光を伝えるから、闇が際立つ:戦没画学生の絵を集めた「無言館」
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長野県上田市の上田電鉄塩田町駅から車で約10分。徒歩では息が切れそうな急な坂道を300メートルほど登り切ると、目指す美術館があった。吹き抜けていく風が、辺りの新緑を揺らしている。
目の前の建物が本館で、少し下ったところに、「傷ついた画布のドーム」と呼ばれる第2展示館がある。両者を合わせたのが、戦没画学生慰霊美術館「無言館」だ。
本館に入ると、やや暗いひんやりとした空間が広がっていた。中央まで進むと、空から見れば十字の形をした展示スペースになっていることが分かる。壁には整然と絵が掛かり、パレットや写真、手紙といった作者たちの遺品も通路に陳列されていた。
作品の大きさやモチーフは様々だが、それぞれの作者が、美術学校に在籍した学生、または独自に絵を学んでいた絵描きの卵だった点は同じだ。そして、彼らが戦争のために命を落としたという人生の結末も共通している。
作品ごとに、エピソードがある。
女性が横を向いて立つ『裸婦』。描いた日高安典さんは、戦地に出発する自分を送る会が沿道で始まってもなお、絵筆を置こうとしなかった。モデルである恋人に、「必ず生きて帰ってこの絵の続きを描くから」と言い残したが、フィリピンで戦死した。享年27歳。
肖像画『静子像』と、横たわる女性のデッサン『裸婦』。美術教師をしていた佐久間修さんが、妻をモデルに描いた。佐久間さんは勤労動員で生徒を引率して長崎県の航空学校へ行った時、敵機から爆撃され死んだ。享年29歳。この2枚を自室に飾っていた妻は、「私は戦後ずっと、こうやって修さんの絵に見守られながら生きてきました」と語っていたという。
5人がテーブルを囲む『家族』。作者の伊澤洋さんは栃木県の農家の出身で、家族全員が学費を工面して洋さんを東京の美術学校に入学させた。この絵を保存してきた兄は「うちは本当に貧しく、洋は心の中でいつもこういう風景を夢見ていて、それで描いたんだと思います」と述懐する。「伊澤家の代表選手のような男だった」洋さんは、ニューギニアで戦死した。享年26歳。
生き残った元画学生が無言館の種をまいた
東京都出身の窪島誠一郎さんが無言館を作ったきっかけは、洋画家・野見山暁治さん(96)との出会いだった。野見山さんは1942年に東京美術学校を卒業し、直後に戦争に行ったものの、満州で病気になって途中で帰国した経歴を持つ。
野見山さんは戦後50年が間近に迫る94年2月、窪島さんが同じ上田市で開いていた美術館「信濃デッサン館」を訪ねた。それは、窪島さんがほれ込んで収集した大正から昭和の夭折(ようせつ)画家の素描を展示する美術館で、野見山さんは催しへの出席のためにやって来たのだった。
野見山さんはこの時、才能のある画学生の多くが戦争で亡くなったと窪島さんに語った。戦争で傷つき、飢えに苦しみながら死んでいった仲間のことを、生きて帰ってきた野見山さんは半世紀にわたって思い続けていた。
「窪島君は早くに亡くなった絵描きの絵が好きなんだろう。放っておくと(今話した)彼らの絵はこの地上からなくなるんだよ」
これを聞いた窪島さんは、野見山さんに絵の収集を手伝わせてほしいと願い出た。何もかも手探りで、美術学校の卒業者名簿などを頼りに遺族を探すことから始まり、全国の一軒一軒を訪ねるという地道な作業が予想された。それでも、絵を消滅させたくないという衝動に駆り立てられた。
ただ、その時に窪島さんの頭にあったのは絵の収集だけで、美術館建設など思いもせず、「信濃デッサン館の一角に、戦没画学生のコーナーでも設けるか」と考えていた。しかも、実際に集め始めると、絵の多くは「今の芸術大学だったら入れないだろうな、この絵(の作者)は」という程度だった。夭折画家たちの天才的な絵にほれ込み、買い集めて美術館まで運営するようになっていた窪島さんの目には、画学生の絵は、当然ながらレベルの低い絵にしか映らなかった。
画学生の絵が窪島さんに無言館を作らせた
ところが、収集を始めてから数カ月たったある晩のこと、窪島さんは忘れられない体験をした。集まっていた10点ほどを、信濃デッサン館の6畳間に並べて保管していた。そこは窪島さんが普段寝泊まりに使っていて、その晩も絵に囲まれるようにして横になった。
夜半、絵から声が聞こえてきた。絵を描きたい。もっと、もっと描きたい――。眠りを妨げるほどの強い声。その時、窪島さんは思いを新たにした。
「絵は出来不出来ではない。これらはしょぼい絵だけど、コンクールに入賞したいとか、有名になりたいとかいう理由で描かれてはいない。絵が描きたいという純粋な思いで描かれた絵なんだ」
窪島さんは、野見山さんに電話した。「信濃デッサン館に飾るのではなく、彼らの絵を飾る美術館『無言館』を作りたい」と申し出た。
