日本語と政治:政治家と有権者のコミュニケーション不全
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コミュニケーションを遮断する
「書き換え前の文書を見ても、私や私の妻が関わっていないということは明らか」
森友学園への国有地売却に関する財務省の決裁文書書き換え問題を追及する国会で、安倍晋三首相は自信満々にそう言い放った。「書き換え前の文書」には、安倍首相の妻である昭恵夫人の名前が複数回出てくるのに、安倍首相はそれを「関わっていない」と読み取ったのだ。
しかし、まったく同じ文書を国民はそう読まなかった。朝日新聞が行った世論調査では、この安倍首相の答弁は「納得できない」が72%にものぼった。同じ日本語の文章なのに、政治家と国民の間には受け止め方に大きな溝があるようだ。
昨年秋も、森友学園や加計学園の獣医学部新設問題が紛糾し、内閣支持率が下がっていた。安倍首相は「国民の疑問に対して丁寧に説明する」と言いながら、臨時国会を召集したものの、質疑をせずに国会冒頭で解散に踏み切った。
その安倍首相を支える菅義偉官房長官は毎日の定例記者会見で、「そのような指摘は当たらない」「まったく問題ない」という答えを多用した。このやりとりを映画監督の想田和弘氏は「コミュニケーションの遮断」とし、「菅語」と名付け、ネット民に広がった。
「丁寧に説明する」という言葉は、その後も宙に浮いたままだ。
通常国会が始まっても質問と答弁がかみ合っていないことがたびたび指摘されている。安倍首相は事実関係を聞かれているのに、事実についてはいっさい答えず、持論を長々と演説したり、民主党政権時代の政権運営批判を始めたりする。国会での議論を聞いていると、まるでコミュニケーションツールとしての日本語が、ほとんど機能していないようにも見える。
政治家の言葉への不信や違和感
言葉の断絶は首相や政府・与党に限った話ではない。昨年の衆院選の選挙前にはこんなこともあった。当時、選挙の主役の座に躍り出ていた希望の党代表の小池百合子・東京都知事は「衆院選への出馬は100%ないのか」と聞かれ、記者をにらんで、こう答えた。
「最初から日本語でそう言っています」
しかし、公示直前まで小池氏の周りを取り巻く記者は「本当に出馬しないのか」と質問し続けた。長い時間、行動をともにする記者が取材対象である政治家の言葉を信用していないことを見せつけられた格好だ。
小池氏は党の綱領を発表した際、6つの柱のトップに、「社会の分断を包摂する、寛容な改革保守政党を目指す」ことを掲げた。民進党はすでに希望の党への合流を決めていたが、小池氏は記者会見し、民進党出身者について、「全員を受け入れる考えはさらさらありません」「排除します」と答えた。あまりに考えの違う人たちを集めた政党では「数合わせだ」と批判されると思ったのだろうが、「寛容な政党」を目指す代表としてふさわしい言い回しだっただろうか。
その後、民進党代表代行だった枝野幸男氏が新党「立憲民主党」の結成を発表した。その日、作家の高橋源一郎氏は安部公房の言葉をもじって「希望は、絶望の一形式である」とツイートした。高橋氏と同様に、小池氏の言葉に違和感を覚えた人も多かったのだろう。朝日新聞の世論調査では、希望の党に「期待する」と答えた割合は35%で、「排除する」発言前の調査に比べて10ポイントも下がった。
課題が難しくメッセージを出せない
政治家の一方的な強弁や質問に正面から答えようとしない態度、議論不足……。政治をめぐるコミュニケーション不全は、何が原因なのだろうか。政治評論家の田原総一朗氏に尋ねると、こう答えが返ってきた。
「政治家とうまくコミュニケーションできなくなったのは、時代背景がある。いま抱えている課題が難しくなり、政治家がはっきりとメッセージを出せなくなってしまった。政治家の言うことがはっきりしないから、有権者もどう判断したらいいか分からなくなり、政治家の言うことをしっかり理解しようとしなくなったのではないか」
田原氏の解説ではこうなる。日本は第二次世界大戦後、東西冷戦の中で経済成長をひたすら求めてきた。戦後初の首相・吉田茂(在任期間1946〜47、48〜54)は「経済を一人前にしよう」と言い、安保闘争中は高圧的な発言に終始していた池田勇人(同1960〜64)は首相に就くと、「所得倍増論」を前面に打ち出した。経済力アップさえ主張していればよかった。
田原氏はかつて、世界で有数の装備を持っていた自衛隊のことを質問した時、首相だった竹下登(同1987〜89)が「戦えない軍隊だからいいんだ」と発言したのを覚えている。世間からバッシングは起きなかった。「いまだったら、何を言われているか分からない。でも当時は経済力が外交力だった」
