
光を伝えるから、闇が際立つ:戦没画学生の絵を集めた「無言館」
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画学生の絵が窪島さんに無言館を作らせた
ところが、収集を始めてから数カ月たったある晩のこと、窪島さんは忘れられない体験をした。集まっていた10点ほどを、信濃デッサン館の6畳間に並べて保管していた。そこは窪島さんが普段寝泊まりに使っていて、その晩も絵に囲まれるようにして横になった。
夜半、絵から声が聞こえてきた。絵を描きたい。もっと、もっと描きたい――。眠りを妨げるほどの強い声。その時、窪島さんは思いを新たにした。
「絵は出来不出来ではない。これらはしょぼい絵だけど、コンクールに入賞したいとか、有名になりたいとかいう理由で描かれてはいない。絵が描きたいという純粋な思いで描かれた絵なんだ」
窪島さんは、野見山さんに電話した。「信濃デッサン館に飾るのではなく、彼らの絵を飾る美術館『無言館』を作りたい」と申し出た。
無言館という名は、構想と同時に頭に浮かんだ。窪島さんは、東京で始めた飲食店経営が高度成長の波に乗って成功し、一時は郊外にチェーン店を5軒も抱えるほどだった。太平洋戦争開戦の直前に生まれ、戦争によってもたらされた貧しい時期も経験していたが、戦後はお金もうけのことばかり考えて生きてきた。
「自分のような人間が、涙ぐみながら『弟の絵をよろしくお願いします』と言う人に向かって、何が言えますか。何も言えないでしょう」
遺族を訪ね、戦没画学生の絵を集めた美術館の趣旨を説明して協力をお願いする。絵を預かり、劣化していれば修復をする。そして、美術館自体を建てる。そのための資金を用立てる。窪島さんは野見山さんの夢を自分の夢に変えて、一切を引き受けた。
趣旨に賛同し、快く絵を提供する遺族は意外と多かった。すでに戦没者の親世代がなくなった頃でもあり、住宅事情などから保管に困っていた遺族にとって、“渡りに船”という事情もあった。一方で、絵がかなり劣化しているケースが多かった。「売名行為だ」などという批判も受けた。
それでも窪島さんは、北海道から九州まで全国を訪ね歩き、コツコツと収集を続けた。美術館建設のために借金をし、足りない部分は寄付金を募った。こうした努力を重ね、1997年5月1日、念願の戦没画学生慰霊美術館「無言館」がオープンした。37人分、87点の絵が集まっていた。
開館から20年、のしかかる厳しい現実
それから20年が過ぎた。無言館には現在、約130人分、約700点の絵が集まっている。取り組みを聞きつけ、全国から遺作が寄せられた結果だ。第2展示館はこの増加に対応するために建てられた。
しかし、それに反比例するかのように、来館者数は減少している。開館当初は平均で年10万人に達していたが、現在は4万人に満たない。財政的には厳しい状態が続いている。
戦後70年を過ぎ、絵は待ったなしに劣化する。しかし、700点全てに手を掛ける余裕はない。作者1人につき少なくとも1点は後世に残せるよう、修復したりレプリカを作ったりするのがやっとだ。信濃デッサン館を含め10人いるスタッフの人件費や、維持管理費も必要だ。加えて窪島さん自身は、美術館建設のローン返済に毎月60万円余りを支払っている。これは82歳になるまで続く。
窪島さんの心には、この20年で「後ろめたさ」も募った。無言館は悲劇の象徴として見られることが多いからだ。毎年8月になると報道関係者がこの坂を上ってきては、若くして絵筆を絶たれた画学生の悲惨な人生を強調する記事を出す。「忘れまい、無言館の絵を…!」といった調子だ。しかし、窪島さんはそれに疑問を持つ。
「画学生は、反戦・平和とか憲法9条のためにこの絵を描いたわけではないんです。ただただ、愛する人を描いた。そこにあるのは、絵を描く喜びだと思うんです」
戦争という闇を思い起こさせる道具として絵が使われていることに、亡くなった画学生はどう思っているのか。無言館が生身の人間の死に加えて、表現者としての死も強いているのではないか。こうした自問が後ろめたさを生む。
絶望と希望のせめぎあい
そんな窪島さんが「一服の清涼剤」と言って楽しみにする日がある。毎年4月29日、無言館で開かれる成人式だ。20歳であれば誰でも申し込みができ、ゲストが新成人一人ひとりに手紙を渡す。過去のゲストには、樹木希林さんなど著名人が名を連ねる。
成人式の午前中は無言館の見学に充てられ、新成人は思い思いに感想を残す。「俺はギターをやっているけれど、この人たちの絵を見たら、やってるなんて言えなくなっちゃった」「生まれて初めて家族のことを考えた」
窪島さんはコメントの一つひとつに、これぞ戦没画学生が伝えたいことだったと心の中で快哉(かいさい)を叫ぶ。新成人の感性が捉える無言館は反戦・平和の美術館ではなく、好きなことに没頭していた過去の若者に出会う青春の美術館なのだ。
もちろん、絵から何を感じ取るかに答えはない。「戦争の持つ絶望と、その絶望の中で絵を描いていたという若者たちの希望。絶望と希望がせめぎ合っているのが無言館」と窪島さんも話す。「どちらが正しい見方なのか結論は出ない。それが戦争のむごさ。せめぎ合いを無言館が伝えきって初めて、本当の戦争が伝わると思います」
来館者には、最初の訪問で戦争の悲惨さばかり目についても、2度、3度と再訪するうち、生きる喜びを感じ取っていく人が多いという。絵が好きだ、絵が描きたい、という画学生の声に耳をすまし、彼らの生きた輝きを感じた時、それを奪った戦争の闇が、見る者の心に真の強さで押し寄せる。
取材・文=益田 美樹
写真=花井 智子
戦没画学生慰霊美術館「無言館」
所在地:長野県上田市古安曽3462
電話:0268-37-1650
営業時間・休業日:午前9時~午後5時、毎週火曜日休館(祝祭日の場合は開館、翌日休館)
料金:一般1000円、高大学生800円、小中学生100円
(出所:上田市役所ホームページ)
参考文献
『「無言館」ものがたり』(窪島誠一郎著、講談社)『約束 「無言館」への坂をのぼって』(窪島誠一郎作、アリス館)