日本を真の成熟社会に:東京五輪の「レガシー」づくりを考える
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IOC憲章に盛り込まれたミッション
10月28日で東京オリンピック競技大会(東京五輪)開幕まであと1000日となる。残念ながら大会に向けた機運は高まっているとは言い難いが、大いに盛り上がった2012年ロンドン大会でも、大会が始まるまでは国民の関心が高くなかったように、価値観が多様化した日本社会で今盛り上がらないのは、ある意味、正常とも言える。国立競技場の設計見直し、エンブレムの再選定、開催経費削減、会場変更、築地市場移転の遅延など、問題が頻発したものの、これから大会の準備が進み、五輪好きの国民が盛り上がることは想像に難くない。気がかりなのは、大会後の「レガシー」づくりに向けた取り組みだ。
当社(三菱総合研究所/MRI)調査(17年4月)によると、「オリンピック・レガシー」という言葉に対する認知度は調査対象の5割に上っているが、改めてレガシーについて簡単に述べたい。02年の国際オリンピック委員会(IOC)総会で、IOC憲章に「オリンピック競技大会のよい遺産(レガシー)を、開催国と開催都市に残すことを推進すること」がIOCのミッションとして追加された。その後、開催都市はレガシープランを策定し、レガシーづくりに取り組み、大会後に実績を報告することが求められるようになった。その背景には、五輪大会が肥大化し、開催都市の経費負担が膨らむ一方、大会後に使用されない競技会場が残るなど、マイナスのイメージが広がることに対する危機感があった。実際、24年の五輪立候補都市はパリとロサンゼルスのみで、24年のパリ、28年のロサンゼルス開催を同時に決定するという事態に陥った。
ハードより「ソフトレガシー」を重視
レガシープランの策定が求められるようになって最初の2012年ロンドン大会は、開催5年前に5つの約束(①スポーツ大国、②東部地区再生、③若者の啓発・社会参画、④会場の持続可能性、⑤ビジネス・観光など世界へのPR)を発表して、レガシーづくりに力を入れた。大会までの9年間(付加価値3兆円)より、大会後8年間(4兆円)の方が大きくなる経済効果を誘発するプランを立て、現在も取り組みが進む。オリンピック・パークや他の競技会場、鉄道などのハードはもちろんだが、スポーツ人口の拡大、ボランティア活動の拡大・継続、ロンドン東部地区(オリンピック・パーク周辺)での雇用創出、外国人観光客の増加など、ソフト面でのレガシーが高く評価されている。
ロンドンと同じ成熟都市での開催となる20年東京大会も、当初より、レガシーづくりを重視してきた。東京都は15年12月に8分野のレガシープラン、大会組織委員会は16年7月に5分野のアクション&レガシープランを策定して、取り組みを進めている。
1964年の東京大会後には新幹線、首都高速道路、モノレール、国立競技場、武道館、代々木体育館、駒沢競技場など、多数のハードレガシーが生み出された。20年東京大会は、国立競技場や選手村などの一部を除けば、ソフト中心のレガシーを重視すべきである。また、東京だけでなく、被災地を筆頭に全国でもレガシーづくりが期待される。ロンドン大会の例を見れば、十分その可能性がある。しかしながら、ソフトは目に見えないだけに理解されにくく、現段階では多くの地域が、何に取り組んで、何を残すべきなのか、を模索している状況だ。
地域の課題解決のために大会を活用
各地域がレガシーづくりの目標を設定する上で重要なのが、地域の課題解決起点で考えることである。大会の効果をいかに享受するかではなく、大会の有無に関わらず、取り組むべき課題解決のために、大会が持つ力をいかに活用するか、という考え方だ。ロンドン大会の最大のレガシーは「ロンドン東部地区再生」といわれている。200ヘクタールを超える大規模な複合都市開発だが、「最大のレガシー」とは、大会の有無に関わらず、貧困や土壌汚染などの問題を抱えていた東部地区を、大会を使って、解決への道筋をつけたことというのが関係者の評価である。もちろん、競技会場のない地域とは条件が違うものの、地域課題起点でレガシーを設定する考え方は重要だ。
あと1000日しかないため、できることは限られ、開催日が近づけば大会に関心が移って、レガシーづくりがおろそかになると考える人もいるだろう。しかし、レガシーの「本番」は大会後であり、大会までに全てを完成させる必要は無い。きっかけや仕組みづくりを進めればよい。英国の観光庁長官によると、大会前・中・後の観光予算の配分は2:2:6を想定していたとのこと。いかに大会後を想定した準備をして、大会後に取り組みを本格化するか。熱しやすく冷めやすい日本人だが、大会後も持続可能なモデルや仕組みを構築すべきという視点は重要だ。
継続的効果のために「インフルエンサー」へのアピールを
五輪・パラリンピックの力は、何と言っても東京、そして日本に世界からの注目や人が集まることだ。英国でも、大会を世界へのPRの機会として最大限活用した。競技会場のない地域であっても、事前キャンプやメディア・観戦客の誘致などを通じて、訪日観光や産品販売、相互交流、商談を促進することが可能だ。
