日本のラマダン:ムスリム企業マンのある一日
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阿武芝(あぶしば)バクルさんは、日本に帰化したエジプトとスーダンのハーフ。2004年に文部科学省奨学生として来日し、修士課程修了後、2008年に株式会社東芝に入社した。入社以来、火力・地熱発電設備の海外営業を担当している。日本在住12年あまり。日本で過ごした最初のラマダン(※1)は留学先の青森県弘前市で、周囲にはムスリムがいなかったので、一人ぼっちで断食し、寂しいイフタール(日没後、断食のあとの最初の食事)を迎えた。現在は、日本でのラマダン経験2回目のスーダン人の奥様と2人暮らしで、仕事を終えて帰宅すると、故郷の味のイフタールが調えられている幸せな毎日だ。
断食の一日
ラマダン月の阿武芝さんの一日は、飲食の一切を絶つ夜明けを前に、早朝2時半ごろに摂るスフール(断食前に摂る食事)から始まる。ファジュル(暁)の礼拝を行った後、もう一眠りしてから出社する。朝の通勤ラッシュに揉まれること約40分、3路線を乗り継いでの出勤だ。イスラム諸国では、ラマダン中は早く帰宅できるように勤務時間や学校の授業時間が短縮になるのが慣例だが、もちろん日本企業にそんな制度はない。しかし、東芝はフレックス制を採用しているので、体調にあわせて出社・退社の時間を自分である程度調整できるのが幸いだ。
断食中でも業務は通常通り、社内外での会議、報告書作成、担当地域である東南アジアの取引先との電話会議や、時には出張もある。普段からなるべく残業はしない主義だが、必要に駆られて夜9時、10時まで残業を余儀なくされることもある。ラマダン中は基本残業なしだが、会議などが長引いてどうしてもイフタールまでに帰宅できないときは、日没になったら水やジュースとデーツを口にして空腹をしのぎ、家に帰ってからきちんと食事するようにしている。出張の際には、移動日はイスラムの「旅行」規定にのっとって断食を中断し、その分は後日断食するが、出張先では現地時間にあわせて断食している。
会社の理解、周囲の協力
東芝には阿武芝さんの他にも、インドネシアやマレーシアなど東南アジア出身のムスリム社員が勤務している。
「入社したとき、会社側から『いま礼拝室を準備しているので少し待ってください』と言われて驚いた」と阿武芝さんは言う。阿武芝さんは半信半疑だったが、言葉通り、入社後まもなく浜松町の本社に礼拝室が設置された。阿武芝さんの上司の長家隆次グループ長によると「会社としてグローバルに社員を雇用していく関係で、ムスリム職員のために礼拝室を設置する便宜が図られた」とのこと。現在勤務している川崎にある東芝のスマートコミュニティセンターにも礼拝室がある。また、社員食堂ではハラールは未対応だが、材料を分かりやすくイラスト表示するなど、食事制限のある人がメニューを選びやすいように工夫されている。
周囲の理解と協力も大きい。東南アジア担当部署の同僚たちは、取引先の人がムスリムの場合もあるので、ラマダンについてはおおむね知っており、「今年のラマダンはいつからか」「断食時間は何時間か」「辛くないか」などと気に掛けてくれるそうだ。ただし、「一緒に断食してみませんか」との誘いには応じてくれない、と阿武芝さんは笑う。UAEに約8年間駐在し、現地で断食をした経験もあるという長家グループ長は、ラマダンの時期になると、「阿武芝君は昼食時間にも食事をせずデスクにいるので、その周辺で極力飲食はしないように」と周りの職員に伝えている。イフタールの時間までに帰宅できるよう基本残業なしなのは、会社の指示ではない。共に働くグループのメンバーの配慮と協力によるのだ。
(※1) ^ 「ラマダン」はイスラム暦9月の名称。イスラム教徒は、夜明け前から日没までのあいだ、飲食、喫煙、性行為や悪行など、あらゆる欲を絶つ「サウム(断食)」の行をおこなう。イスラム暦は太陰暦のため、1月の長さは月の観測状況により29日または30日となり、1年は西暦より11日ほど短い。
ラマダンの楽しみ
