金融政策への依存に警鐘:前日銀総裁・白川方明氏インタビュー

経済・ビジネス

2008年~13年の激動の時代に日銀総裁を務めた白川方明氏が、退任後初の著書「中央銀行 セントラルバンカーが経験した39年」(東洋経済新報社)を上梓した。日銀が果たすべき役割とは何なのか、総裁としてどんな思いで政策運営に当たっていたのかインタビューで聞いた。

白川 方明 SHIRAKAWA Masaaki

青山学院大学国際政治経済学部特別招聘教授。東京大学経済学部卒。72年日本銀行入行。企画局企画課長、大分支店長、審議役を経て、2002~06年日銀理事。理事退任後、京都大学公共政策大学院教授。08年3月日銀副総裁、同年4月~13年3月日銀総裁。11~13年国際決済銀行理事会副議長。13年9月青学大国際政治経済学部特任教授を経て、18年9月より現職。

円高の悲鳴一色は日本の悲劇

——著書では現職の時にコメントしにくかった金融政策と為替レートの関係を詳述している。為替レートの日本経済への影響をどのように考えていたのか。

為替レートの変動が日本経済にどのような影響を与えるかは常に注視していた。ただ、為替レートは経済・金融の動きの中でおのずと決まる変数であるにもかかわらず、これだけを単独で取り出し、その影響を論じることは不適切だと思っていた。まして、短期金利がゼロで、長期金利も世界で最も低い水準にあった日本は、自らの金融緩和政策で内外金利差を縮小することはできない状況にあった。このことは、当時も、今も正確に理解されていない。日本銀行が積極的な金融緩和政策を行えば円安に誘導できるはずという経済観が相変わらず根強いと感じている。

総裁当時、円高による産業空洞化論議が強く叫ばれた。しかし、海外でマーケットが拡大している時に、企業が消費地に近い国で生産するのは、合理的な選択であり避けられない。そうした大きな流れの中で、為替レートの変動は海外進出のタイミングを左右するが、生産拠点の立地を決定する最大の要因は、為替レートではなく、日本経済と世界経済の成長率の差だ。

日本では過度の円高の弊害は活発に議論されるが、過度の円安の弊害についての議論は少ない。その典型が2004~07年の円安局面。電機、自動車を中心に生産拠点の国内回帰が起きたが、長い目で見ると、海外進出すべき時期に国内回帰が起きたため、その後の過度の円安が修正される局面では、当時の国内での過大投資がその分大きな調整負担となった。

なぜ、日本では、これほどまでに円高を忌避するのか。本来、円高も円安もそれぞれグループによって歓迎する人もあれば、反対する人もいるのが自然な姿だ。にもかかわらず、円高忌避の声が圧倒的に大きくなるのか。一つの理由は、輸入と異なり輸出は少数の大企業に集中しているため、実態以上に円高による「痛み」の声が大きく世の中には出がちとなることだ。

国民は輸出企業の従業員であるケースもあるが、円高によってメリットを受ける輸入企業の従業員であるケースもある。そして何よりも、国民は消費者としては円高のメリットを享受する立場にある。しかし、国民の平均的な声を反映するはずのマスコミに表れる世論は、円高に対する悲鳴一色である。これは日本の悲劇だと思う。

国債買い入れ拡大の緩和効果は限定的

——2010年の包括金融緩和は、当時の厳しい経済情勢を踏まえた上で日銀として取り得る最大限の金融緩和策だった。発表当初は大きな驚きをもって迎えられたが、すぐに人々の意思の中で常態化する。やがて米国の量的緩和のスピードに追随してさらなる国債の買い増し、マネタリーベースの拡大を要求する声が強まっていくばかりだった。

金融緩和政策の効果の源泉は、金利水準全般が引き下げられることにある。では、国債の買入額の「量」を増やすことに意味があるのか。買い入れの増額が長期金利の低下をもたらせば、その程度に応じて効果はあるが、長期金利の低下余地がなくなってくると、その効果も小さくなってくる。それに何よりも、金利低下の効果自体、将来の需要の「前借り」であり、需要の総量を高めるものではない。

当時、「量を増やすことは、それだけ日銀は金融緩和に本気だということを示している。そうした本気が示されれば円安になる」という議論がよく聞かれた。しかし、本気であろうと、なかろうと、日銀は内外金利差を拡大することができない位置からスタートしている以上、世界経済が停滞すれば、海外金利の低下によって内外金利差は縮小し、円高となる。日銀が通貨量を米国に追随して拡大したところで、円安になるわけではない。逆に、世界経済が回復に向かえば、海外金利上昇から内外金利差は拡大し、円安となる。

国債買い入れにはそれなりの意味はある。しかし、金融緩和政策を物価や為替レートに強くリンクするようなロジックを採用すると、日本の財政の状況が悪化していることとあいまって、際限のない国債買い入れに追い込まれ、(悪化した財政が金融政策の方向性を制約する)「財政支配」の状態に陥ることになる。そうなると、金融政策を経済・金融システムの安定という本来の目的のために実行することはできなくなる。そのような事態を強く懸念していたので、金融政策のロジックには細心の注意を払った。

——財政支配への懸念を一般の国民や政治家は理解できないのだろうか。

決して理解していないわけではないと思う。おそらく一般の国民は、精緻な理論はともかく財政によって金融政策がゆがめられる事態の危険性は直感的に理解していると思う。また、日銀が大量の国債を買って、資金を供給すれば、それだけで経済が良くなるとも思っていなかったと思う。

