オウム13人死刑執行—サリン事件の解釈を「拒絶」した日本社会

社会

森 達也 【Profile】

7月6日オウム真理教教祖・麻原彰晃(松本智津夫)と幹部6人に死刑が執行、26日には残る6人の刑も執行された。裁判で何も語らぬまま教祖の刑が執行されたことで、地下鉄サリン事件の本質的解明への道は閉ざされ、将来に禍根を残したと筆者は警鐘を鳴らす。

集団化が生む「凡庸な悪」にとどめを刺せず

1995年以降の日本社会は、不安と恐怖を激しく喚起されて、「集団化」を加速させた。同質であることを紐帯(ちゅうたい)とする集団は同調圧力を強め、集団内の異物を排除したくなり、集団外に敵を探したくなる。そして全員で同じ動きをするために、強くて独裁的な政治リーダーが欲しくなる。これは過去形ではなくて現在進行形だ(2001年米国同時多発テロ以降、集団化は世界に広がっている)。

不安と恐怖を刺激されたときに集団化は加速する。これは群れて生きることを選択した人類の本能だ。でも集団は時として暴走する。人は集団の一部になったときに大きな過ちを犯す。だからこそ麻原を治療して動機を語らせるべきだ。僕のこの主張は多くの識者やジャーナリストから、「そもそも麻原は詐病である」「仮に詐病ではなく治療したとしても、まともなことを話すはずがない」と批判された。

ユダヤ人移送のキーパーソンとして法廷で裁かれたアドルフ・アイヒマンは、ホロコーストに加担した理由を「命令に従っただけ」としか答えなかった。多くの人はこの言葉に失望した。しかし傍聴席にいたハンナ・アーレントは、アイヒマンのこの言葉から「凡庸な悪」という概念を想起した。多くの人を殺害したから罰を受けるのではない。人の営みに想像力を持たない組織に従属したことがアイヒマンの罪なのだ。アレントのこの考察は、特定の民族を世界から消滅させるというホロコーストの負の情熱を解明する上で、とても重要な補助線になっている。人は悪人だから悪事をなすのではない。集団の一部になることで悪事をなす場合があるのだ。12人の信者たちが、優しくて善良なままで多くの人を殺害する行為に加担したように。

でも補助線は補助線だ。本線ではない。しかし本線であるヒトラーはベルリン陥落とともに自害した。だからニュルンベルク裁判は、ヒトラー不在のままで進められた。最後のとどめを刺せなかった。だからこそ今もヒトラーを神格化した思想は世界にくすぶり続け、ホロコーストやナチズムに対して歴史修正的な史観が、時折亡霊のように立ち現れる。

事件の解釈を拒絶した日本社会

麻原は自害しなかった。ならば治療して語らせるべきだった。追い詰めるべきだった。今になって麻原を崇拝していることを理由に後継団体についての危惧を口にするのなら、意識を取り戻した麻原を徹底的に追い詰めて、公開の場でとどめを刺すべきだったのだ。なぜならオウムの事件はホロコーストと同様に、あるいは多くの虐殺や戦争と同様に、集団に帰属して生きることを選択したホモ・サピエンスが遺伝子的に内在する大きなリスクを提示した事件であり、宗教が持つ本質的な危うさを明確に露呈した事件でもあった。でも結果として、日本社会は事件の解釈を間違えた。いや解釈を拒絶した。そして司法とメディアは社会に従属した。

何よりも、心神喪失の状態にある人は処刑できない。それは近代司法国家としては最低限のルールのはずだ。

同一事件の死刑囚は同じタイミングで処刑する。その原則があるからこそ、政権は大量処刑に踏み切ったはずだ。だが、7月6日の麻原および6人の死刑執行後、残された6人の刑執行まで、20日の間が空いた。つまり原則を曲げた。その明確な理由は説明されていないが、西日本豪雨災害の危惧が高まりつつある5日夜に緊張感なく「赤坂自民亭」(注=赤坂の議員宿舎で行われた自民党議員の宴会)に興じていたことで政権への批判が集中したからだろう。

7人が処刑されたことを、残された6人は知っていたはずだ。この20日間、彼らは何を思いながら日々を過ごしたのだろう。想像するだけで怖い。アクリル板越しの彼らの顔を思い出す。これは拷問だ。もちろん被害者遺族の思いは最優先する。今も後遺症に苦しんでいる被害者もいる。できるかぎりの救済は行われるべきだ。でもその救済が処刑と等価であるとは僕には思えない。結果的には処刑された13人の遺族がさらに増えたのだ。

だから政権に問いたい。日本社会に言いたい。彼らはかつて、人の営みへの想像力を停止した集団の一部になったことで、取り返しのつかない過ちを犯した。でも今、人の営みへの想像力を失っているのはどちらの側なのかと。

(2018年7月26日 記)

バナー写真:オウム真理教の元代表松本智津夫死刑囚らの刑執行を報じる号外(2018年7月6日、東京都港区/時事)

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映画監督、作家。明治大学情報コミュニケーション学部特任教授。1956年、広島県呉市生まれ。98年オウム真理教を取材した映画『A』、2001年に続編『A2』を発表。11年に著書『A3』(集英社インターナショナル)で第33回講談社ノンフィクション賞受賞。その他『死刑』(朝日出版社、2008年/角川文庫、2013年)、藤井誠二氏との対談『死刑のある国ニッポン』(河出文庫、2015年)など。

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