「世界で一番福島の食に詳しい料理人になりたい」——福島の「食」をぜいたくに体験する「一日一組」のフレンチ
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東は太平洋に接し、広大な平野があり、西に行くと会津の山々。そんな自然に恵まれた福島は日本を代表する農業県であり、漁業県でもある。海のもの、山のものなどあらゆる食材がそろう。その福島の農漁業は、東京電力福島第1原発の事故によって大きく傷ついた。その復活を目指して、一人の福島人が始めた「福島県の食材による一日一組」のフレンチレストランが大評判を呼んでいる。
福島県いわき市。駅からタクシーで10分ほど走り、細い路地を抜けてたどり着いた住宅街のど真ん中に、その店はあった。夕暮れ後の暗闇に浮かび上がる明るい店の光をみて、「こんなところに店があるのだろうか」といささか緊張していた気分がほっと緩んだ。
「HAGIフランス料理店」のオーナーシェフ、萩春朋さんが玄関で待っていて、「遠いところをありがとうございます」と深々と頭を下げた。
この店で料理に出されるほとんど全ての食材が福島県の野菜や肉、魚であり、合わせるワインなどの飲料も福島のものだ。
テーブルに座ると、印字された紙が置かれていた。メニューかと思ったが、食材の一覧だった。
「いわきキジ」「会津産栗」「相馬せいこ蟹(かに)」「いわきワタリガニ」「いわき白菜」「郡山ひらたけ」「常磐沖車駅」「相馬太刀魚」「相馬氏白魚」「いわき卵」「いわき聖護院ダイコン」「相馬原釜港さば」「福島りんご」「いわきほうぼう」「相馬レモン」「いわきうなぎ」「鮫川村牛」「いわきにんじん」「いわきブロッコリー」「いわきさつまいも」「鮎川村ジャージー牛」「福島いちご」
福島の食材がずらりと並んでいることに圧倒された。店のパンフレットには「福島の食材は、私にとって世界一のブランド品。福島の里、山、海をつなぐ料理。料理人が福島の食材を守る」と書いてある。
一方でメニューはない。その日に手に入った食材に合わせて、萩さんが考えて毎日新しいメニューを作り出していく。料理より食材が優先、なのだ。料理がサーブされる度に、食材について詳しく書いた説明書きまで出てくる。
東日本大震災以降、「一日一組」の完全予約制を始める
萩さんは、いわき市で生まれ。フランスで料理修行に取り組み、2000年にフンラス料理店を地元で開いた。そこは普通のどこにでもあるフランス料理店だったが、東日本大震災以降、昼でも夜でも1日に最大10人程度のお客しか受けない「一日一組」の完全予約制にした。
お客さんは6割が県内、4割が県外。評判を聞いて東京や大阪、時には海外からやって来る客もいる。震災による修繕などでかさんだ借金も返し、予約を取ることも厳しい。コースは1万円、1万5000円、2万円の3種類。福島のワインや日本酒によるペアリングはプラス6000円となっている。
今では店の代名詞となった「一日一組」を始めたのは、最初は苦肉の策でもあった。
「震災後、電気はなくなったけれど、水道は来ていましたので、お店に住み込んで暮らしていました。3月11日の後、いわきはゴーストタウンみたいになってしまった。4月に店を始めると、それから最初の1カ月は地元の皆さんが食べに来てくれたのです。でも、だんだんとお客さんは来なくなっていきました。でも市内のお店ではラーメンや焼き肉やとんかつはたくさんお客さんが入っている。震災という究極的な経験をしたいわきの人たちは、濃い味を食べて、生きている実感を得ようとしているんだと思いました。私の店には、やがて、お客さんが本当に一日一組ぐらいしか来なかったんです。それで、いろいろ考えて、一日一組にして、従業員には申し訳ないけれど辞めてももらい、人件費を抑え、妻と2人で経営する店をやろうと決めたのです。決意を示すために、名前も元々のフランス風の名前から、自分の名前を付けたのです。自分をぎりぎり逃げられないところに追い込むためにです」
そう語りながら、シェフ自らが妻と一緒に料理をテーブルに自ら届けてくれる。その度に、食材の物語を語ってくれるのだ。何ともぜいたくな時間である。「一日一組だからこそ、可能になる究極のサービスだ。
世界で一番福島食材に詳しいシェフになる
喉が渇いていたので、炭酸水「奥会津金山天然炭酸の水」をもらった。最初に出てきた料理は、キジのコンソメだった。鳥類の風味が強烈なほど濃厚なスープが、冬の外気で冷えた体を温める。
「いわきのキジです。1羽4000円ぐらいします。なかなか手に入らない人気ものもです。身から出た濃いスープを味わいください。この炭酸水は、皇室にも献上され、伊勢志摩サミットの首脳会談でも提供されました」
萩さんも、元々のレストランでは、世界各国の高級素材を使っていた。しかし、震災によって各地のボランティアが福島を訪れる中で、福島の食材を食べた思い出を持って帰ってもらいたいと思うようになった。
「お土産って、土が産むと書きますよね。地元の土から生まれたものを食べてもらわないと、外から来た人たちには、土産話にはならないなと思ったんです。震災から他府県の人たちが来てくれて、地元の価値、福島の価値を逆に教えてもらいました。皮肉なことかもしれませんが、震災がなかったら、福島の食材をこれだけ考えてもらえることはなかったと思います。だったら、私は福島の食を日本一にしたいです。震災前は全国、世界の食材に精通するように店をやっていましたが、震災後は世界で一番福島の食材に詳しいシェフになれば誰にも負けないと思ったんです」
次に出てきたのは、会津の栗のムースだ。柔らかな栗の甘さがたまらない。
