沖縄県知事選:玉城氏を選んだ「県民の思い」とは

政治・外交

米軍基地の名護市辺野古への移転「反対」を明確に示した玉城デニー氏の大勝に終わった沖縄県知事選。地元紙・沖縄タイムスで日々取材を続ける筆者は、選挙結果について「翁長氏の弔い合戦」だけではなく、県民の強い思いが反映されたものだ、と指摘する。

辺野古移設への態度の違いがそのまま結果に

沖縄県の翁長雄志前知事(享年67)の死去に伴う知事選挙が9月30日投開票され、翁長氏の遺志を継ぐと明言してきた前衆院議員の玉城デニー氏(58)が初当選を果たした。過去13回の知事選で最多となる39万6632票を獲得し、政府と国政与党が全面的に支援した前沖縄県宜野湾市長の佐喜真淳氏(54)に8万174票の大差をつけた。

4人が立候補し、玉城氏と佐喜真氏の事実上の一騎打ちとなった。2人の政策の大きな違いであり、最大の争点となったのは、宜野湾市の米軍普天間飛行場を、約50キロしか離れていない同じ沖縄県の名護市辺野古へ移設する政府の計画に対するスタンスだった。

玉城氏は、「反対」の意思を明確に示した。佐喜真氏は、推薦を受けた沖縄の公明党が「反対」の立場であることなどを踏まえ、辺野古移設の是非について明言を避け、経済振興を中心に訴えた。

ふたを開ければ玉城氏の大勝である。玉城氏は当選後のインタビューで「辺野古移設を進める政府、自民党と一体となった経済振興を掲げながら、辺野古移設の是非を明らかにしない手法は、県民を見くびっている。バカにするなという思いが、私の票につながった」と解説した。

ラジオパーソナリティーや衆院議員を務めた玉城氏の知名度の高さや若者、無党派層への浸透などが勝因に挙げられたが、それだけでは説明にならない。やはり、辺野古移設に対する態度の違いが選挙結果につながった。辺野古での埋め立て工事が進む中で、4年前と同じく辺野古移設反対の民意が示された意味は大きい。

米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先に計画されている名護市辺野古の海岸。中央は米軍のキャンプ・シュワブ。移設工事は現在、同県による埋め立て承認撤回で止まっている=2018年10月2日、沖縄県名護市(時事)

翁長氏の“遺言”で出馬:「沖縄の歴史を体現している」玉城氏

前回知事選で、翁長前知事は保守や革新といった従来の枠組みを超え、「オール沖縄」の結集を呼び掛けた。基盤となったのは、2013年1月に、県内の41市町村長や県議全員が署名、押印し、日本政府に提出した「建白書」だ。

(1)普天間飛行場の早期返還(2)普天間飛行場の県内移設反対(3)普天間飛行場へのオスプレイ配備反対、を求めた。その先頭に立ったのが当時那覇市長だった翁長氏だ。過重な基地負担を抱える沖縄にとって当然の要求だが、政府は一顧だにせず、普天間飛行場にオスプレイを配備し、辺野古移設を進めようとした。

日本政府や国民全体が、沖縄への基地負担の集中に無関心な中、「沖縄側が保守や革新に分かれて、いがみ合っている場合ではない。心を一つにしなければならない」という決意が翁長氏を後押しした。

県議時代に自民党県連幹事長まで務めた翁長氏は、自民党とたもとを分かち、共産党、社民党を含む革新政党や県内の一部保守層をまとめた「オール沖縄」勢力を構築し、14年11月の知事選で圧勝した。

そして辺野古移設を巡り、政府と闘い続けたまま、翁長氏は8月8日、膵臓(すいぞう)がんで亡くなった。11月の予定だった知事選は9月30日投開票と早まった。

翁長氏が、後継者の名前を挙げた音声データが残っており、その中に衆院議員だった玉城氏が含まれていた。「遺言」を受け、玉城氏出馬が一気に決まった。

玉城氏は「オール沖縄」を引き継ぎ、辺野古移設を阻止する考えを示した。沖縄に駐留した米海兵隊員の男性を父、沖縄の女性を母に持つ玉城氏。幼い頃、いじめを受けた際、「人はそれぞれ違う」「面の皮をめくれば、中身は同じ」といった育ての母の言葉を支えに乗り越えた。翁長氏は「玉城氏は沖縄の歴史を体現している」と語っていた。

組織、運動量では圧倒していた佐喜真陣営

佐喜真氏は自民党、公明党、日本維新の会、希望の党の推薦を受け、政府も全面的に支援する盤石の体制で臨んだ。菅義偉官房長官が3回、自民党の筆頭副幹事長で国民的人気の高い小泉進次郎衆院議員も3回、沖縄を訪れ、各地で遊説した。公明党の山口那津男代表、同党の支持母体創価学会の幹部らも連日沖縄に入り、支持を訴えた。

