羊羹を「チョコレート」にする500年老舗企業・虎屋の挑戦が始まった
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過去や未来ではなく、大切なのは「今」
虎屋の創業は約500年前の室町時代後期。世界の中でダントツの老舗企業大国である日本の中でも、間違いなく飛び抜けた長寿企業の1つだ。
そんな老舗企業のトップなら、さぞ歴史と伝統の重みを日々感じながら仕事をしているのではないか。そのことを17代目当主の黒川光博社長(69)に聞くと、「歴史があり古い会社だとは思うが、なぜ古いと言われてもそれは結果論にすぎない」との答えが返ってきた。
「それよりも大切なのは、過去でも未来でもなく、『今』。すべては今この時代のお客様においしいと思っていただける菓子をつくり、喜んでいただくために、今なすべきことを実践していくことしかない」と話す。その上で、「今の時代に合った感性で絶えず新しさを生み出してこそ、現代に生きる虎屋になると考えている」と強調した。
しかし、「虎屋の歴史を強く意識されているお客様がいらっしゃる」のも確か。「お客様の中には、私どもに変わらないでほしいと期待されている方も多い。けれども商売ですから、生き残っていくためには、ある程度の変化も必要だ。その変化がお客様の期待度をあまり超えてはいけないということは考えます」。
六本木ヒルズにカフェ、ミッドタウンにはギャラリー
それにしてもここ10年間の虎屋の新規事業展開は目を見張る。和と洋の垣根を超えた菓子づくりに挑戦する「TORAYA CAFÉ」(六本木ヒルズ、2003年4月)、ギャラリーを併設した「とらや東京ミッドタウン店」(2007年3月)、作り立てを提供する和菓子屋の原点を目指した「とらや工房」(静岡県御殿場市、2007年10月)、今昔の集大成とも呼ぶべき「TORAYA TOKYO」(東京ステーションホテル2階、2012年10月)と矢継ぎ早にオープンしてきた。
TORAYA CAFÉでは、虎屋を代表する商品の羊羹は置いてないし、トレードマークののれんも掛かっていない。カフェの顔になったのは、羊羹の命とも言うべきあんとチョコレートを組み合わせた「あずきとカカオのフォンダン」だ。和菓子でも洋菓子でもない「新しいお菓子」が看板商品に座っている。
「これからの時代をどう生きていこうかと考えていたところに、『今までにない新しい街を六本木に作るに当たって、新しい虎屋が欲しい』との要請をいただいた。そこで、海外店での経験で考えていたことを思い切った格好で展開してみようと思った」(黒川社長)。それがTORAYA CAFÉだった。
4年後には六本木ヒルズから900メートルほど離れた複合商業施設・東京ミッドタウンに伝統的な虎屋を開店する。「カフェのような新しいことばかりでいいのかとも考えた。昔ながらの虎屋も21世紀にふさわしいかたちでお見せしたいと思った。そこでは徹底的に和にこだわってみたかった」。物販スペースと同居する形で、ギャラリーを併設し、「和菓子を取り巻く日本文化」を発信する場としても活用している。
同じ年には、東京から電車で2時間ほどの御殿場の自然の中で、製造過程を見ながら、気軽に和菓子を楽しめる「とらや工房」を開く。一番おいしい作り立てを食べてもらうのが狙いだ。和菓子屋の原点を追求した店で、どっしりした店構えの赤坂本店やTORAYA CAFÉとも違う。復元となった東京駅と同時に昨年10月に営業再開した東京ステーションホテルにも初のコンセプトショップ「TORAYA TOKYO」を出店。羊羹やフォンダンも品ぞろえした、いわば虎屋の集大成だ。
若者に和菓子の魅力をどう伝えるか
虎屋にとって大きな課題は和菓子があまり身近な存在でない若者層にその魅力をどう伝えるか。彼らに和菓子を好きになってもらうために何を、どうしていくか。黒川氏自身も富士銀行(現みずほ銀行)勤務を経て虎屋に入社して数年後に起こった第一次石油ショック(1973年)時に、「和菓子はこれからも続くのだろうか」と不安を抱いたという。
どら焼き、最中、金つば、羊羹など、伝統的な和菓子はどれも地味な存在。見た目の華やかさでは到底洋菓子にかなわない。しかし、和菓子には日本の四季を思い起こさせる姿や菓銘の響き、ほのかな香りなど繊細な感覚が重なり合っている。秘められた「物語」も埋まっている。知られていないだけだ。