「この栗は、福島県民ですら、ほとんど知らないのですが、9月に収穫して冷凍保管しておくと、糖度が上がって26%を超えておいしくなります。それをムースにしてフランスのフォアグラのスフレにしました。焼き栗も添えています」
アルコールで合わせたのは福島のリンゴのシールド。沸き立つようなリンゴの香りがテーブルに立ち上った。
素材をシンプルに調理する
食材探しは、今も萩さんの日課である。予約のある日は、地元の農家を回って自分の目で吟味した野菜を仕入れる。農家を回ることで、料理人としての発見も少なくない。
「自分や周りの食材のいいものを必死に探しました。そうしたら、福島にはたくさんすごい食材があったんです。7年ぐらい本気で福島中の食材を探したら、いつの時期にも、いい食材、おいしい食材があることに知りました。それをスムーズに手に入れるようになったところです」
食材に精通してくると、萩さんが長年学んできた料理の方法も変わってきた。フランス料理はソースを使ったものが中心で、素材は加工されることが多い。萩さんも昔はそうした料理を作ってきた。だが、今作っている料理はその真逆に、あくまで素材をシンプルに調理する料理である。
「シンプルに調理するというのは、料理人にとってつらいことですが、農家の人たちには喜んでもらえると思います。昔、最高のブロッコリーが中華料理店で八宝菜に混ざっていたことを見たことがあります。野菜でもちゃんと素材を生かして調理したら、それを食べるためにお客さんは県外からも来てくれるんです。いい野菜は皿の上から素材のいい香りがしてくるんですね。皿の上にいろいろな味付けするのをやめたら、そういうところも分かってきました」
福島の人々が一生懸命作ったものをお客さんと一緒に共有したい
次の料理は、シラウオやカキ、ダイコンなどが入ったスープの上に、タチウオを焼いたものが載っているユニークな一品だった。複雑なうまみが口の中に広がる。福島・豊国酒造の純米大吟醸「超」が出てきた。
「郡山のヒラタケから出る陸のだし、相馬のシラウオから出る海のだしの両方が入っています」
次はいわきウナギ。イメージにあるウナギのかば焼きとまったく違う処理だ。こういうウナギの食べ方もあるのか、と感嘆する。生きたままのウナギの皮を剝ぎ、備長炭であぶって、ワインのおりを煮詰めたソースを絡めている。
「ウナギは養殖です。今の福島では、そもそも天然ものの食材は限られています。ジビエも、どんぐりを食べるので使えません。天然きのこも食べられません。天然きのこのスープのおいしさはみんな子供のころから私も覚えているので、今の子供たちに食べてもらえないのはかわいそうだと思います。でも、私は、人々が一生懸命手をかけて作ったものをお客さんと一緒に共有したいと思っています」
そう、福島には、今も食べてはいけないものもある。それらは全て分けられた上で、食べられるものも、度重なる検査を経てから、消費者に渡っている。一つ、質問をしてみた。お店に来て「福島は大丈夫ですか」と質問するお客さんはいないのだろうか。
「自分も元々はおっかなびっくりしていました。お客さんに『踏み絵』を踏ませるのではないかと心配もしていました。しかし、お客さんから一度も大丈夫ですかと言われたことはありません。ちゃんと検査したものは大丈夫だと思ってくれているのですね。今は私も自信を持ってお出ししています」
福島は今も200万人が生活している。「福島は元気」だ!
メインは、福島県南部の鮫川村の牛のステーキだ。牛は雄の子牛の肉だ。しっとりと軟らかく、上品な肉の食感で、口の中で柔らかく溶けていく。
普通、コストのため、雄は育てないで処理してしまうが、牛乳だけ飲ませて育てた雄の子牛を生産している農家と、萩さんは親しくしている。
「牛乳しか飲んでいないので、草の香りがしません。牛乳も母親のものを飲んでいます。1頭から30キロしかお肉が取れません。この肉はももの部分です」
一つの料理には、一つの物語がある。その物語をたっぷり味わうためにも、一日一組というスタイルがぴったりのように思える。
「一日一組は、恋人が一人だけという感じです。お客さんを待つときは緊張します。おいしいと言ってもらうと本当にうれしい。みんな今まではいろいろな理由で食べに来てくれていたのですが、今は料理を食べるために来てくれる。その人たちのために、あなただけの料理を食べていただきたいと思って作っている。例えば今お出ししているパンはお店に来られる前に作って焼き上げたのですが、出来たてを食べればみんなパンはおいしいんです。でもお客さんがたくさん入ってくるお店ではそうはできません」
最後にも感動が待っていた。天然氷と福島イチゴのかき氷だ。ちょっと他では食べられないデザートである。見た目も美しく、味も爽やか。そして、福島の魅力を象徴するような最後の一皿だった。
福島の食材というだけで、台湾など海外の方々はびっくりするかもしれない。しかし、思い出してほしい。福島には、今も200万人の人々が暮らしていて、地元の食材を食べながら、子供を育て、生きているのだ。その人々も、放射能に汚染されたものを食べているわけではなく、日本人の知恵と技術を尽くした検査態勢のもので安全と考えられる食品を食べている。
萩さんの店は、その中では、最も精緻を尽くした「福島の食材」を体験できる場所であり、「福島は元気」ということを世界に示すショーケースになっているように思う。食後は、車でいわき駅まで送ってもらい、最終の常磐線の特急で東京に戻った。いわきまでは、東京から電車で2時間と近くはない。しかし、日帰りしてでもまた訪れたいと思える体験を与えてくれる店である。
バナー写真=「HAGIフランス料理店」のオーナーシェフ、萩春朋さん(撮影:野嶋 剛)