組織や運動量で玉城氏を圧倒、さらにいわゆる「基礎票」でも佐喜真氏が玉城氏を上回っていた。

前回の知事選で当選した翁長氏の獲得票は36万820票。自民党の推した仲井真弘多氏は26万1076票。前回は公明党がどの候補者にも推薦を出さずに自主投票で、翁長氏に流れた票が多かった。さらに日本維新の会の下地幹郎衆院議員も出馬し、約7万票を獲得していた。

つまり、前回の仲井真氏の票に、下地氏の7万票を加え、7~8万票の公明票を固めれば、投票率65%前後で、佐喜真氏は37万票以上を獲得する見通しで、翁長氏の支持基盤を引き継ぐ玉城氏より優勢という評価だった。

実際は投票率63.24%で、佐喜真氏は31万6458票だった。

佐喜真氏は宜野湾市長を2期6年間務めた。普天間飛行場は約9万5000人が暮らす宜野湾市のど真ん中にドーナツの穴のように存在する。2003年に上空から視察した米国のラムズフェルド国防長官が「世界一危険な米軍施設」と印象を語ったのは有名な話だ。

04年8月には、普天間飛行場に隣接する沖縄国際大学の構内にCH53D大型ヘリが墜落。最近でも16 年12月に普天間所属のMV22オスプレイが名護市の沿岸に墜落、17年10月にCH53Eが東村の民間地で不時着、炎上、同年12月に普天間飛行場に隣接する保育園と小学校にCH53Eの部品や約7.7キログラムの窓が相次いで落下した。

騒音被害のほか、多発する事故やトラブルに対し、市民の声を聞いてきた佐喜真氏。知事選では「普天間飛行場の危険性の除去、1日も早い返還」を掲げた。

危険な状況は「普天間周辺」だけではない

しかし、普天間の危険性除去を求め、移設先に言及しない手法は「出て行ってもらう側」の宜野湾市長なら理解できる一方、知事選の立候補者として適切だっただろうか、と考える理由がいくつかある。

一つ目に歴史認識である。普天間飛行場は、1945年に沖縄本島に上陸した米軍が、日本本土を出撃するために軍事占領した土地に建設した。戦争で沖縄の人々の土地を奪っておきながら、古くなったから、危険になったから別の土地を差し出せというのは、どう考えても理不尽だ。

二つ目に、宜野湾市周辺だけに危険性が存在するわけではない。沖縄県内には88カ所の米軍ヘリパッドがある。1972年以降、普天間を離陸した航空機の墜落事故は17件発生し、14件は宜野湾市外で起きている。つまり普天間は航空機の駐留、整備の拠点にすぎず、辺野古へ移しても、戦場や被災地を想定した過酷な訓練が県内全域のヘリパッドで実施される限り、県内での墜落や事故の危険性は残ったまままだ。

三つ目に、国土面積の0.6%に全国の米軍専用施設面積の7割が集中する沖縄の「負担軽減」につながるか、である。沖縄に所在する米軍基地・施設の面積は約1万8800ヘクタールに上る。そのうち普天間飛行場は480ヘクタールで、全体の2.5%だ。

「翁長氏の弔い」では終わらない沖縄の民意

日米両政府は普天間飛行場を使用する海兵隊の陸上部隊と航空部隊を切り離すことができないと主張する。裏を返せば、辺野古に新しい航空基地ができれば、航空部隊の駐留が長引き、陸上部隊を含む海兵隊全体の駐留も続く。苦しみ、悩まされてきた米軍基地を子や孫、もっと先の代まで引き渡すことになる、と沖縄の人たちは考えている。

だから知事になる人は、辺野古移設の是非を示すべきだ。そういった考えが、知事選での玉城氏大勝の結果につながったのではないだろうか。

経済振興のほか、子どもの貧困対策など沖縄には課題が山積する。政府と手を結ぶ佐喜真氏の方が、課題解決、政策実現の可能性は高い。それでも基地問題を争点にしなければならず、その上で、玉城氏を選んだのは「いつまでも基地を押しつけないでほしい」という沖縄県民の強い思いにほかならない。

今回の知事選の結果は「翁長氏の弔い」では終わらない。沖縄タイムスの2017年の世論調査で、沖縄への米軍基地集中は「日本本土による沖縄への差別」と、54%の人が答えている。国民的な関心が高まらず、この状況が変わらない限り、沖縄の民意はいつまでもあらがい続けることになるだろう。

バナー写真:沖縄県知事選挙の当選から一夜明け、通行人に手を振る玉城デニー氏=2018年10月1日、沖縄市(時事)

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