長崎の光と影

聖フランシスコ・ザビエルの足跡と平戸でのキリスト教の芽生え

政治・外交 社会

長崎県北西部に位置する平戸は、1550年にフランシスコ・ザビエルが訪れて以来、日本のキリスト教の歴史に関わって来た。現在、百年以上の歴史を誇るものなど多数の教会があり、ポルトガルやスペインの宣教師達の足跡をみることができる。ザビエル布教活動を振り返りながら、重要な教会群を訪ねた。

存在感を示す教会群-「平戸ザビエル記念協会」

キリスト教禁止が明治政府によって正式に解除されたのは1873年だった。しかし、その後数十年間、起伏に富む地形の平戸にカトリック教会が建設されることはなかった。イエズス会も20世紀初めころまで布教のために日本に戻って来ることもなかった。

現在、長崎県には全体で約130の教会が存在するが、その内かなりの数が平戸にある。山林の風景の中で、坂を登りきり、急なカーブを曲がりきらないと見えてこないような場所に立つ教会もある。

その平戸でもっとも有名なのが「平戸ザビエル記念教会」で、1931年に建設された。もともとは、現在「愛の園保育園」のある場所に1913年にカトリック教会としての仮聖堂が建てられたが、献堂40周年の1971年に、聖フランシスコ・ザビエルの像が聖堂の脇に建立されたことから「聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂」とも呼ばれるようになった。2004年に正式名を現在の平戸ザビエル記念教会と改めた。教会の塔は平戸の多くの通りから見えるが、最も有名な景観は光明寺と瑞雲寺の間に塔がそびえている景観である。

平戸ザビエル記念教会のファサードとザビエル記念像

現存する最古の教会「宝亀教会」

平戸に現存する最古の教会は「宝亀教会」で、建設は1898年。さらに古い1891年建設の上神崎教会があったが、2014年に建て直しされた。宝亀教会の起源は、1878年に信者たちが現在の場所の西にある京崎地区に最初の御堂を建設したことにある。その後、1898年に現在の赤レンガのファサードと木材の側面壁という日本でも唯一のスタイルの教会が建設された。2003年には長崎県指定有形文化財に指定され、2010年には宝亀地区が国の重要文化的景観に選定され宝亀教会はその重要構成要素となった。

赤レンガのファサードと木材の側面壁の宝亀教会

鉄川与助による「カトリック山田教会」と「紐差(ひもさし)教会堂」

平戸の教会で注目されるのは、宗教関連建築の名高い建築家である鉄川与助が1912年に設計・建築した生月島の「カトリック山田教会」だ。生月島は隠れキリシタンの地として知られる。250年間の隠れキリシタンによる信仰もあって、長崎ではいまだに隠れキリシタン独特のスタイルを信奉する人達をもいる。

鉄川与助建築のカトリック山田教会

「紐差(ひもさし)教会堂」も、同じく鉄川与助が1929年に西欧ロマネスク様式を真似て建築した。1945年に原爆で破壊され長崎の浦上天主堂が再建されるまで、長い間、日本最大規模の教会だった。その白いファサードは、紐差の山に近づくとあちこちからかいま見ることができる。鉄川は教会内部に花を題材とした装飾をいろいろと施しているが、これは彼の建築ではよく見られもので、仏教の影響を受けたものと考えられるている。

平戸で最大の紐差教会堂

この他の興味深い教会には、1962年に学校の木造体育館の中に建築された「木ヶ津教会」がある。この教会は小規模で目立たないが、その内部には、長崎の原爆の被爆者で日本のキリスト教現代史の重要人物である故永井隆博士の描いた14枚の絵画『十字架の道行』が飾られている。

木ヶ津教会と故永井隆博士の描いた『十字架の道行』の1枚

平戸は長崎市と並び、建築分野では日本でもっともキリスト教の影響が大きな場所だ。中でも平戸の14の教会は特に歴史的に重要で、「隠れキリシタン再発見」150周年を記念して2015年から同地域のキリスト教・カトリック観光奨励コースに含められた。

長崎市と平戸の歴史的重点教会

  • 上神崎教会 1891年 (2014年に再建)
  • 宝亀教会 1898年
  • 古江教会 1899年
  • 大佐志教会 1911年 (1944年に再建)
  • 山田教会 1912年
  • 田平天主堂 1918年
  • 山野教会 1924年
  • 紐差教会 1929年
  • 平戸ザビエル記念教会(平戸教会) 1931年
  • 平戸口教会 1952年
  • 中野教会 1952年
  • 福崎教会 1954年
  • 木ヶ津教会 1962年
  • 壱部教会 1964年

(バナー写真:平戸ザビエル記念教会の像)

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