「博士」に未来はあるか—若手研究者が育たない理由

科学 技術

仲野 徹 【Profile】

日本の科学研究の失速が指摘される中で、2018年1月京都大学iPS細胞研究所で論文不正が発覚するなど、若手研究者の現状に注目が集まる。多くが大学研究室で非正規ポストに就き、厳しい研究環境に置かれている。政府が目指す「科学技術イノベーション」実現にはほど遠い実態だと筆者は指摘する。

「テニュアトラック」=独立のための“助走期間”

では、どのレベルなら十分な業績を上げたと言えるのか。その判断は難しいが、独立して自分の研究室を持てる程度の業績、というのが一つの目安になる。

研究室の主宰者(PI:Principal Investigator)に要求される能力は、研究の立案・遂行、論文執筆、研究費獲得、人材確保など極めて多彩で、それ以前の大学院生かポスドク時代などに必要な能力とは大きく異なっている。実際、大学院生やポスドクとして有能であった人が、PIになってからは鳴かず飛ばずということは少なからずある。

そうなってしまうと、本人はもちろん、雇用した側にとっても悲劇である。そのような事態を避けつつ若手PIを育成しようというのが「テニュアトラック」制度である。「公正で透明性の高い選考により採用された若手研究者が、審査を経てより安定的な職を得る前に、任期付の雇用形態で自立した研究者として経験を積むことができる仕組み」(文科省)であり、「PIとして、自立して研究活動に専念できる環境が整備されていること」も要件に挙げられている。

独立のための助走期間とでも言えばいいのだろうか。自立して研究させて大丈夫ならば、テニュアポスト=任期なしの正規ポストに就いてもらうという制度だ。欧米では昔からあって、なかなか優れたシステムではある。しかし、そのシステムが機能するかどうかは、周辺の制度がそれに見合っているかどうかにかかっている。

抜本的改革がない限り失速は続く

筆者は以前大阪大学で生命科学のテニュアトラック運営責任者を務めたことがある。その経験から痛切に感じたのは、少なくとも生命科学分野において、日本でこの制度を定着させるには以前の論考(「日本の科学研究―地盤沈下は止められるのか」)でも言及したように、教育・研究・事務業務の非効率的な配分に見られる硬直化した運営システムなどを含め、大学の在り方そのものを抜本的に改革せねばならないということだ。気が遠くなりそうな話である。

文科省が「科学技術イノベーション政策」の中で提案しているように、「若手人材のキャリアシステムの改革」と「多様な人材の活躍、人材の流動促進」が何よりも必要であることは間違いない。しかし残念ながら、誰もがそう分かっていながら、あまり進んでいる気配はない。議論を繰り返しても、同じ結論が出るだけだろう。提言を重ねるだけではなく、思い切って大鉈(なた)を振るわない限り、日本の大学の失速状態は続き、政府の唱える「イノベーション創出」など望むべくもない。悲観的過ぎると反論もあるだろうが、根拠なき楽観論で取り繕ってきた大学の末路こそが今のような悲惨な現状なのだとしか私には思えないのだ。

(2018年3月8日 記)

バナー写真:2012年10月、山中伸弥京都大学教授のノーベル医学・生理学賞受賞決定から一夜明け、研究に励む京都大iPS細胞研究所の研究員(2012年10月9日撮影/時事)【編集部:写真は本文とは直接関係はありません。】

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仲野 徹NAKANO Tōru経歴・執筆一覧を見る

大阪大学大学院医学系研究科・生命機能研究科教授。1957年大阪生まれ。主な専門は幹細胞研究。1981年大阪大学医学部卒業、内科医としての勤務、大阪大学医学部助手、ヨーロッパ分子生物学研究所研究員、京都大学医学研究科講師、大阪大学微生物病研究所教授を経て、2004年から現職。著書に『エピジェネティクス—新しい生命像をえがく』(岩波新書、2014年)など。

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