「博士」に未来はあるか—若手研究者が育たない理由
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若手研究者の6割超が任期付きポスト
京都大学iPS細胞研究所で、任期付き特定助教による論文不正が発覚したことは記憶に新しい。一部の報道では、その背景として任期内に成果を挙げなければならないという焦りがあったのではないかとされている。しかし、任期付きポストにある研究者のほとんどは研究不正など行わない。だから任期の問題を主たる理由と考えるのは間違いである。
とはいえ、若手研究者の6割以上が任期付きポストに置かれている現状は決して望ましくはない。大学のこのような状況を目の当たりにしてか、アカデミアを敬遠する学生が増えており、諸外国の傾向とは逆に、修士課程から博士課程への進学者は減少を続けている。
さて、どうすればいいのだろうか。まず考えられるのは、大学院生、特に博士課程進学者に対する経済的支援だろう。欧米では、大学院生に給与が支給されるのが当然である。日本でもリサーチアシスタントとして雇用し、幾ばくかの謝金を出すことは可能だ。しかし、これは「競争的資金」(研究機関や研究者から研究課題を公募し、第三者による審査を経て優れた課題に配分される研究資金)が潤沢にある裕福な大学あるいは研究室に限られるし、最低限の生活も営めない程度の金額でしかない。
かといって、博士課程進学者全員に税金でお金を出すというプランに大賛成というわけではない。博士課程学生の充足率は、多くの大学で満たされておらず、何とかしろというプレッシャーは強い。その結果として、入学に際して必ずしも(学生の)十分な質が担保されない状況になっている。
博士号取得者を採用する企業は少数派
日本学術振興会には、「わが国の優れた若手研究者に対して、自由な発想のもとに主体的に研究課題などを選びながら研究に専念する機会を与え、研究者の養成・確保を図る制度」として特別研究員の制度があり、博士課程の学生に研究奨励金として月額20万円程度が支給される。十分ではないが、妥当な金額だろう。
2016年度の博士課程進学者数はおよそ1万5000人で、特別研究員への申請者数が3341人、採用者数が727人であるから、採用される者は全体のわずか5%未満、採択比率(採用者数/申請者数)は21.8%である。どこまで引き上げるかには議論が必要だが、採択比率を上げることが一番手っ取り早い方策だろう。ただし現実はというと、採用者数と採択率は2013年度に815名で25.8%であったのが、以後いずれも漸減し、2017年度は692名、20.7%になっている。予算の関係だろうが、若手育成とは明らかに逆行している。
博士課程時代をなんとか生き延びたとしても、職に就けるかどうかが次の、そして最大の問題で、「高学歴ワーキングプア」という言葉があるほどだ。過去数年間、博士課程修了者の就職率は7割弱で推移しており、明らかに学部卒や修士修了者よりも低い数値だ。
分野によってかなり違うが、全体として、大学などのアカデミアに就職する者が約半分、民間企業への就職が約4分の1といったところである。毎年博士号取得者を採用する企業は約1割程度(科学技術・学術政策研究所「民間企業の研究活動に関する調査報告2017」)しかないことなどを考え合わせると、博士号取得者の主たる就職先は以前と同じく大学を中心としたアカデミアであることが分かる。
任期付きから終身雇用への狭い道
その肝心の大学における雇用状況が厳しくなっている。終身雇用の常勤ポストが減少し、非正規の任期付きポストが増加しているのだ。内閣府の統計によると、国立大学法人における任期なしの正規雇用ポストに就く39歳以下の若手教員比率は、2007年度に23.4%だったが、16年度には15.1%にまで低下している。34歳以下に限ると、その低下率はさらに大きく、8.5%から4.5%へとほぼ半減した。一方、39歳未満の任期付き教員の比率は10年前より25ポイントも増加し、17年度には64%になっている。
国立大学法人に対する予算措置を見る限り、終身雇用ポスト数が増加する望みはないだろう。そのような状況下で若手教員比率を上げようとするなら、高齢教員の数を減らすしかない。しかし、ほとんどの国立大学で積極的にそのような方針を実施するためのシステムは備わっていない。恐らくどの国立大学も現状のまま、あるいは状況悪化の一途をたどるに違いない。