ただ、多くの政治家、エコノミスト、マスコミによる「日銀の金融政策が消極的であるためにデフレや円高が生じている」という議論を頻繁に聞かされると、「大胆な金融政策」を試してもいいという気分が広がっても不思議ではないと思う。この点で、総裁を辞めた直後、ある有力な企業経営者が、「お金をバラまけば経済が良くなるという議論を聞くたびに、自分が一生懸命やっている仕事の価値を否定されたような気分になる」と話していたのが印象に残っている。それが一生懸命仕事をしている企業経営者の健全な感覚だと思う。

出口で問うべきは財政の持続可能性

——総裁在任時には、多くの政治家やエコノミストが「デフレは貨幣的現象である」と主張し、日銀の「消極姿勢」を批判する際のキャッチフレーズとなった。

「デフレ脱却」「デフレ克服」という言葉が、世の中の空気を支配したことと関係している。そもそも、デフレという言葉が非常に曖昧で多義的だったことが、金融政策の議論を曖昧にしたと思う。政府やエコノミストは物価の下落と定義した。他方、国民は物価下落をデフレと表現したわけではなく、自分たちの生活の不安をデフレという言葉で表現したと思う。国民の言うデフレはエコノミストの言うデフレとは違う現象だが、この言葉は1930年代を連想させる訴求力を持つマジックワードだった。

加えて、海外の経済学者の日本経済に対する理解不足が影響している。日本が直面している問題は物価が上がれば解決するとかいう問題ではないにもかかわらず、誤った認識に基づいて、声高にデフレ脱却と大胆な金融緩和政策の手法を提案し、議論していた。

あれほど日本経済の問題を金融政策で解決できると議論されると、国民も影響を受ける。国民は金融政策だけで解決できるとは思っていなかったと思うが、「金融政策である程度解決できるのなら、やってみてはどうか」と思ったとしても、不思議ではない。

最近は、マネタリーベース(資金供給量)を増やせばデフレや日本経済の問題が解決するという議論を聞くことはさすがに少なくなった。しかし、「もっと量を増やせば効果が出てくる」とか「本当は効果があったのだが、永年のデフレの結果、デフレ心理が染みついているので、物価がなかなか上がらない」という見方もある。非伝統的金融政策、量的緩和政策の効果に関する評価が大きく変わったかと問われれば、まだ変わっていないと思う。

そう思う一つの理由は、先ほども述べた金融緩和政策と為替レートの関係を巡る誤解が解消していないことだ。2012年夏以降の円の為替レートの動きを左右している最大の要因は世界景気の動きだったが、この点はまだ十分には理解されていないように思う。

——日銀の非伝統的金融政策の出口論の視点・考え方について伺いたい。

現在の金融政策についてはコメントしない。総裁在任時に考えていたこととして言うと、非伝統的金融政策からの出口論は、本質的には金融政策の技術論に関するものではない。金融政策に関する出口は技術的には難しいことではなく、日銀当座預金の付利水準を引き上げることで実行できる。この点では、付利制度がなかった06年の量的緩和の出口とは全く事情が違う。

出口の難しさは、長期にわたる低金利が続くことを前提に、さまざまな「ポジション」が形成されていることだ。国債市場ではポジションの巻き戻し=金利上昇が起こり、国債を保有している金融機関経営への影響が出る。為替市場では円高方向の動きを生む。その結果、金融システムの安定に影響が出るし、物価上昇率が低下する。最大の問題は、長期金利上昇に伴う財政バランスへの影響だ。そうしたことを恐れると、金融緩和をずっと続けるしかないということになり、そのことがさらに現状を固定する。真剣に考えるべきは、財政の持続可能性だ。それが最大の出口論であって、金融政策の出口論ではない。

今、日本経済が直面している問題は金融政策では解決できず、生産性向上に向けた取り組みが不可欠だ。以前から分かっていたことではあるが、この点に関する認識が近年、徐々に高まっていることには勇気付けられる。

「民意」を無視することはできない

——民主主義社会において、中央銀行は国民・政治家からどこまで権限が付託されていると考えるべきなのか。

先ほども述べたように、国民がデフレや金融政策に関する精緻な議論に基づいて投票を行っているわけではないと思うが、2%の物価目標を掲げ大胆な金融政策によって2年以内の達成を求めた政権が2012年12月の選挙で国民の圧倒的多数によって支持されたという事実を全く無視することはできない。

日銀は国家の外にある別の存在ではない。また、日銀を含め中央銀行がいつも正しい判断をしているかと問われれば、間違うこともある。しかし、同時に日銀は物価の安定と金融システムの安定に努めるよう日本銀行法で求められている。日銀はさまざまな声や考え方に耳を傾けた上で、物価と金融システムの安定に最も貢献すると判断する政策を実行する責任を有している。

物価と金融システムの安定に強い責任を持って取り組むということと、それがある種の傲慢に陥らないようにする感覚を持つという微妙なバランスが要求されている。物価と金融システムの安定のためにやっていても、客観的にみると「それはあなたの単なる思い込みではないか」という批判もあり得る。私は決して「中央銀行無謬説」に立っていたわけではない。

将来、どういう金融政策を採用するかは、その時の日銀の政策委員会が責任を持って決めることだ。ただ、日銀と政府との間の不適切な約束によって、将来、政策委員会が適切と判断する政策を採用しようとしても遂行できなくなる事態だけは絶対に回避しなければならないと思った。そのため、日銀として譲ることのできない基本原則は政府との2013年の合意文書に全て明記した。最も大事な基本原則は、日銀はバブルをはじめ経済の持続的成長を脅かしかねない金融的不均衡の点検を行いながら金融政策を行うことや、政府が経済財政改革にしっかりと取り組むことだ。

取材・構成 : ニッポンドットコム シニアエディター桑原 稔(インタビューは2018年11月15日、東京・虎ノ門のnippon.comで行った)

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