事前キャンプ誘致は何も大国や強豪国の合宿である必要はない。目的や戦略によって、相手国を選べばいい。青森県今別町のモンゴル(フェンシング)や千葉県山武市のスリランカは、強豪国でも大国でもないが、確たる戦略に基づいて種目や相手国を選定し、大会開催4年前から活動を開始している。
また、観戦客の誘致という観点では、五輪・パラリンピックより、2019年のラグビーワールドカップ(W杯)や21年の関西ワールドマスターズゲームズの方が活用可能性は高い。前者は、出場国の試合間隔が長く、会場も全国に分散するため、観戦客もメディアも、その間に地域を訪れる可能性が高い。多くの出場国が、現在訪日観光客が少ない国であることも狙い目である。
後者は、何と言っても、一般レベルのスポーツ愛好家2万人が海外から参加する(予定)ことが最大の魅力だ。その家族を含めて、出場前後に観光や買い物、仕事をする確率は高い。ただし、私自身、過去にサッカーW杯4回、ラグビーW杯1回、五輪2回を現地観戦しているものの、その時に観光した地をいまだ再訪したことはない。継続的な効果を期待するには観戦客ではなく、マスメディアや選手、ソーシャルメディアなど、「インフルエンサー」への訴求がより重要である。
日本の食材—国際認証取得を加速する好機
実は、日本の農産物や水産品などが、大会の準備・開催時に使われない可能性がある。五輪の食材の調達基準には、国際規格または同等の規格を満たしていることが条件とされるが、国内の事業者の認証取得率は非常に低い。また、国際的な非政府組織(NGO)は、大会で使用される商品や木材などがサステナビリティ(持続可能性)や人権(児童労働、劣悪な労働環境など)に配慮されているものであるか、目を光らせている。日本企業の商材であっても、グローバルなサプライチェーンの一部で国際基準が順守されていなければ、説明責任や改善が求められる。こうしたリスクを悲観的に捉えるのではなく、国内事業者や日本企業が世界標準を一気に満たす好機として捉えることができれば、大会後にビジネスチャンスが世界に広がる。
もう一つ、「インクルーシブ」な社会(共生社会)の実現も進めたい。大会期間中には、世界中のさまざまな国や人種、障害者が日本を訪れることから、パラリンピックへの関心も生かし、ハード面やソフト面での受け入れ体制整備やまちづくりが進められつつある。それに加えて、心の面で理解が浸透することを期待する。「違い」に対する寛容さが社会に広がれば、それは、日本人同士の居心地の良さを高めるとともに、多様性が社会の活力や新たな価値を生み出す源になる。
さらに、五輪・パラリンピックに向けた「締め切り効果」(締め切りに間に合わせるために、集中力を発揮する)の力も最大限に生かしたい。すでに、自動運転、水素エネルギー、民泊、多言語対応、自動翻訳、都市鉱山活用、バリアフリー化、スポーツの産業化など、取り組むべき技術革新や社会変革は2020年に向けて加速している。
最大のレガシー:若者、住民の社会参画で「人財」育成
2020年の東京大会に向け、全国で多数のプロジェクトが進む。例えば、数百カ所の事前キャンプ、参加者5千万人・20万件の開催を目指す文化プログラム、公式イベント、地域や学校などで開催される関連イベント、8万人のボランティアなどだ。若者や住民が、こうした場に参加したり、ボランティアとして運営をサポートすることに加えて、プロジェクトの企画・実施や意思決定に参画することができれば、その経験を生かして大会後の地域や社会をリードできる「人財」が生まれる。
当社(MRI)では、東京・渋谷区と共催で、企業の協力も得ながら、「渋谷民100人未来共創プロジェクト」を進めている。渋谷に関わりや関心のある18~29歳までの若者が、東京大会を契機にした渋谷のまちづくりを企画・提案し、優れたものは渋谷区の施策として取り組んだり、実現を企業がサポートする。若者が企画・提案から実現までのプロセスに参画するところに特徴がある。多様な意見をまとめて意思決定し、支援を集めて、実行すると、外野から意見や提案をするだけでは経験しないようなさまざまな苦しみ、難しさ、挫折を味わうが、それが社会や組織をリードできる「人財」に求められる力の習得につながる。
全国で、このような取り組みが多数生まれ、多くの若者や住民が社会参画を経験すれば、最大のレガシーとしての人財が生まれる。さらに、こうした取り組みが一過性のものではなく、各地で課題解決を進める継続的なプラットフォームとなれば、それも価値のあるレガシーとなる。
「スポーツの大会と関係あるのか」。そんな声も聞こえてきそうだが、24年パリ五輪は貧困ゼロ、失業ゼロ、CO2排出ゼロを実現する「ソーシャルビジネス」創出を最大のレガシーにする計画との話も聞く。五輪の面白さ、盛り上がりも、当然ながら重要だが、価値観が多様化した社会で開催する五輪・パラリンピックは、もはや五輪だけ、開催都市だけ、スポーツだけでは、社会的な意義が認められない時代になったのだ。
振り返ってみれば、1964年東京五輪も、敗戦の荒廃から復興し、国際社会に復帰し、経済大国としての成長が加速したターニングポイントとなった。日本社会が真の成熟社会に転換するターニングポイントとなったのが2020年の東京五輪であったと、後の世代から評価されるように取り組むことが、われわれ世代の責務ではないか。
(2017年10月20日 記)
バナー写真:1964年10月10日、東京五輪・開会式で聖火リレー最終走者による聖火台点火(東京都新宿区・国立競技場、毎日新聞社/アフロ)