日本で見つけたイスラムの世界

戦前の日本におけるイスラム交流

社会 文化

サミール・アブドルハミード・ヌーフ 【Profile】

日本を訪れる東南アジア諸国などからのムスリム観光客の増加にともない、礼拝所の設置やイスラムの戒律に則ったハラールへの対応が広がり始めている。イスラムに対する理解の一助として、本稿では、日本を訪れたり住んでいた外国人ムスリムや、日本人ムスリムの手になる記録を通じて、戦前の日本へのイスラム伝来とラマダンについて振りかえる。

外国人ムスリム・コミュニティーの形成とモスク開所

20世紀初頭に日本を訪れたムスリムの残した記録や、発行されたイスラム関係の雑誌には、ラマダン月や断食についての言及はない。ラマダン月の催しは、ムスリムのコミュニティーが存在し、そのメンバーが共に祝う準備をする必要がある。しかし、おそらく、日本には外国人ムスリムのコミュニティーがまだなかったことが、その主たる理由だろう。しかも、ごく少数のイスラムに関心を持った日本人は高齢者が多く、イスラム思想やイスラム法ではなく、イスラムの輝かしい歴史的な側面にひきつけられた者が多かったからではないだろうか。

しかし、インドやタタールスタンなどの地域からムスリムが日本へやってくるようになると、外国人のムスリム・コミュニティーが形成されていった。

神戸に出来たインド人ムスリムのコミュニティーは、神戸モスクの建設に尽力した。一方、タタール人は、日本政府の許可を得て1920年にロシア、中国や韓国から約600人が移住してきた。1928年10月に、アブドルハイイ・クルバン・アリーの指導の下、日本のムスリム代表者会議が開催され、それに先立つ1927年には東京に最初の日本・イスラム学校が開校している。学校は神戸や名古屋にも開校され、1931年には学校や印刷所を含むタタール・イスラミック・センターが設立された。文献によれば、1932年に日本と韓国へ到着したタタールからのムスリム移民の数は3千人以上に及んだという。

在日外国人ムスリム・コミュニティーのメンバーが増えていくとともに、モスク開所の必要性も高まった。

こうして、1934年11月に神戸モスクの礎石が置かれた。翌1935年8月2日には最初の礼拝が執り行われ、開所式典が盛大に開催された。大阪毎日新聞は1935年10月11日付紙面で、モスクに関する特集を組み、他紙もモスクの写真を多数掲載した。1938年、預言者ムハンマド生誕日にあわせて執り行われた東京ジャーミィの開所式典についても同様に新聞などで報じられた。

日本人ムスリムが著した書籍に見るラマダン

戦前、イスラムに改宗した数名の日本人が、イスラムを紹介する書物を著している。

鈴木剛著『メッカ巡禮記』の表紙(写真:筆者提供)

3度の巡礼を果たした鈴木剛は、巡礼についての論文『ラマザンの断食』を著し、1938年11月1日発行の回教圏攷究所機関紙『回教圏』に掲載された。また、著書『メッカ巡禮記』の序文では、一段落を断食とラマダンに関する記述に割いている。

また、大久保幸次は1942年6月1日に『南洋経済研究』誌に『回教の断食』という題の論文を発表した。

ヌール・ムハンマド田中逸平は、日本におけるイスラム研究の真の先駆者といえる。日本語で複数の書物を著し、そのうちの何冊かはアラビア語へ翻訳されているが、彼は自身の経験に基づき、ラマダン月について次のように書いている。

「ラマダンの断食は、全てのムスリムとムスリマの義務である。・・・ムスリムは食物と飲み物を絶ち、断食中には配偶者と関係を持たず、飲食に対する欲望を感じない。」

「祝福を受けた月であるラマダンに、聖典クルアーンは下された。ラマダン月には、イスラムの教えをあまり重視しない人々も、断食の行を遵守する。この月には信仰心が増し、タラーウィーフの礼拝中に聖典クルアーンを通読しようと願うのである。人々は信仰心を高めることで罪から清められると感じる。」

「特にラマダン月の最後の10日間には、ライラ・アルカドルという日があり、人々はアッラーに許しを乞い、状況を正してくださるよう願うのである。そして、ムスリムはラマダン月が過ぎると喜びと幸福を感じ、断食の辛さや困難を全て忘れる。」

また、論文『巡礼とムスリムの生活』では次のように記述している。

「断食は、日々の仕事を行い、いつもどおりの生活を送りながら実施するものであって、家でくつろいだり眠っている人間が断食するわけではないのである。断食中の人が、仕事に励み、定められた礼拝を行うのは義務であり、ラマダン月に多くの礼拝をすることが推奨される。故に、断食の行は高齢者や弱者にとっては困難が伴うのである。」

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サミール・アブドルハミード・ヌーフSamir Abdel Hamid I. NOUH経歴・執筆一覧を見る

同志社大学神学部神学研究科客員教授、一神教学際研究センター監事。専門は東洋言語(アラビア語、ペルシア語、ウルドゥー語)、比較言語学、東洋文化。カイロ大学で教鞭を執り、1982年、東京のアラブ・イスラーム学院に移る。1986年にイマーム・ムハンマド・ビン・サウド大学(リヤド)に移り、2004年より同志社大学の任期付教授。著作に、日本におけるイスラムと宗教、武士道とイスラム文明の価値など。

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