしを営んでいる場所なのだ。それを忘れないでほしいと結んだ。

冒頭で紹介した「核食」という言葉の発する不用意さ、心無さは、まさにこの「不要再有下一個福島」というスローガンに通じる。福島第一原発で起こった事故を台湾で繰り返してはならないという気持ちは十分に分かる。放射能汚染食品を口にしたくないというのも、もちろんその通りだ。僕もそれ自体を否定するつもりは毛頭無い。むしろ、社会全体で積極的に取り組むべき課題だと思う。だが、配慮の足りない言葉は、時に自分たちが気付かないところで牙をむく。台湾のメディアも市民も、「核食」と表現することが、被災地の傷に塩を塗る行為だということに一刻も早く気付いてほしい。

台湾がこれほどまでに食品の安全性に敏感なわけ

東日本大震災の後、台湾からの義援金が200億円を超え、世界中のどの国、どの地域よりも日本に寄り添ってくれたことは周知の通りだ。また、台湾から日本への訪問者数も、2016年には417万人に達した。06年には130万人だったから、10年で3倍以上も増えたことになる。さらに日本台湾交流協会が16年に実施したアンケートでは、実に80%もの台湾の人が「日本に親しみを感じる」と回答した。しかし、福島および近隣県で生産された食品の輸入問題となると、話は別だ。度重なる日本側からの要請にも関わらず、世論の反対が根強く、台湾の歴代政権も輸入解禁には踏み切れていない。では、台湾の人々がこの問題に対して、なぜこれほどかたくななのか。

いくつかの背景が考えられるが、その一つに、福島第一原発の事故に台湾社会が大変な危機感を抱いたことが挙げられる。台湾も地震多発地帯にあり、運転中の原発3基はいずれも海岸沿いにある。日本の技術力をもっても防ぎ切れなかった事態に、万一の場合、自分たちの手に負えるのか。反原発の機運は一気に高まり、その矛先は台北郊外に建設中の台湾第四原子力発電所に向けられた。13年3月9日には、台北、台中、高雄、台東の4地区で約22万人が参加する大規模な抗議行動に発展、総統府前の凱達格蘭大道はデモの参加者で埋め尽くされた。翌14年4月には、民進党の重鎮、林義雄氏がハンガーストライキで抗議したのを契機に再びこの勢いは加速し、当時の馬英九総統は、ついに台湾第四原発の工事凍結に追い込まれた。次いで脱原発を公約に当選した蔡英文総統は、17年3月に台湾の脱原発化を25年までに実現する旨を宣言した。

「反核,不要再有下一個福島/NO NUKES, No More Fukushima(反核、もう一つの福島はいらない)」の旗(撮影:野嶋 剛)

実は脱原発を選択した台湾社会は、日本で想像する以上に食品の安全問題に対して敏感なのだ。13年11月に台湾を代表する大手食品メーカーが、廃油を原料とした劣化食用油を販売していた事実が明るみに出ると、食品安全問題は台湾社会を大きく揺るがせた。この問題は、企業モラルの低下やその背景にある長年の景気低迷によるコスト削減の圧力に加え、台湾の公的検査制度の不備、司法制度の公正さに対する疑義など、台湾社会のさまざまな課題をも浮き彫りにした。こうした伏線もあり、15年3月に輸入業者による日本の食品の産地偽装問題が発覚した際には、政府や企業に対し、市民はさらに不信感を募らせた。また、東京電力福島第一原発のメルトダウンも含め、不都合な事実がなかなか明かされなかったことも影を落としている。日本側が発表するデータや数値は本当に信頼できるのだろうか。そのことでも台湾市民は疑心暗鬼となっている。そして、結局のところ、何が事実で何が臆測や風評に過ぎないのか、台湾市民はいまだに確証を持てないでいるのが実情だ。

「核食」について論じる台湾の新聞各紙(撮影:馬場 克樹)

ところで、台湾では昨年9月、ようやく日本からの和牛の輸入が解禁となった。01年にBSE問題が発生して以来、日本からの牛肉の全面禁輸措置が16年間も続いていたのだ。もともとそれほど食の問題には慎重なのだ。このような土地柄で、現在渦中にある地域からの食品の輸入解禁を急げば、市民からの反発を招くことは想像に難くない。日本側や台湾当局が科学的根拠を示し続けていく努力も引き続き大切ではあるが、台湾の人々の心に蓄積された不信感はそれだけでは拭えないだろう。それは、既にこれが理性ではなく感性の問題となってしまったからだ。しかし、解決に向けてのヒントはある。

急がば回れ、「福島、元気?」展が投じた一石の意味

昨年11月末に、台北の華山文化創造園区で「福島、元気?」と題する展覧会が開催された。同展では、農業、教育、伝統工芸、地域社会などの側面から、福島の今に生きる人々の姿が、写真パネルやドキュメンタリー映像の形で丁寧に紹介され、大きな反響を呼んだ。同展を主催したImpact Hub社会影響力製造所は、陳昱築代表によって設立され、台湾の若手の起業家、アーティスト、エンジニア、会社員、民間非営利組織(NPO)ら集まって社会イノベーションを目指す組織だ。陳代表とは、11年ほど前、まだ台湾大学の学生だった彼が「台湾日本学生会議」を創設し、初代会長を担っていた頃からの付き合いだ。こうした地道な取り組みの積み重ねが、結局のところ、台湾の人々の心に共感や安心感を一歩ずつ生み出し、やがては状況の変化をもたらすのではなかろうか。急がば回れ。今日も新聞紙上を踊る「核食」という文字を目にしながら、ふとそんなことを思った。

2017年11月、台北の華山文化創造園区で開催された「福島、元気?」展の様子(撮影:馬場 克樹)

バナー写真=台北市内のある喫茶店に掲げられた「反核,不要再有下一個福島/NO NUKES, No More Fukushima(反核、もう一つの福島はいらない)」の旗(撮影:馬場 克樹)

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