悪質タックル問題と「ブラック」部活動指導

社会

内田 良 【Profile】

課外の部活動は「生徒の自主的・自発的な参加」に基づくと学習指導要領に定められている。しかし、実際には「自主性を強要」し、自分で考え判断する機会を奪っているのではないだろうか? 中高時代の部活動の在り方にさかのぼって、日大アメフット部の悪質タックル問題を考える。

部活動をやめさせない圧力

しかも不思議なことに、自主的であるはずの部活動において、「自主練」というものがある。例えば、授業前や日曜日の練習が、ときに「自主練」と呼ばれる。しかしながらその「自主練」に、顧問である教員が来るのはもちろんのこと、まるで強制であるかのように、生徒もほとんどが参加する。

自主性の軽視は、部活動の入部時だけではなく、退部時にも起こり得る。部活動顧問が、「やめたい」という生徒を何としてでも引き留めようとするのである。

とある高校では、部活動をやめたいと申し出た生徒に、顧問が「一緒にやってきた仲間のことも考えろ」「お前は人間のクズだ」と怒鳴りつけた。

怒鳴りつけた理由は、果たして「一緒にやってきた仲間のこと」を思ってのことなのだろうか。顧問が部活動に執着するとき、そこから離脱しようとする生徒は、顧問に抵抗する反乱分子のように見える。これを指導し説得することがまた、部活動指導の一環と考えられ、さらにはそこに教員としての指導力の高さが現れると見なされる。

もちろん、何でも生徒の思い通りにすることには、慎重でありたい。だが、部活動はそもそも生徒の自主的な参加により成り立つものである。「部活をやめたい」という生徒に、顧問が激怒する正当な理由はない。

日大DLが教えてくれたこと

私は、部活動は害悪だらけだと言いたいのではない。部活動が自主的な活動であるとするならば、その通りにもっと自由度を高めるべきだと言いたい。

それはすなわち、上層部からの命令に忠実な人間を育てるのではなく、その命令の意味を自分の中で捉え直すことができる人間を育てていくということである。部活動というものが「自主性」とは名ばかりに、生徒を拘束し続けて自由を奪い、自分で考え、判断する機会さえも奪っているのだとしたら、それは間違った教育活動である。

そして日大アメフット部の悪質タックル事件は、まさに間違った教育活動が積み上げられてきた結果として起きた事件である。

ただその中でも、一つだけ救いがあった。

日大DLが試合中にとった行動は、大いに問題である。それでも、日大DLはタックルの直後に自分の行為の問題性に気付き、いち早く、相手方に謝罪すべきだとの立場を明確にした。さらには公衆の面前で、自分の罪を正直に告白した。

この日大DLの自ら考えた結果の真摯な態度が、部活動指導の問題性へと私たちの関心を誘ってくれたようにみえる。

世論は、日大DLによるタックルそのものの悪質性よりも、監督やコーチによる指導の悪質性を問題視した。この社会には、部活動指導の在り方を変え得る力が、宿っているようだ。

一つの事件が引き出したこの世論の力を、大切にしていきたい。

バナー写真:練習を再開した日本大学アメリカンフットボール部=2018年6月29日、東京都世田谷区(時事)

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内田 良UCHIDA Ryō経歴・執筆一覧を見る

名古屋大学大学院教育発達科学研究科・准教授。1976年生まれ。博士(教育学)。専門は,教育社会学。関心テーマは,学校リスク(スポーツ事故,組体操事故,転落事故,「体罰」,自殺,2分の1成人式,教員の部活動負担など)。ヤフーオーサーアワード2015受賞。著書に『教育という病』(光文社新書),『柔道事故』(河出書房新社),『「児童虐待」へのまなざし』(世界思想社、日本教育社会学会奨励賞受賞)。

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