
小田原の茶製品・和紙の店「江嶋」—創業350年。事業を広げ、伝統も守る
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日本屈指の城下町に古風な商家
16世紀の戦国時代、有力大名後北条氏の本拠地として栄華を誇った神奈川県小田原市。東京都心から鉄道を使って1時間半で行ける小田原城の城下町として、国内外の観光客からの人気も高い。その中心地にある小田原駅から5分ほど歩くと、和の風情が漂う茶製品と和紙の店「江嶋」が見えてきた。
「実は30年ほど前、一度取り壊すことが決まったのですが、寸前になって取りやめになりました。お陰で戦前の店構えが残されたのです」
店内に入ると「江嶋」の17代当主、江島賢(えじま・けん)さん(50歳)がにこやかな表情で説明してくれた。この建物自体は1928年に完成。日本がバブル経済の好景気のただ中にあった1980年代後半に周囲の再開発計画が持ち上がった際、店の跡地をマンションと駐車場にすることが決まった。だが、近くの仮店舗に移った直後、そのバブルが崩壊したことで計画が頓挫。急きょ、先祖伝来の土地・建物に戻って営業を継続させたのだ。
小田原市の中心市街地にある「江嶋」。老舗らしい古風な和風建築がひときわ目を引く
創業は江戸時代初期の1661(寛文元)年。小田原の西方にある箱根の関所の役人をしていた江島家初代・権兵衛が、東海道筋の宿場町でもあった小田原に移って商売を始めたのが発祥だ。
「最初は、小田原の海辺で製塩業を営んでいたと伝えられています。権兵衛は今で言う“脱サラ”をして商人になりました。18世紀ごろの江戸中期には、江島家は障子や襖(ふすま)に使う和紙、そしてお茶や茶製品を扱うようになり、家業を大きくしていったのです」
江島さんによると、紙の行商のため当時の当主が小田原に近い駿河・遠江地方(現在の静岡県)を訪れた際、特産品として知られていた茶を持ち帰り、店頭で売り始めたところ大評判となった。一見すると無関係にみえる「和紙」と「茶」だが、今でも日本一との呼び声高い静岡茶にいち早く目を付けたのは正解だった。こうして、現在も主力商品である茶と和紙の商店としての歴史が刻まれることになったのだ。
関東大震災で壊滅的被害
そんな「江嶋」が最大の危機を迎えたのは、1923年に発生し、東京、神奈川を中心に10万人以上の死者・行方不明者を出した関東大震災だ。震源地だったとされる小田原は甚大な被害を受け、「江嶋」の店舗は全壊してしまった。
「一部は火災で焼けてしまったと聞いています。蔵も、江戸時代からの多く資料も失ってしまいました。しばらくは、道路向かいの仮店舗での営業を余儀なくされました」(江島さん)
それでも、間もなく賢さんの祖父にあたる15代当主の泰助(たいすけ)氏が再建に乗り出した。地震にも耐えられるような丈夫な建材を方々からかき集めて、5年後に店舗を完成させた。木造2階建て延べ195平方メートルの商家建築で、1階のひさしが張り出した「出しげた造り」が特徴だ。3000円あれば家が建つという時代に、2万1000円を費やしたという。
幸い、小田原は戦時中に空襲に遭わなかったこともあり、戦後、そしてバブル経済下の曲折を経て、現在まで「江嶋」の看板を掲げ続ける。2002年には、小田原市から地元の文化や産業史を伝える現役の店舗や工場を対象にした「街かど博物館」の認定も受けた。
この長きにわたる歴史の一端は、店舗内に設けられた歴史的資料の展示コーナーでも垣間見ることができる。ここには江戸後期から昭和にかけての「勘定台帳」や古銭、茶器、往時の店の写真、それに店舗完成時、建築に携わった左官職人、大工、庭師ら7人に慰労の印として配った特製の法被などが、ガラス張りのショーケースに飾られている。
店内の展示コーナーを前に、「江嶋」の350年余の歴史について説明する江島賢17代当主
展示コーナーには幕末から明治にかけての勘定台帳も。保存状態がよく、貴重な歴史資料だ
「江嶋」の家業は、戦後になって大きな転換点を迎えている。泰助氏が、親族の誘いを受けてプロパンガス(LPガス)の販売事業を立ち上げたのだ。
「あのころは木炭が主な燃料源だったのですが、戦後間もなく日本にプロパンガスが入るようになりました。祖父らは、小田原で真っ先に販売に乗り出したのです」
燃料の乏しい時代にあって、プロパン事業は急成長を遂げた。江戸時代に製塩から和紙、さらに駿河のお茶に注目したように、多角経営で積極的に商機を捉える家風を生かしたのだった。今では、親族が経営する関連会社「丸江」(本社・小田原)がこのプロパン事業を軸に展開し、生みの親である「江嶋」の店舗はその一事業部門として運営されている。25年前、16代当主の父泰(やすし)氏の死去に伴い家業を継いだ江島さんは、丸江の取締役とともに「江嶋事業部マネージャー」の肩書きも持つ。