シンポジウムリポート

小倉和夫氏基調講演「文化外交は世界の公共財」

政治・外交 社会

日中国交正常化40周年記念ワークショップでの小倉和夫氏の基調講演は、日本の文化外交の歴史と今後の日中関係の発展を述べた上で、新しい時代の課題として、世界全体に視野を広げた文化交流の必要性を強調した。

90年代以降、共通の価値観、アイデアを共有

まず、第二次大戦後の約50年間の日本の文化外交を振り返ってみる。日本の文化外交の第一段階とも言える1950~60年代は、日本が平和的、民主的な国家だというイメージを世界に広めることが目的だった。そのため、生け花、お茶など平和な日本のイメージを世界に強調した時代だ。

1970年代には、経済成長した日本をどのように世界に訴求するかが日本の文化外交の中心となった。オリンピック招致や文化センターの開設、さらに、日本研究支援のために国際交流基金が設立された。

1970年代半ばには、日本の急激な経済進出がアジアで問題になった。その結果、「日本は経済的な利益ばかりを追求しているのではないか」、「我々のことを理解してくれていないのではないか」という声が東南アジア諸国を中心に数多く上がるようになった。これではいけないと、日本の新しい文化外交は双方向通行を目指した。日本のものを紹介するだけではなく、相手国のものを日本に紹介する、双方向通行を非常に重視した。中国では、北京に日本語研修センター、いわゆる大平学校ができた。文化外交は一方的な宣伝ではなく、交流することが本質という考え方だ。

1980年代には、文化交流を超えて日本が国際社会の責任あるパートナーとして、貢献をしているイメージを訴求することが重要になった。そのため、文化交流に加えて、文化協力という概念が新しく加わった。交流だけでなく、相手国の文化を尊重し、相互に繁栄するために協力していく姿勢が大事だということだ。

しかし、1990年代以降になると、「日本のアイデンティティーは何か」が重視された。つまり日本は国際社会に貢献するイメージを定着させたが、その先に何があるのか、日本はいったいどういうビジョンを持つ国なのかが、非常に重視されるようになった。

例えばマンガやアニメ、ファッションなどに込められている価値観(日本で若者文化ともいわれているものの中に流れているもの)を世界と共有していく大事な時代に来ているのではないか。逆に言えば、大衆文化が互いに交流し、日本文化の紹介や相手国の文化理解を超えて、共通の若者文化や世界に共通の一つの文化現象が出てきているのではないか、それをみんなで分かち合っていこうという考え方が出ている。中国で言えば「ふれあい広場」(※1)で、現代日本を紹介するが、同時に現代日本の文化が実は日本独自のものというよりも、中国のもの、世界のものであるという時代に突入していると思っている。そこで、日中関係を考える上で非常に大事なことを日本の文化外交を超えて、いくつかのポイントにまとめて提示したい。

小倉和夫氏

 

日中ともに過去のしがらみからの解放を

今後の日中関係を考えるとき、政治面、経済面と文化面とを分けなくてはいけない。

政治面では、日中関係を過去から解放することが大事だと思う。これはどういうことかと言うと、日本や日本人は、中国人の考え方、中国の苦しみ、損失に対して深く理解する必要があるということだ。

「軍国主義者と日本国民は別である」。これは周恩来総理や毛沢東主席が非常に強調された考えだが、「日本国民も中国人民も共に戦争の被害者である」との観点を忘れると問題が起きてくる。もちろん、軍国主義者とは誰かというのは非常に難しい問題で、軍国主義者と人民を分ける区分論は、決して易しいことではないが、中国はこれで国民感情というものを処理してきた。その中国の苦しみ、歴史を日本人はよく理解しておく必要があると思う。

日中関係は日本と中国の間の二国関係だけではなく、アジア、世界のものであることを日本と中国が考えることが非常に大事であると思っている。私は今2020年の「東京オリンピック・パラリンピック招致委員会」の評議会事務総長をやっているが、1988年の韓国、2008年の北京、それから2020年は東京、2030年代にはASEANでオリンピックをやりましょう、というような外交のビジョンが非常に重要だと思っている。日中関係はアジア、世界の問題であるだけに、地球的な課題、エネルギーや環境問題について一緒に仕事をしていくことが非常に大事だ。

政治的なパイプ断絶は慎重に

また、政治的に重要なことは、コミュニケーションの断絶自体を政治的行為として使用しないこと。これはパブリックディプロマシー(※2)にとって根本的にいけないことだ。ケンカすることがあっても話し合う、ケンカする理由があるからこそ会って話し合うということが大事だ。

しかし現実には、コミュニケーション断絶を政治的行為として使用することが時々ある。これは、慎重に考えなくてはいけない。ケンカをしても話し合う、だからこそパブリックディプロマシーが成立するのであって、会わない、面談しないとなれば、パブリックディプロマシーをやっても意味はなくなる。

日中の文化は世界の文化財

文化面では、文化政策を民族精神高揚の手段として使うことを完全に止めなくてもいいが、慎重を期すべきだ。中国の文化は中国人だけのものではない、世界のものである。日本の文化も日本人だけのものではない、世界のものである。つまり文化財は、世界の共有財産である。

私は、周恩来総理がヨーロッパに留学した際、民族主義、個人主義の国際化、国際主義を身につけられたことを学ぶべきだと思う。いろんな人が狭い民族主義に陥りやすい。特に文化交流では、「これは日本文化である、日本の文化を世界に広めましょう」ということばかり重視する人が多いが、これは間違いだ。日本の文化を世界に広めるのは、それが世界の共通の財産だからという考えが必要だ。中国文化も同じ。ここが非常に重要な点で、ここを間違うと今後の文化政策は、根本から誤ってしまうと私は思う。

今後の課題は文化的な日中共同制作

今後、日中間で行うべきことは、文化的には共同制作、共同公演、あるいは共同研究の実施である。しかし、実はそう簡単ではない。例えば、「映画を一緒に制作しましょう」と言っても、映画監督や、プロデューサー、それから俳優、作家の四者の関係は、日本と中国では全然違う。このため、映画を制作する際に、映画のつくり方を巡り日中双方がケンカすることがある。国を超えての共同作業は決して易しいことではない。お互いの違いを理解しておかないと文化交流、共同制作はなかなかできない。

最後に、趙啓正主任が文化外交の重要性について話されたが、まさにその通りだと思う。かつては日中友好の敵味方がはっきりしていたが、文化外交の時代は、どうも敵がはっきりしない。誰が敵なのか、反対者なのかよく分からない。こういう時代に民間外交をする場合、誰がイニシアチブをとって、どうやるのか、なかなか難しい問題がある。現在、日中友好七団体というのがあるが、民間外交の中で、その役割を再定義することが必要になると考えている。

日本人の中国人に対する見方は非常に変わってきている。それは中国が大国になってきているからで、強い人、豊かな国に対して人は、好きになると同時に警戒心も持つ。米国に対しても同様だ。日中関係が深まれば、ケンカすることも起こるだろうが、そのこと自体は長期的に見れば、私はあまり気にする必要はないと思う。しかし、その中で、大衆、民衆などに直接働きかけることが非常に大事な時代に突入しているのではないかと考えている。

左より王敏氏、小倉和夫氏、趙啓正氏

 

(※1) ^ 中国語名「心连心」。独立行政法人国際交流基金日中文化センターが日本と中国の将来を担う若者たちが未来を共に創るため、心と心を結び合う(心連心)交流の機会と場を設けることを目的に行っている事業。

(※2) ^ ここでは、趙啓正氏が提唱している「公共外交」、「民間外交」を指す。

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