博士号取得後にポストドクター(ポスドク)として任期付きポストに就き、その後、正規雇用となるのが一般的なキャリアパスだったのに、それが難しくなったわけだ。博士課程を出た先輩がなかなか任期なしポストに就けない事態を目の当たりにする若者が、博士課程への進学をためらうのは当然のことだろう。
業績を上げるために7年の任期を
個別の状況によって任期はさまざまだが、プロジェクトの年限などから、5年を越えるものはほとんどない。5年は十分に長いと思われるかもしれないが、研究の高度化に伴い、ひとつの研究に要する年数が長くなる傾向にある。私が従事している生命科学の分野では、ある程度のレベルの研究を行うために4~5年かかることはざらである。次のポストを探すための期間も必要なので、最後の1年はどうしても浮き足だった状態になる。これでは落ち着いて研究などできはしまい。
せめて7年あれば、腰を据えて研究できるはずだ。もちろん研究がうまくいくかどうかは分からない。しかし、大学院を出てさらに7年となれば、すでに35歳である。冷たいかもしれないが、その年齢になってある程度の業績が上げられなかったら、諦めてもらうしかないのではないだろうか。
ある程度のセーフティーネットは必要だろう。とはいえ、博士課程を修了したというキャリアに対して、どの程度のセーフティーネットを準備するかは難しい問題だ。他の分野、例えば音楽やスポーツなどを志して挫折する若者もたくさんいるはずだ。前述のように、充足率の関係で、博士課程は入学しやすい状態になっている。研究だけが十分なセーフティーネットを設けるに値するほど貴い仕事なのか。税金を使うことに、果たして社会的コンセンサスが得られるかとなると、いささか疑問である。
「テニュアトラック」=独立のための“助走期間”
では、どのレベルなら十分な業績を上げたと言えるのか。その判断は難しいが、独立して自分の研究室を持てる程度の業績、というのが一つの目安になる。
研究室の主宰者(PI:Principal Investigator)に要求される能力は、研究の立案・遂行、論文執筆、研究費獲得、人材確保など極めて多彩で、それ以前の大学院生かポスドク時代などに必要な能力とは大きく異なっている。実際、大学院生やポスドクとして有能であった人が、PIになってからは鳴かず飛ばずということは少なからずある。
そうなってしまうと、本人はもちろん、雇用した側にとっても悲劇である。そのような事態を避けつつ若手PIを育成しようというのが「テニュアトラック」制度である。「公正で透明性の高い選考により採用された若手研究者が、審査を経てより安定的な職を得る前に、任期付の雇用形態で自立した研究者として経験を積むことができる仕組み」(文科省)であり、「PIとして、自立して研究活動に専念できる環境が整備されていること」も要件に挙げられている。
独立のための助走期間とでも言えばいいのだろうか。自立して研究させて大丈夫ならば、テニュアポスト=任期なしの正規ポストに就いてもらうという制度だ。欧米では昔からあって、なかなか優れたシステムではある。しかし、そのシステムが機能するかどうかは、周辺の制度がそれに見合っているかどうかにかかっている。
抜本的改革がない限り失速は続く
筆者は以前大阪大学で生命科学のテニュアトラック運営責任者を務めたことがある。その経験から痛切に感じたのは、少なくとも生命科学分野において、日本でこの制度を定着させるには以前の論考(「日本の科学研究―地盤沈下は止められるのか」)でも言及したように、教育・研究・事務業務の非効率的な配分に見られる硬直化した運営システムなどを含め、大学の在り方そのものを抜本的に改革せねばならないということだ。気が遠くなりそうな話である。
文科省が「科学技術イノベーション政策」の中で提案しているように、「若手人材のキャリアシステムの改革」と「多様な人材の活躍、人材の流動促進」が何よりも必要であることは間違いない。しかし残念ながら、誰もがそう分かっていながら、あまり進んでいる気配はない。議論を繰り返しても、同じ結論が出るだけだろう。提言を重ねるだけではなく、思い切って大鉈(なた)を振るわない限り、日本の大学の失速状態は続き、政府の唱える「イノベーション創出」など望むべくもない。悲観的過ぎると反論もあるだろうが、根拠なき楽観論で取り繕ってきた大学の末路こそが今のような悲惨な現状なのだとしか私には思えないのだ。
(2018年3月8日 記)
バナー写真:2012年10月、山中伸弥京都大学教授のノーベル医学・生理学賞受賞決定から一夜明け、研究に励む京都大iPS細胞研究所の研究員(2012年10月9日撮影/時事)【編集部:写真は本文とは直接関係はありません。】