中国の宣伝工作に打ち勝つ「戦略広報」
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中国の習近平国家主席は9月5日夜、杭州で開かれた20カ国・地域(G20)首脳会議開幕後に実現した安倍晋三首相との会談で笑顔を見せず、顔をこわばらせていた。カメラの前に立った習は視線を瞬間的に、横にいる安倍とは逆の方にそらした。
共産党宣伝部は、安倍を「歓迎してない客」であるという宣伝手法を取った。翌6日付の共産党機関紙・人民日報の紙面構成や写真はそれを物語っている。同紙2面は、習と5人の外国首脳の会談記事で埋められていた。朴槿恵韓国大統領、メイ英首相、メルケル独首相らと握手した写真で首脳の背後には当該国の国旗が並んだが、安倍との写真で2人の背後は壁だったのだ。
国営中央テレビの映像でも他国の首脳と会談した部屋の正面には、「人間天国」と呼ばれる杭州・西湖の風光明媚な巨大絵画が飾られ、絵画の前に国旗が2組ずつ配された。向かい合った出席者の机の中央には緑の植え込みが置かれ、出席者が座るいすも豪華だ。一方、安倍・習会談の会場はこれとは違う暗い印象の簡素な部屋が選ばれ、机やいすも質素だった。
また習は、安倍との会談に側近中の側近である2人の共産党中央政治局員、王滬寧・共産党中央研究室主任と栗戦書党中央弁公庁主任を同席させなかった。これは安倍との過去2回の会談と同様の演出である。中国側は「会談は非公式であり、まだ関係改善を実現していない」(中国政府筋)と、暗に示しているのだ。
全ては「G20成功」のため
しかし習にとってG20に合わせた安倍との会談は、当初から「当然行うべきもの」と決めていた。だから外相就任後、3年半も来日していなかった日本通の王毅を日本に派遣した。
習にとって王は、相手国との関係や中国の国内・党内の事情によって表情を変えてくれる便利かつ有能な「演技派役者」とでも言うべき存在だ。
王が、習指導部の空気を読んだ例として、日中関係が最も厳しかった2013年頃、岸田文雄外相と国際会議で同席しても、挨拶どころか、カメラに一緒に映らないよう避け続けたことがあった。ネットをはじめ国内に岸田とのツーショット写真が流れれば、各方面から批判を浴びることは明らかだったからだ。しかしG20を直前に控えた8月下旬の初来日では、カメラを意識して「笑顔」を振りまいた。
全ては「G20成功」のためだった。成功には南シナ海問題で対中批判の急先鋒である安倍の「口」を封じ込める必要があった。だから王は対日積極外交で日中首脳会談に向けた環境を整える一方、東京で記者団に、「主人は客をもてなすために尽くすが、客は客をもてなす主人に従わなければならない」とくぎを刺すことも忘れなかった。南シナ海問題をG20のテーマにしないと決めた中国の意向に従え、というけん制だった。
「全面敗北」となった7月の南シナ海仲裁判決は、習指導部にとっての「外交危機」だった。「中国の夢」という政治スローガンを掲げる習近平は歴代指導者の誰より、領土・主権を奪取された屈辱の近代の歴史を強調して国民のナショナリズムを高め、南シナ海や尖閣諸島に対して妥協を許さない「海洋強国」を党是とした。その「強国路線」は周辺国の懸念を呼び、フィリピンの提起した仲裁裁判へとつながり、結局は「海洋法の番人」に主権を否定されるという皮肉な結果を招いた。しかし自国の領土・主権で譲歩した結果、「売国」指導者として共産党内で批判を浴び、国民から馬鹿にされれば、習近平は政治的な「死」を迎えてしまう。
G20という国際舞台は、習にとっては対中批判を集めかねない場だったが、当局はこれをチャンスに変えられることも知っていた。そのため「南シナ海」問題を封じ込め、仲裁判決を「無力化」させるための外交工作に集中した。
習近平はレームダック化が進むオバマ米大統領との会談を「西湖国賓館」で行った。ここは、1972年のニクソン大統領による歴史的訪中で米中の敵対関係を転換させた周恩来首相との会談が行われた場所である。会談と夕食会が終わると、2人は夜の西湖のほとりを散歩し、習はオバマに「今も運動をしているのか」と話し掛け、ハードな会談の中に和やかさを演出した。その中で中国側が対米関係で重視したのは、2020年以降の地球温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」の同時批准だった。米国に「責任ある大国」をアピールしつつ、南シナ海問題の存在を薄れさせることに成功した。
