ターニングポイント1995年から20年、日本はどう変わったのか

為替政策では何も解決できない時代

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長年にわたり、日本経済を疲弊させたのは「円高」であるとされてきた。確かに、1995年をピークにした「超円高」は、製造業の海外移転を始め、強烈な産業空洞化をもたらした。しかし、はたして為替は原因だったのであろうか。国際収支のインバランス、先進国の慢性的成長率下落といった構造的問題の結果ではなかったのだろうか。そして、この根本問題に対する解決策を、現在われわれは持ち合わせているのだろうか。大蔵省国際金融局長、財務官としてプラザ合意、ルーブル合意を取り仕切った「通貨マフィア」である著者が激変の30年を振り返る。

通貨戦争は起こらず……しかし、

もちろん、この間、例えばアメリカが、中国に対して人民元が割安だ、操作されていると言って怒ったりすることはあった。ただ、相手が先進国ならともかく、まだ途上国である場合には、それをもって相手が動く保証は何もないし、また実際にも動いていない。

2008年のリーマンショック以後は、国際的なメディアの上で、通貨戦争になるのではないかというのは声が起こったことがあった。だが、振り返ってみると、結果的にはその通りにはならなかったし、その見方も決して広がらなかった。

一時は途上国が金融緩和を行い結果として自国通貨安となった先進国に対して、世界経済戦争というような表現を使って怒ったこともあったし、また逆にアメリカの金融政策がテーパリングを視野に入れた段階で、反対の意味で、そういう声が起こりかけたこともあったが、やがて消えて行った。

要するに、意図的な為替相場政策というものが存在し、それが国際経済の不均衡を深刻化しているということではない、ということが世界中に浸透したのである。今後、またアメリカが金融引き締めに戻っていくと、恐らくドル高になる、それが今度は逆にアメリカの回復を妨げてしまって、再び国際的な不均衡が大きくなる、ということを言う人もいる。けれども、その政策は為替相場のために行われるものではない。むしろ為替相場は一つの結果として表れているに過ぎない。

金融政策でも出口にたどり着けず

それでは、俯瞰すると、現時点での経済政策の主流は、社会的に低成長からあるいはデフレから脱却するということが非常に重要と考えられており、そのためにまずは金利政策が使われたけれども、結局あまり効果はないということで量的緩和に移っていった。これも世界的に広がってしまって、ある意味、金融政策はもう出尽くしてしまった。ここまで来ると、これから必要なのは本当に金融政策なのであろうかと感じる。むしろ今までとは違ったミクロの話のほうが大事になってくるのではないか。そのような方向に動いているような気がする。

アメリカが非常にいい例だ。アメリカは確かにいち早く金融政策の活用を行い、しかも非常に思い切ってやったことがいい効果を生んだと思う。ただ、それは今の段階ではという話であって、これでもう本当にアメリカの経済というのは完全に正常化するのかというと全く分からない。「出口だ、出口だ」と言いながら、実はまだ全然出口に進んでいない。

日本も、あるいはヨーロッパも、アメリカに追随して金融政策の拡大、量的緩和を始めたが、まだ出口の話をするのは早い感じだ。日本とかヨーロッパについて言えば、そもそも量的緩和は本当に効くのかどうかはまだ分からない。

要するに日本でも正常な循環が始まるかどうかについては、日本銀行は非常に強気だけれども、まだどうか分からない。だんだん日本でも、これだけでいいという感じがない雰囲気が出てきた。

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