太平洋の親日国家・パラオの真実

パラオの文化:「親日」を支える豊かな日本語

文化

かつて日本が統治していた島国パラオ。戦後70年以上たった今も、日本語がパラオ語の中に生き続けている。そして、日本の精神文化も。

年越しそばならぬ年明けうどん

パラオの借用日本語には、日本語そのままのものもあれば、微妙に変化した発音も少なくない。例えば、風呂敷は「ブロシキ」、扇風機は「センブウウキ」と、「プ」を濁らせて「ブ」と発音している。

パラオでは、全てパラオ語単独のボキャブラリーで長い会話や演説を行うのは不可能に近い。行政用語などは戦後、米国の委任統治の開始とともに始まった英語の流入の影響を受けており、政治家の演説は、日本語ボキャブラリーをまぜたパラオ語と英語の組み合わせになる。借用日本語が英語に切り替わるケースも多い。例えば「コオリ(氷)」より「ice」がよく使われるようになっているという。パラオ語にはほかにも過去に統治者としてパラオにいたスペインやドイツの言語の残した語彙(ごい)も少なくない。パラオ語そのものが、パラオの歴史をとどめる資料庫であり、歴史を映し出す鏡なのである。

パラオでは日本語だけでなく、日本が残した伝統遊戯が、日本語と一緒に継承されている。アンナさんはこう振り返る。

「子供のころから遊んでいた『ケンケン』は日本のけんけんだと、日本に行って初めて知りました。花札やお手玉も村ではみんな遊んでいましたけど、日本で遊んでいる人はあまり見かけませんでしたね(笑)」

花札で遊ぶパラオの高齢の女性たち

食生活でも日本の残したものは少なくない。

パラオでは、お正月にうどんを食べる習慣がある。これは年越し蕎麦(そば)を食べる習慣が、蕎麦栽培のないパラオであったため、うどんで代用した習慣が残っていったとされる。

アンナさんによれば、シミズ村では出汁(だし)は鶏肉がないので、野生の鳩でスープを作って、うどんを入れていた。小麦粉がない場合は、現地で採れるタピオカのデンプンを使うこともあった。味付けは醤油。「お味噌はないから使わなかった」とアンナさんは振り返る。ちなみに「ミソシル」という料理はパラオにあり、味噌味ではないが、野菜がたくさん入ったスープのことを指す。

コロールの中心部で、「クマンガイベーカリー」というパン屋があった。クマンガイはもともと「熊谷」が由来だと思われるが、パラオ語の発音でnが混じるという。日に2回の発売時間と同時に売り切れてしまうというほどの人気商品は「アブラパン」だ。これは「アンドーナッツ」あるいは「揚げアンパン」と日本で呼ばれるものだが、秋田など一部地方では「油パン」とも呼ばれる。それが今もパラオで残っている。食べてみると、本当に学校給食などで楽しみにしていたアンドーナッツそのままの味だった。

コロールの中心部にあるクマンガイベーカリーと「アブラパン」

日本の精神文化を大切に守る

パラオにおける日本文化の受容について、アンナさんはこんな風にも感じている。

「パラオの文化に日本の文化がうまく合ったのではないでしょうか。親孝行、目上の人に口ごたえしない、親の面倒は子供がみる。こうしたことはパラオの伝統的な価値観でもあります。パラオの年配者は特に日本人に似ています。考え方や仕事の仕方、働き者で真面目なところも似ています」

日本とパラオ。日本の領土拡大の野心の結果、軍の占領から委任統治という形で支配・被支配の関係にあった両国だが、そのつながりは、言葉や暮らしの中に脈々と生きている。パラオの親日度は世界でも群を抜いているとされる。昨年の天皇誕生日には、地元の新聞に一面でお祝いの広告が出るほどだ。

パラオの新聞に1ページ全面で掲載された、天皇誕生日のお祝い広告

それは日本が外交や援助でパラオを支えているからだけではなく、パラオの人々が日本文化の中の「価値」を見いだしてくれているからにほかならない。人口2万人の小国とはいえ、日本人が残した日本語や日本文化、そして、日本人の精神をここまで大切に守っているパラオという国とそこに生きる人々を、日本が大切にしない理由はないはずである。

バナー写真:日本の委任統治時代に建設された南洋庁ビル。現在は最高裁判所として使われている

(写真はいずれも野嶋剛氏撮影)

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