ターニングポイント1995年から20年、日本はどう変わったのか

日本のインターネットの幕開けと進化

技術 社会

村井 純 【Profile】

「日本のインターネットの父」と呼ばれるコンピューターサイエンスの第一人者が、日本におけるインターネット発展・普及の歴史的出来事を解説、今後を展望する。

Windows 95で一気に普及、浮き彫りになった活用面での課題

90年代初頭に日米で プロバイダーサービスが始まって、商用化、つまり実質的に企業がお金を出してインターネットのサービスを手に入れることができるようになった。そしてついにインターネットが個人まで普及したのが、Windows 95発売後の96年からだ。

1990年代後半には、米国でインターネット関連のソフトウェアを開拓してきたUCバークレーはじめ、インターネット開発をしていた大学の研究者はほぼ全員ビジネスを始めていた。基礎研究など、少し先を行く研究は、むしろ日本が中心となっていた。例えば、ブラウザーや電子メールの「国際化」(英語だけではなく各国言語を扱える)に関する技術革新や当時「次世代インターネットプロトコル」と呼ばれていたIPv6での通信は日本の開発が先導した。

1999年、日本がインターネット技術の開発をけん引すると自負していた頃のある日、SFCの同僚で経済学者の竹中平蔵氏が「村井さん、どうして日本はこんなにインターネットが遅れているの?」と問いかけてきた。

最初は何たる認識不足と思ったが、よく聞いてみると、こんな理由であった。「行政サービスも、企業も活用していない。これで日本の経済的な競争力をどんどん阻害し、日本の世界の中でのプレゼンスはどんどん落ちている」。言われてみれば、米国ではとっくに税金の申告がインセンティブプランとともにネットワークからできるようになっていたし、金融機関もオンライン・バンキングなどでスピード化、効率化が進行していた。

インターネットの商用化の時期では、日本は米国とほぼ並んでいたにもかかわらず、活用面ではパソコン通信時代からすでにパソコンを利用して行政サービスやビジネス展開を提供していたアメリカに大きく遅れを取っていたわけだ。日本では、大学の研究者とコンピューター関連の企業以外、インターネットの活用の可能性に全く関心を持っていなかった。むしろ拒絶する意識があることが調べてみるとわかってきた。

IT戦略で役所業務の電子化を推進

このことを認識してからは、総理官邸、政治家、官庁に度々説明に出かけるようになった。2000年、当時の森喜朗首相の下でIT戦略本部が発足、私も竹中氏も有識者メンバーとして参加した。(2001年、竹中氏は構造改革の推進役として小泉内閣の経済財政政策担当大臣に就任した。)

戦略会議での論議を経て、2000年9月にはE-ジャパン構想、11月にはIT基本法が制定、翌年1月に施行された。その目標には超高速ネットワークの実現、電子商取引の促進、行政の情報化の推進などが掲げられた。

だが、IT政策が始まっても、行政のIT化はなかなか進まなかった。たくさんの法律に書類と印鑑を使え、手続きは対面でなければならないと書いてあったからだ。たとえば、教師と生徒の対面授業に関する規定もあり、遠隔授業はできなかった。

そこで、すべての官庁が、管轄している法律で対面と書面とハンコを求めているものを洗い出したところ、約9000カ所あった。それらの法律にひとつひとつ「または同等の電子的な手段によって」という補足が埋め込まれた。効果がすぐに出たのが、商法の見直しだ。商法では取締役会は場所を限定していた。それが電子的な方法で遠隔参加ができるようになり、学校では遠隔教育が可能になった。

だが今でも、役所は紙でのやり取りを重視するし、中小企業ではIT化が遅れている。つまり、日本のインターネット技術はものすごく進化したし、インフラも整備されたが、それを十分に「利用する」という面では米国に遅れを取っていると思う。

グローバルネットワークの今後

インターネットの今後の課題を考えるには、インターネットがつくりだした国境のない「グローバル社会」と、国境で隔てられた「国際社会」の共存を考える必要がある。国際社会はインターネットというグローバル社会をどのように維持、発展させていくのか。

英語では必ず “the Internet” と定冠詞をつけて表記されるように、インターネットというのは地球でたった一つ、つまり、全てのものが地球上でつながっている状態のネットワークを指す。全人類がここにアクセスするのが理想であり、いまや全てのモノがここにつながるIoT(Internet of Things)が注目を集めている。

例えば、自動車のIoTでは、地球上の全ての自動車が同じネットワークでつながることになる。そのネットワークで何ができるのか。もちろん、自動車と自動車が直接データを送りあって衝突を避けることもできる。排気量など環境に対するインパクトも収集できる。そういったデータのグローバルネットワークをどう活用していくかをきちんと考えていくことが課題の一つだ。

最後に、最近よく問題にされるインターネットのセキュリティーの問題に触れるなら、結局は信頼性のあるサービスをどう提供するかという話になる。つまり、「品質管理」と「信頼性」であり、これは本来日本の腕の見せどころのはずだ。だが、現時点ではまだその力を発揮していない。

やがてグローバル社会のすべてのサービスは何らかの形でインターネット上での展開を利用することになる。品質管理と信頼性の高いサービスがより重視される時代に向かうはずだ。そのようなサービスの質を牽引するのは日本の大きな責任だと思っている。

タイトル写真=日本では1995年11月23日にWindows 95が発売、一気に普及した (Fujifotos/アフロ)。

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慶應義塾大学環境情報学部教授。1955年生まれ。1979年慶應義塾大学工学科卒業。1987年工学博士号を取得。1984年日本初の学術組織のネットワーク間接続「JUNET」設立。1988年にはインターネット研究コンソーシウム「WIDEプロジェクト」を発足させ、インターネット網の整備、普及に尽力。初期インターネットを、日本語をはじめとする多言語対応へと導く。「日本のインターネットの父」「インターネットサムライ」として知られる。著書に『インターネット』『インターネット新世代』(1995年/2010年、ともに岩波新書)、『インターネットの基礎』(角川学芸出版、2014年)等。

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