無言館という名は、構想と同時に頭に浮かんだ。窪島さんは、東京で始めた飲食店経営が高度成長の波に乗って成功し、一時は郊外にチェーン店を5軒も抱えるほどだった。太平洋戦争開戦の直前に生まれ、戦争によってもたらされた貧しい時期も経験していたが、戦後はお金もうけのことばかり考えて生きてきた。
「自分のような人間が、涙ぐみながら『弟の絵をよろしくお願いします』と言う人に向かって、何が言えますか。何も言えないでしょう」
遺族を訪ね、戦没画学生の絵を集めた美術館の趣旨を説明して協力をお願いする。絵を預かり、劣化していれば修復をする。そして、美術館自体を建てる。そのための資金を用立てる。窪島さんは野見山さんの夢を自分の夢に変えて、一切を引き受けた。
趣旨に賛同し、快く絵を提供する遺族は意外と多かった。すでに戦没者の親世代がなくなった頃でもあり、住宅事情などから保管に困っていた遺族にとって、“渡りに船”という事情もあった。一方で、絵がかなり劣化しているケースが多かった。「売名行為だ」などという批判も受けた。
それでも窪島さんは、北海道から九州まで全国を訪ね歩き、コツコツと収集を続けた。美術館建設のために借金をし、足りない部分は寄付金を募った。こうした努力を重ね、1997年5月1日、念願の戦没画学生慰霊美術館「無言館」がオープンした。37人分、87点の絵が集まっていた。
開館から20年、のしかかる厳しい現実
それから20年が過ぎた。無言館には現在、約130人分、約700点の絵が集まっている。取り組みを聞きつけ、全国から遺作が寄せられた結果だ。第2展示館はこの増加に対応するために建てられた。
しかし、それに反比例するかのように、来館者数は減少している。開館当初は平均で年10万人に達していたが、現在は4万人に満たない。財政的には厳しい状態が続いている。
戦後70年を過ぎ、絵は待ったなしに劣化する。しかし、700点全てに手を掛ける余裕はない。作者1人につき少なくとも1点は後世に残せるよう、修復したりレプリカを作ったりするのがやっとだ。信濃デッサン館を含め10人いるスタッフの人件費や、維持管理費も必要だ。加えて窪島さん自身は、美術館建設のローン返済に毎月60万円余りを支払っている。これは82歳になるまで続く。
窪島さんの心には、この20年で「後ろめたさ」も募った。無言館は悲劇の象徴として見られることが多いからだ。毎年8月になると報道関係者がこの坂を上ってきては、若くして絵筆を絶たれた画学生の悲惨な人生を強調する記事を出す。「忘れまい、無言館の絵を…!」といった調子だ。しかし、窪島さんはそれに疑問を持つ。
「画学生は、反戦・平和とか憲法9条のためにこの絵を描いたわけではないんです。ただただ、愛する人を描いた。そこにあるのは、絵を描く喜びだと思うんです」
戦争という闇を思い起こさせる道具として絵が使われていることに、亡くなった画学生はどう思っているのか。無言館が生身の人間の死に加えて、表現者としての死も強いているのではないか。こうした自問が後ろめたさを生む。
絶望と希望のせめぎあい
そんな窪島さんが「一服の清涼剤」と言って楽しみにする日がある。毎年4月29日、無言館で開かれる成人式だ。20歳であれば誰でも申し込みができ、ゲストが新成人一人ひとりに手紙を渡す。過去のゲストには、樹木希林さんなど著名人が名を連ねる。
成人式の午前中は無言館の見学に充てられ、新成人は思い思いに感想を残す。「俺はギターをやっているけれど、この人たちの絵を見たら、やってるなんて言えなくなっちゃった」「生まれて初めて家族のことを考えた」
窪島さんはコメントの一つひとつに、これぞ戦没画学生が伝えたいことだったと心の中で快哉(かいさい)を叫ぶ。新成人の感性が捉える無言館は反戦・平和の美術館ではなく、好きなことに没頭していた過去の若者に出会う青春の美術館なのだ。
もちろん、絵から何を感じ取るかに答えはない。「戦争の持つ絶望と、その絶望の中で絵を描いていたという若者たちの希望。絶望と希望がせめぎ合っているのが無言館」と窪島さんも話す。「どちらが正しい見方なのか結論は出ない。それが戦争のむごさ。せめぎ合いを無言館が伝えきって初めて、本当の戦争が伝わると思います」
来館者には、最初の訪問で戦争の悲惨さばかり目についても、2度、3度と再訪するうち、生きる喜びを感じ取っていく人が多いという。絵が好きだ、絵が描きたい、という画学生の声に耳をすまし、彼らの生きた輝きを感じた時、それを奪った戦争の闇が、見る者の心に真の強さで押し寄せる。
取材・文=益田 美樹
写真=花井 智子
戦没画学生慰霊美術館「無言館」
所在地:長野県上田市古安曽3462
電話:0268-37-1650
営業時間・休業日:午前9時~午後5時、毎週火曜日休館(祝祭日の場合は開館、翌日休館)
料金:一般1000円、高大学生800円、小中学生100円
(出所:上田市役所ホームページ)
参考文献
『「無言館」ものがたり』(窪島誠一郎著、講談社)『約束 「無言館」への坂をのぼって』(窪島誠一郎作、アリス館)