熊本の「赤ちゃんポスト」10年:設置効果に疑問、子どもの「出自を知る権利」尊重を

社会

森本 修代 【Profile】

親が育てられない子どもを匿名で受け入れる、慈恵病院(熊本市)の「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」が開設されて10年。これまでに130人の子どもが預けられた。筆者は、ポストの設置効果には疑問があるとし、子どもの「出自を知る権利」を尊重すべきだと指摘する。

ドイツの審議会は廃止を勧告

慈恵病院がモデルにしたドイツでは、政府に政策提言する倫理審議会が2009年、それまでのデータを分析し、「新生児を殺害する人にポストは利用されていない」「ポストがなければ殺害されていたと推定されるケースは1件も知られていない」として、赤ちゃんの命がポストで救える可能性を否定した。その上で、子どもにとって出自を知る権利が奪われることを問題視。「重大な不利益」「人間の基本的な権利を侵害する」と批判し、廃止を勧告した。その代わり、相談機関には実名を明かし、医療機関では匿名で出産できる内密出産制度を導入した。

熊本市は運用状況を検証するため、児童福祉の専門家や医師、弁護士らによる専門部会を設置している。部会は「安易な預け入れにつながっている」「最後まで匿名を貫くことは容認できない」として、親との接触を強く求めている。しかし法的な強制力はなく、病院は「匿名が必要だ」として全く譲らない。両者は平行線のままだ。

「親が分からない」子どもたちの不安

赤ちゃんポストに子どもを預けた人は、差し迫った問題を回避できたかもしれない。しかし、米ヒューストン大のブレネー・ブラウン教授は「恥の感情は人に打ち明けないと大きくなる」と指摘する。秘密を抱えたままでは、抑うつや依存症などの原因になるという(「『ネガティブな感情』の魔法」)。匿名で子を預ける人にとっても、結果的に不利益になる可能性がある。

妊娠した事実を「なかった」ことにしたい気持ちは、分からなくはない。ただ、「なかった」ことにされる子どもはどうなるのか。預けられた子どもの1人に取材した。10代になった彼は「親が分からないのは不安。預けられた理由を教えてほしい」と訴えた。

「出自を知る権利」を明記した子どもの権利条約を批准したこの国で、赤ちゃんポストに預けられた人たちは、戦争で親と生き別れた残留孤児のように、高齢になっても自分のルーツを探し続けるかもしれない。正確な誕生日も分からない。扶養する親が不明のため、健康保険にも入れない。事情も分からず、誰かも分からない親が予期せぬ妊娠をした責任を負わされる。「命が救われた」なら、子どもは不利益を甘受しなければならないのだろうか。

病院の看護師たちは当初、預けられた赤ちゃんを前に泣いていたという。「命を救ったという思いより、この子のママがいなくなってしまったという悲しみが大きかった」と看護師の一人は振り返る。

赤ちゃんポストに関しては「命を守る活動」「命をつないだ」「救える命最優先」などとする報道が多いが、「救いたい」という病院側の願いと、入れられた子どもが130人いるという事実だけで、「救われた」と評価することは難しい。「命を救う」という美しい言葉は、誰も反論できないため思考停止を招きやすい。崇高な理念に対しても固定観念を持たず、限られた情報の中でも検証を続けていくことは、報道の責任だと考えている。

バナー写真=熊本市西区の慈恵病院に日本で唯一設置されている「赤ちゃんポスト」の扉。中には新生児用のベッドがある。(森本 修代氏提供)

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森本 修代MORIMOTO Nobuyo経歴・執筆一覧を見る

熊本日日新聞社文化生活部編集委員。1993年同社に入り、社会部、文化生活部、編集本部、宇土支局長などを経て2016年から現職。学生時代に執筆した著書(森本葉名義)に『ハーフ・フィリピーナ』(潮出版社、1996年)。2児の母。

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