複雑な課題に政治家とメディアは
しかし、89年にベルリンの壁が崩壊して冷戦が終わり、91年には絶好調だった日本経済のバブルは弾け、一気に不況へなだれ込んでいった。
日本は明確な目標を失い、国際社会も複雑さを増していった。ここで信念を語り、この国の行く末を示すのが政治家だが——。田原氏はため息まじりにこう話す。
「問題が難しくなりすぎちゃって、政治家は考えることをやめてしまった」
田原氏が例に挙げたのが、沖縄に点在する米軍基地の問題だ。誰もが沖縄に集中しているのはおかしいと思うが、ではどこに移設するのか。米軍ではなく日本が自前で基地を造れば、軍事費は莫大になるが、国民の支持は得られるのか。答えを導き出すのは、そう簡単ではない。
「複雑な課題を前に、政治家が口を閉ざし始めた。それを解説・批評すべきマスメディアも、責任ある言論を書けなくなっているのが現状ではないか」
さらに、コミュニケーション不全になっているのは「政治家—有権者間」だけではなく、政治家同士にまで広がっているのだという。
「テロ等準備罪」を新設した改正組織犯罪処罰法は今年6月に成立した。犯罪を計画段階で処罰する「共謀罪」の趣旨を含むとあって、反対する議員も多かったが、特に話題になったのは、金田勝年法相の意味不明な答弁だった。田原氏によると、金田法相は法案の提出を直前まで知らされておらず、法案提出のスケジュールを知って「聞いてない」と絶句したという。
田原氏は、森友学園の国有地売却問題で安倍氏が「私や妻がこの件に関係したら、首相も国会議員も辞める」と発言したことに触れながら、「安倍さんは、言うべきことを言わず、言わなくていいことを言う人だ」と話した。
言語能力の足りない政治家
作家の高村薫氏は、政治家と有権者のコミュニケーション不全の原因を、言語能力が足りないからではないかと考えている。高村氏によれば、言語能力とは物事を考える力。語彙(ごい)が乏しいからといって、言語能力が低いわけではない。幼い子どもでも、物事を考え、伝える気持ちがあれば相手に思いを伝えられるのがその証拠だ。
政治家が持つべき言語能力とは何なのだろうか。
「まずは課題を理解したいという意思が必要です。さらに、どう国民の幸福に寄与するか理想や理念を考える。その意思さえあれば、言葉はあとからゆっくり付いてくるものです」
高村氏は「政治が向かう方向性の是非は別として」と前置きした上で、元首相の田中角栄(同1972〜74)に触れた。
「日本列島改造という彼なりの『日本のあるべき姿』を目指す意思があった。だから言葉に力があったのかもしれません」
一方で、2017年3月末、教育勅語を「憲法や教育基本法などに反しない形で教材として用いることは否定されることではない」と閣議決定したり、憲法改正の意思を見せたりする安倍氏の言動を追うと、一貫性のなさが目につくという。
「憲法を変えるという安倍さんの信念が見えない。説明したことがありますか? また、天皇制に心酔している様子は感じられませんが、教育勅語はよしとする。信念や理念がないまま、なんとなく憲法改正を言い出しているのではないでしょうか。意思がない言葉に力はありません」
高村氏の視線は希望の党の小池前代表にも向かう。
「ふわふわとした言葉ばかりが並び、中身がないと感じます」
言葉の力を復活させるためには
しかし、政治家だけが悪者ではない。
「有権者の多くは、安倍さんや小池さんの言葉で十分満足しているのでしょう。有権者が政治家を生んでいるのですから」
政治に対する不満は鬱積(うっせき)しているのかもしれない。結党当初、新聞各社の世論調査で、自民党や希望の党と比べて、支持率が極端に低かった立憲民主党が、ツイッターでのフォロワー数は結党3日足らずで13万人を超え、政党ツイッターではトップになった。「政治には、どうしたって言葉が必要です」と語る高村氏に、政治の世界に言葉の力を復活させるためにはどうしたらいいのか尋ねた。高村氏はしばらく沈黙したあと、言葉を絞り出すように語った。
「絶望的なことを言うようで気が進まないのですが、北朝鮮のミサイルがどこかに着弾するなど、有権者がよほど痛い目をみないと、人は言葉ときちんと向き合おうとしないのではないでしょうか。ひどい目を見て、やっと言葉がもう一度見直されることになると思います」
文・THE POWER NEWS編集部
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