「尖閣挑発」と習近平の思惑
一方、日本に対してはどう対応したか。習政権は仲裁判決を受け、外交攻勢を強めた。モンゴルでは李克強首相が安倍との会談に応じ、ラオスでは王が岸田と日中外相会談を行い、杉山晋輔外務事務次官が北京に招かれた。しかし「判決順守」を要求する日本側の対応は変わらず、中国側にとって一連の外交攻勢が不発に終わる状態が続いた。そんな中、8月5日から大量の海警局公船と漁船を尖閣周辺の領海に侵入させる異例の挑発行動を取った。外交筋は「習指導部は、南シナ海での安倍政権の対中批判にいら立った。このままでは党内での求心力が下がると考え、対日強硬策を取った。漁期シーズンに合わせて大量の漁船を派遣し、漁船を守るという名目で公船も送り込んだ」と解説した。
日本政府の背後で米国が「尖閣防衛」に動く事態を注視する一方、国民のナショナリズムに火を注ぎ、世論がコントロールできない事態を避けるため、国内で報道規制を敷いた。神経を尖らせながらの「尖閣への公船大量派遣」だった。
しかし、その挑発によって日本にとってより緊急の問題は「尖閣」に変わった。王は東京で記者団に対し、南シナ海には触れなかったが、自ら進んで東シナ海(尖閣)問題を口にした。岸田との会談後、外務省で記者団の取材に応じた王は冗舌だった。
「両国が達成した共通認識は、双方の努力で海上摩擦をコントロールすること。われわれは海洋問題に関する高級事務レベル協議を開き、中日間の(不測の事態回避のための)海空連絡メカニズムを早期に運用できる」
海空連絡メカニズムは、2014年11月に北京で習と会談した安倍が提案して協議が本格化したが、中国側が進展を渋ってきたものだ。王は記者から「いつから運用できるのか」と聞かれ、「残っているのは小さい問題。すぐに一致できる」と前向きに答えた。
そして杭州での首脳会談。安倍が尖閣周辺での挑発行為を受けて「公船や軍による特異な活動は極めて遺憾だ」とくぎを刺したのに対し、習は「対話を通じて連絡を協議し、東シナ海問題を適切に処理し、東シナ海の平和と安定を共に守ろう」と応じた。この言葉から習指導部の2つの思惑が読み取れる。
一つは、G20での首脳会談で、尖閣問題で柔軟姿勢を示すことを前提に、その前に展開した挑発行為は日本の実効支配にプレッシャーを与え、軍など対日強硬派の声に応える形となったことである。もう一つは、日中首脳会談での焦点を当初の南シナ海問題から、尖閣問題にずらすことに一定の成功を収めたことである。
しかし習は安倍にこうけん制することも忘れなかった。「日本側は(南シナ海問題の)言動を慎むべきだ」と強調し、日本に対する強気の姿勢を国営メディアに報じさせている。
杭州で宣伝した中国共産党式世界秩序
中国において外交というのは実際の内容より、国内的に「どう伝えるか」、宣伝工作がより重視されている。例えば杭州のG20首脳会議開幕式が行われた杭州国際博覧センターの大ホールには赤いじゅうたんが敷かれ、中央に立った習近平に向けてオバマやプーチン(ロシア大統領)、安倍ら大国の首脳が1人ずつ握手を求めて歩く構図が中央テレビで実況中継された。世界の中心にそびえる中国皇帝に周辺国が謁見(えっけん)する場面を内外に想起させたものだった。開幕式が終わり、会議場に向かう首脳たちの先頭を歩くのは習とプーチン。中国共産党が描く世界秩序だといえよう。
「中国の『処方箋』は世界から絶賛された」。国営新華社通信が報じた論評だが、不確実性を増す世界経済を救うのは中国だ、という宣伝文句だ。G20は国際会議というより、「中国のため」「共産党のため」「習近平のため」の国際舞台という演出を最優先した。
日中首脳会談でも習は、国際社会が注目する安倍との首脳会談をG20首脳会議閉幕後にずらし、会議中に南シナ海問題がクローズアップされることを避けようとした。まだ根強い反日感情を意識して国営メディアの報道では他国首脳からの「格落ち」を際立たせ、安倍を「歓迎しない客」と暗に宣伝した。
人民日報系の『環球時報』は日中首脳会談を、「『中国との対立』がほとんど日本外交の全面的な原則となり、およそ中国が支持するものは反対している。非常に多くの中国人はそういう印象を持ち、中国の世論は中日関係改善への信頼と関心を徐々に無くしている」と解説している。