午後5時半、同僚より一足早く帰途に着く。途中で食後の紅茶用に生ミントを買い求め、日没まで残すところ30分という頃、家に到着した。奥様のハディールさんはキッチンで忙しく立ち働き、すでにイフタールのご馳走がテーブルいっぱいに並べられている。阿武芝さんがスーツからゆったりした伝統的な白い衣装に着替える間に、スープを温め、ジュースを注いで、食事の準備が整った。
午後7時、スマートフォンからマグリブ(日没)の礼拝を呼びかけるアザーンが流れだした。祖国のように地区ごとにモスクがあって、どこにいてもアザーンが聞こえてくるわけではないので、礼拝時刻を知るには専用アプリが欠かせない。
約16時間半の断食の後、まずはオレンジジュースで喉を潤し、デーツを一つ口にする。ハディールさんは、断食中のため味見せずに作った料理の塩加減を気にしていたが、阿武芝さんが「ちょうどいい」と保証すると、笑顔で料理を勧めはじめた。
「弘前大学で過ごした4回のラマダン月は、断食のことを何も知らない人たちの間で、1人きりで断食をしなければならなかった。ものすごく寂しかった」と阿武芝さん。青森では、日本語学科で学んだ標準語とは全く異なる津軽弁が理解できなくて最初はショックを受けたが、生まれて初めて雪を見て、スノーボードを楽しむなどの思い出もある。その後、東芝入社と共に移った東京では多くの同胞に恵まれ、断食の辛さも軽減、仲間とイフタールを共にする楽しみを味わった。さらに結婚してからは、「家庭の温かい環境のなかで過ごせる。もう寂しくない」そうだ。
ハディールさんは、ラマダンは「普段は帰りが遅い夫が毎日早く帰ってくるから嬉しい」という。家庭生活が仕事に優先するスーダン人のライフスタイルからすると、阿武芝さんの「仕事中毒ぶりには慣れない」と笑う。昨年のラマダンは、ほとんど日本語が分からない状態で買い物をし、料理をしてひたすら夫の帰りを待つ寂しい日中を過ごしていたが、今は日本人の友達もたくさんできたという。日本語学校に通っているので、勉強も忙しいそうだ。また、東京に住むスーダン人やエジプト人のコミュニティが開催するイフタールの会に夫妻で参加したり、家に友人を招待したり、逆に呼ばれることもある。
とはいえ、ラマダンならではの行事を日本で続けることに困難も感じている。例えば、スーダンではイフタールの後に母と近所のモスクへ行き、タラーウィーフ(夜の礼拝の後、夜明けまでの間に、預言者の慣行に倣って行う自主的な礼拝)をするのが習慣だったが、日本では近くにモスクがないので毎日通うのは難しく、自宅で礼拝をすることが多い。
日本語学校で学び始めて半年、今は漢字の壁にぶつかっているが、頑張って日本語を習得し、いずれは日本で仕事をしたいと明るく笑うハディールさんの笑顔が、どうやら家庭の温かさの源のようだ。
将来の夢
「阿武芝バクル」さんの元の名前は「アブ・バクル」だ。2012年に帰化をするにあたって、カイロ大学で日本語を学んでいた頃から使っていた漢字表記の「阿武」に、当時住んでいた地区名の「芝」と勤務先の「東芝」から一文字もらって、日本名を「阿武芝」と定めた。日本国籍を取得したのは、修士課程修了後、一般の日本人学生と同じ枠で就職し、中東と取引をしていて家族もよく知っている大企業・東芝で仕事をするうちに、「この仕事を将来も続けたい、今後も日本に住みたい」と思うようになったからだという。
「普通の日本人より日本語能力が高い」と上司が評価する阿武芝さんだが、自分ではもっと日本の考え方やスタイルを理解したいと感じている。日本では「自分の意見やアイディアを生かしつつ、他人の意見やアイディアも尊重して、最終的にチームのためにいいことを皆で見つけ出す」一方で、「他人を頼らず自分のことは自分でやる」という、チームワークと個人の責任の両方を学んだ。
幅広い経験を積んでほしいという会社の人材育成方針で、現在はアラビア語を全く使う必要のない東南アジア担当だが、将来は、「できれば、東芝の中東拠点の責任者として、日本の働き方と中東の文化・宗教の両方をバランスよく理解し、調整する役割を担いたい」そうだ。
世界のムスリム人口は約16億人。日本社会を深く理解する阿武芝さんのような人材は、今後、日本とイスラム諸国とのビジネスや交流に大きな力を発揮してくれることだろう。 取材・文=加藤 恵実、ムハンマド・ハッサン(ニッポンドットコム編集部)撮影=ニッポンドットコム編集部