ターニングポイント1995年から20年、日本はどう変わったのか

為替政策では何も解決できない時代

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長年にわたり、日本経済を疲弊させたのは「円高」であるとされてきた。確かに、1995年をピークにした「超円高」は、製造業の海外移転を始め、強烈な産業空洞化をもたらした。しかし、はたして為替は原因だったのであろうか。国際収支のインバランス、先進国の慢性的成長率下落といった構造的問題の結果ではなかったのだろうか。そして、この根本問題に対する解決策を、現在われわれは持ち合わせているのだろうか。大蔵省国際金融局長、財務官としてプラザ合意、ルーブル合意を取り仕切った「通貨マフィア」である著者が激変の30年を振り返る。

マクロ経済政策で大きな効果を期待できなくなった世界で 

アメリカも、ギリシャや中国のような余計な話が起こるからますます出口は遠くなってきている。そうすると、アメリカですら金融政策以外にもう少し何かしなければいけなくなってくる。特に雇用市場を見ていると、金融政策に対するレスポンスという意味では昔とは大分、違ってきた。それほど敏感ではなくなってきている。既にアメリカでは構造的な低成長時代に入ったんだというような議論が出始めている。

成長というものに対する考え方を変えなければならないという方向が出てくるだろう。この状況が続けばみんな、「ああ、やっぱり、なるほどそうなのかな」と、そうなると無理をして成長率を高めるよりは、やっぱり低成長の経済というものに一体どうやって適応していったらいいかというふうに話が変わらざるを得ない。何をやっても昔のような意味での高度成長というのは、もうあり得ないとすれば、じゃあ一体我々は何のために経済活動をするんだと言ったときに、Quality of Lifeという話がもう既に出始めている。そういうふうにならざるを得ないんじゃないか。

例えば新興国は非常に気の毒だ。彼らは、せっかく成長がもたらすものをこれから享受しようと思っていたところが、それもできないで、まさに豊かになる前に年を取ったという状況になってしまう可能性がある。しかし、だからといって、それをもって、人類の前途にまで希望はないと考えるか、いや、それは新しい世界だと思うか。

経済というものは物的な拡大で量られていた。これまでの成長率の計算というのはまさにそれだ。しかし、今後そういうものでなくなってくるという可能性はある。

そう、Quality。経済学でいえばサービス、あるいはインテリジェンスというべきか、いろいろ見方はあるけれども、昔のような、Quantityだけで考える時代ではなくなったということは言えるかもしれない。

(談)

カバー写真=1985年9月22日、ドル高是正のための協調介入を決めた先進5か国蔵相会議のあと会見するベーカー米財務長官(提供・AP/アフロ)

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