太平洋の親日国家・パラオの真実

パラオ「天皇の島」ペリリューの戦跡から考える「日本の戦争」の姿

社会

野嶋 剛 【Profile】

パラオは観光国、環境立国という明るい側面と同時に、太平洋戦争の激戦地という重い歴史も持つ。その戦跡を歩いてみた。

いまだ多くの戦死者が眠る「千人洞窟」

ロックアイランドツアーは戦跡を詳しく記した資料を用意し、ガイドは詳しい戦闘の経緯をお客さんに伝える知識の習得を心掛けている。現地の慰霊碑に供えられるよう、線香も用意している。

私も同社のペリリュー島訪問ツアーに参加して、早朝、コロールの港を出発した。シーズンから外れた平日ということもあって、参加者は私を含めて4人。波しぶきに濡れながら、ペリリュー島の港に到着する。最初に向かったのは、かつての野戦病院といわれる「千人洞窟」だった。

野戦病院として使われていた「千人洞窟」の入り口

ペリリュー島は火山性の地盤で、島全体の地下には迷路のような洞窟が広がる。日本軍がとった作戦は、これらの洞窟を要塞化し、米軍の爆撃に耐えながらゲリラ戦を仕掛けるというもの。その方針を打ち出したのが、ペリリュー島守備部隊の指揮官であった中川州男(くにお)大佐だ。

熊本出身の中川大佐は「最後の一兵になるまで戦い抜く」という信念の持ち主で、それまでの日本軍のバンザイ突撃に象徴される生命軽視の作戦はとらなかった。

「千人洞窟」は1000人も収容できるほどの大きな洞窟ということから名前が付けられたが、奥まで進んでいくと、ビール瓶があちこちに転がっていることに気づいた。ビールを飲料水代わりに飲み、空き瓶を火炎瓶として活用したらしい。薬きょうや包帯らしきものも落ちている。まさに手付かずの戦跡だ。洞窟の入り口は米軍の火炎放射で黒焦げになっていた。

洞窟の奥に今も残るビール瓶など

洞窟に立てこもった日本兵が一番恐れたのは火炎放射器ではなく、ブルドーザーだったという。洞窟の出口を土砂にふさがれると、生き埋めになってしまう。ペリリュー島の戦闘では、合計1万2000人の生命が失われ、うち1万人は日本兵だった。いまだに日本兵およそ2500人の遺体が見つかっておらず、その多くは洞窟の中で眠っていると考えられている。

ビーチそばの慰霊碑に手を合わせる

次に向かったのは滑走路跡だ。ペリリュー島には東洋最大とも言われた十字型の2本の滑走路があり、米軍がフィリピン攻略を前にして、パラオ奪取を目指した最大の理由でもあった。グアムなどを落とした米軍は、フィリピンに迫った。フィリピン・ルートの途上の要衝がペリリュー島だったのである。

滑走路は今も時折小型セスナが離着陸するというが、草ぼうぼうで路面も荒れており、使用に耐える飛行場には見えない。天皇皇后ご訪問の時は、臨時のヘリポートを作ってコロールからヘリで来た両陛下を迎えた。

雑草に覆われた滑走路

空港近くの西海岸には「オレンジビーチ」と呼ばれる美しい砂浜がある。米軍が上陸を試みた海岸だ。米軍は猛烈な艦砲射撃を行ってから、1944年9月15日、上陸を試みた。

米軍は艦砲射撃でほぼ日本軍を殲滅(せんめつ)していると思い込んでいた。だが、日本軍は洞窟に潜んで被害を抑え、上陸地点を予想してトーチカを作って備えていた。米海兵隊第1海兵師団はこの上陸作戦などで、1700人の死者を含め死傷者8000人超の大打撃を被り、戦闘継続能力を失って本国に増援を仰ぐことになる。

真っ白な砂浜と紺碧(こんぺき)の海を見ながら、血で染まった海岸を想像してみた。

オレンジビーチのそばに、1985年に建立された西太平洋戦死者の慰霊碑がある。ペリリュー島を含む西太平洋全体の戦死者を慰霊するものだ。著名な建築家・菊竹清訓(1928-2011)の設計である。慰霊碑にはシャコガイが埋め込まれ、水がたまるようになっている。洞窟の兵士が苦しんだのが水の確保だったからだ。

慰霊碑の辺りは風が一年中強く吹く。穏やかな日だったが、波しぶきが飛んでいた。天皇皇后が祈った場所で、私も両手を胸の前で合わせた。

西太平洋戦没者の碑

ほかにも、旧海軍弾薬庫を改築したペリリュー島戦争博物館や、旧日本海軍司令部の建物跡、ジャングルに墜落したまま放置された日本軍戦闘機ゼロ戦、戦闘能力を空襲で奪われたと思われる日本軍軽戦車などが、島のあちこちに散在していた。全てを回りきるには5、6時間はかかるだろう。

(左から)日本軍軽戦車、ゼロ戦、海軍司令部

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野嶋 剛NOJIMA Tsuyoshi経歴・執筆一覧を見る

ジャーナリスト。大東文化大学教授。1968年生まれ。上智大学新聞学科卒。在学中に、香港中文大学、台湾師範大学に留学する。92年、朝日新聞社入社。入社後は、中国アモイ大学に留学。シンガポール支局長、台北支局長、国際編集部次長などを歴任。「朝日新聞中文網」立ち上げ人兼元編集長。2016年4月からフリーに。現代中華圏に関する政治や文化に関する報道だけでなく、歴史問題での徹底した取材で知られる。著書に『認識・TAIWAN・電影 映画で知る台湾』(明石書店)、『台湾とは何か』(ちくま新書)、『故宮物語』(勉誠出版)、『台湾はなぜ新型コロナウイルスを防げたのか』(扶桑社新書)『香港とは何か』(ちくま新書)『蒋介石を救った帝国軍人 台湾軍事顧問団・白団の真相』(ちくま文庫)『新中国論 台湾・香港と習近平体制』(平凡社新書)など。オフィシャルウェブサイト:野嶋 剛

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