日本のレジェンド

音楽の可能性に挑戦し続ける先駆者・坂本龍一

文化

天辰 保文 【Profile】

イエロー・マジック・オーケストラの一員として日本発テクノポップを世界に発信した坂本龍一。以来、約40年にわたり、ジャンルを超えて新たな音楽世界を切り開いてきた「挑戦者」の軌跡を振り返る。

海外アーティストとの交流

CM音楽も数多く手掛けてきたが、1997年には、その中の1つが評判になり、シングルとして発売される。そのピアノ曲「エナジーフロー」は、インストゥルメンタルのシングルとしては初めて日本のチャートで1位を記録、癒しブームの火付け役を果たすということもあった。

91年、ブラジル音楽の至宝カエターノ・ヴェローゾのアルバム『シルクラドー』で共演したのをはじめとして、彼自身の作品での共作共演も含めると、ユッスー・ンドゥール、アート・リンゼイ、デヴィッド・シルヴィアン、イギー・ポップ、ピエール・バルーら海外のアーティストとの交流も少なくない。YMO時代の彼の「ビハインド・ザ・マスク」を、エリック・クラプトンがカバーしたり、マイケル・ジャクソンがアレンジしたバージョンが、マイケルの没後に発表されたアルバムで日の目を見るようなこともあった。

新しいプロジェクトとして、「commmons(コモンズ)」をスタートさせたのは、2006年だ。有名無名を問わず、社会、文化貢献を含めて志を同じくするアーティストやクリエーターが集い、その共有地となることを目指すためのものだった。その活動の一環として、バッハからサティ、ジャズにアフリカの伝統音楽まで、次世代のために音楽を紹介する電子書籍シリーズ『commmons: schola(コモンズ・スコラ)』の総合監修も手掛けている。

さまざまな顔を持つ「教授」

2014年7月、中咽頭がんと診断されたことを発表、その治療と療養を経て約1年後の15年8月に復帰、そのときの復帰作は、山田洋次監督作品の『母と暮らせば』(15年)、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督作品の『レヴェナント: 蘇えりし者』(16年)と、いずれも話題の映画音楽だった。

むろん、これまで、『千のナイフ』に始まり、『B-2ユニット』『音楽図鑑』『エスペラント』『BTTB』等々20枚を超えるソロ・アルバムを通じて、音楽の可能性に挑戦し続けてきた。クラシック、電子音楽、オペラ、ロック、ジャズ、ヒップホップ、沖縄からアフリカまでの民族音楽と、それこそありとあらゆる音楽の垣根を超え、遠くに視線を伸ばしながら新しい意識の音楽空間を作りあげる。

好奇心が旺盛で、感覚的で理論家、アカデミックでロマンティック、いろいろな顔を持ちながら、時代と、音楽と、これほど真摯(しんし)に向き合ってきた人はそうはいない。それが、坂本龍一だ。そんな彼を、われわれは、敬意と親しみを込めて「教授」と呼ぶ。

(2016年11月7日 記)

バナー写真:脱原発を訴えるイベント「NO NUKES 2013」で演奏する坂本龍一さん(時事)

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天辰 保文AMATATSU Yasufumi経歴・執筆一覧を見る

音楽評論家。1949年9月生まれ。1973年大阪外国語大学卒業。同年、新興楽譜出版社(現シンコーミュージック・エンタテイメント)入社。音楽雑誌の編集を経て、76年からフリーランス。北海道新聞で1999年より音楽コラムを連載中。その他毎日新聞、『CDジャーナル』、ウェブマガジン『大人のMusic Calendar』などさまざまな媒体に寄稿している。

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