また、G20に続きラオスのビエンチャンで開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)をめぐる一連の首脳会議には李首相が出席したが、事前の説得工作が奏功し、中国のシナリオ通りに事が進んだ。仲裁判決を勝ち取ったはずのフィリピンのドゥテルテ大統領は中国に「沈黙」し、日米による対中包囲戦略の手詰まり感は否めなかった。
中国では国の内外とも「政治」が「司法」に優先
「力」と「カネ」でASEANばかりか欧州諸国までもなびかせる巧みな中国外交の現実が、杭州やビエンチャンで露呈した。南・東シナ海で国際ルールを無視し、野望に満ちた習の海外膨張戦略は、中国国内で異論を徹底してつぶす言論弾圧や人権派弁護士逮捕に相通じるものであり、習体制の本質がはっきりと見て取れる。中国では国の内外で「政治」が「司法」に優先する習独自の論理が潜んでいることをわれわれは理解しなければならない。
ある日本の外交官は「中国にはあまりにもタブーが多過ぎる。日本との関係もその一つ。どうやって日本のメッセージを中国国民に直接投げかけていくか、真剣に考えなければならない」と漏らす。その発言の背景には、言論弾圧を強化する共産党宣伝当局と国営メディアが展開するプロパガンダ宣伝によって日本や日中関係の真実は中国国民になかなか伝わりにくい現実がある。
日本の別の外交関係者も「中国にはタブーが多過ぎる。民間学者の討論の場で日本側が南シナ海問題を提起しても、中国の学者は政府の公式見解を述べるだけで議論は止まる。中国は規制によって報道されないことがとても多く、双方の専門家間で基礎的な情報を共有できない」と危機感を募らせる。
ではどうすれば中国共産党が展開する宣伝を打破し、中国の国民を「日本」に引きつけることができるのだろうか。尖閣諸島周辺に大量の公船・漁船が集結する最中、あるアクシデントに対して日本政府が講じた「戦略広報」が今後の日本の対中外交を考える上で重要なヒントになるかもしれない。
8月11日早朝、尖閣沖でギリシャ船籍の貨物船と衝突した中国漁船が沈没し、海上保安庁巡視船はすばやく漁船の乗員6人を救助した。奇妙なことにその直後、公船は一時、8日ぶりに接続水域からいなくなり、侵入は沈静化した。
その間に一体、何があったのか。北京の日本大使館は、47万人のフォロワーを持つ中国版ツイッター「微博」で「日本救助」の事実を中国語でつぶやき、海で漂流する中国人乗員を助ける投稿を写真付きで行ったのだ。これは瞬く間に転送され、救助を報じた日本の報道も中国メディアに転電された。中国のネット上では「(漁船を守るべき)中国の公船はどこに行ったのか」という批判が起こり、中国政府のメンツは丸つぶれとなった。
中国外務省報道官は、その日の夜になってようやく漁船沈没事故の談話を発表したが、当初は日本の救助に触れていなかった。しかし約3時間後に改めて談話を出し、「日本側が表した協力と人道主義精神を称賛する」と付け加えた。中国外務省が同じ問題で談話を2度出すのは異例で、その間に「指導部にまでこの問題が上げられ、政策転換があった」(外交筋)とみられている。
中国政府としても、尖閣周辺の大量の公船・漁船を展開させ続け、事態がエスカレートし、G20前に不測の事態が発生することを危惧していたのは間違いない。この偶然起こった「救出劇」に対する日本の気の利いた戦略広報は、日中関係の緊張局面を打開する一助になった。
また中国のネットで安倍の評判が上がる話題もあった。安倍が宿泊した杭州ホテルに、ホテルの便箋を使って「感謝 平成二八年九月五日 内閣総理大臣 安倍晋三」と手書きされた手紙が残されていた。これの実物のコピー画像がネットで広まり、「掃除のおばさんに宛てたものだ」「字がうまい」などと評判になった。中国ネット社会で決して良いとは言えない安倍のイメージが上がった。
日本のある外交官は、日中関係における戦略広報の在り方を、「中国のネット世論の中に日本や日中関係に関する真実を投げてみる。そしてより多くの中国人の対日認識を変えることが重要になってくる」と解説した。
(2016年9月15日 記、敬称略)バナー写真:中国・杭州で会談する習近平国家主席(左から2人目)と安倍晋三首相(右から2人目)=2016年9月5日、中国・杭州、AFP=時事