もう1つは外国人に和菓子の存在をもっと知ってもらうことだ。黙っていても、少子高齢化で国内市場は縮小していく。それに比べ、海外はまだほとんど手つかず。植物性の原材料ばかり使ったヘルシーな和菓子が受け入れられる余地はあるはずだ。
そんな虎屋が1980年にはパリに出店している。決断したのは先代の黒川光朝氏だった。高田賢三や三宅一生がパリのファッション業界で注目を浴び始めていたとはいえ、日本への関心はまだ低かった。日本では知られた存在の虎屋も無名、もちろん和菓子を知る人もいなかった。そんな時代だった。
そのパリ店も今年で33年目。「今では8割が現地のお客様だ。オープン当時からずっとご家族できてくださっている方や、小さなときに親ごさんに連れてこられ、ご自分が親になられた今お子様を連れてきていらっしゃる方もある。虎屋の伝統や歴史をよくご存じでないフランスの方が買いに来てくださる姿を見ると、これから先、和菓子を食べていただけないことは絶対ないと思った」とも語る。
社長就任の翌々年(1993年)にはニューヨークにも出店したが、こちらは10年後の2003年に閉店。パリとは違って、建物を買ったことの経費負担が大きかった上、2001年には9.11事件が起こった。「パリでもお客様が増えてきたのは15年、20年たったころから。ニューヨークはその手前で退店してしまったため、社内にもリベンジしたいとの声がかなりある」と話す。
現在のパリ店は1997年に大改装されている。外装は石造りで、入口とショーウインドーの2つのガラス張りのアーチが並び、「とらや」ののれんがかかっている。生菓子、まんじゅう類がブテッィク(物販)の一番人気。羊羹、最中、干菓子といった伝統菓子やどら焼き、マカロンなどパリ店オリジナル菓子も好評だという。サロン・ド・テ(喫茶)では赤飯などの食事もできるほか、日本茶や季節の生菓子、まんじゅうなどもゆったりと味わえる。
経営目標を打ち上げることで見えてくるものがある
最近の黒川氏はパリ出店の経験を基に、「和菓子は将来も残る」との確信を深めているようだ。それを鮮明にしたのが「羊羹をチョコレートのような世界商品にしたい」との今後を見据えた言葉だ。
チョコレートの原材料は発酵させたカカオ豆を焙煎して種皮を取り除き、細かくすりつぶしたカカオマス。カカオマス自体は甘味がなく苦い。「チョコレートが世界に広まったのもカカオマスに砂糖や粉乳を加えておいしくしたためだ。羊羹についてもそういうところから研究している」。
羊羹を作るのに必要なものはどこで入手可能かを調べることから始めなければならない。地球温暖化の影響で質の高い小豆が安定して採れる環境が脅かされている。世界のどこで良い小豆が採れるのかをさらに踏み込んで調べてみるとか、それがどんな菓子に適しているかの研究も必要だ。
黒川社長の長男で、18代目を継ぐと思われる黒川光晴社長室担当部長(28)によると、食用の小豆は日本や中国、北米などの地域で植えられている。しかし、「やはり日本の小豆の品質が高い。土壌もあるが、種子が一番違う。ただ種子は国内外への持ち込み・持ち出し規制が厳しく、越えなければならないハードルは多い」という。
黒川社長は「文明開化で日本に入ってきた外国のお菓子を今のように当たり前に食べるようになるのにも、ある程度時間を要した。そんなに簡単なことではない。しかし、羊羹を世界商品にする経営目標を打ち上げることによって、やらなければならないことがものすごく見えてきた。世界に出ていくためには、人材も育てなければならない。国内的にもやることが山ほどある。企業目標として取り組んでいきたい」と力強く語る。500年老舗企業の新しい挑戦は既に始まっている。
シリウス・インスティテュート代表取締役 舩橋晴雄
【企業データ】
株式会社 虎屋
本社:〒107-8401 東京都港区赤坂4-9-22
代表者:代表取締役社長 黒川光博
事業内容:和菓子製造販売
資本金:2400万円
従業員数:878名(2013年6月1日現在)
ウェブサイト:http://www.toraya-group.co.jp/
写真=木村 順子 (Jana Press)
タイトル写真=虎屋赤坂本店の店構え