南極観測60年-極地観測から見える地球・宇宙の未来

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本吉 洋一 【Profile】

1956年、日本から戦後初の南極観測船「宗谷」が出航。以来60年にわたり、日本の南極観測は、地球、宇宙の環境変動の解明に貢献してきた。60周年の節目に出発する第58次南極観測隊隊長が南極観測の意義を解説する。

新発見―隕石、オゾンホールに「コケボウズ」

これまで、南極観測を始めなければ知られることのなかった発見がいくつかある。まずそれらを紹介させていただく。

月、火星起源を含む隕石の大量発見

1969年、内陸で雪氷の調査をしていた第10次隊の吉田勝隊員が、やまと山脈(昭和基地の南南西約 300キロの地点にある山脈)の氷の上に黒い物体を偶然見つけた。吉田隊員は地質学者であったため、この物体が地球の石ではないことを現場で見抜いていた。帰国して詳しく調べてみると、何と隕石であったことが分かった。その後日本は組織的な隕石探査を続け、2016年現在、日本隊が発見・回収した南極隕石は1万7000個を超える。

2013年1月、第54次観測隊によるセール・ロンダーネ山地における隕石探査

この大量発見は決して偶然ではない。日本の37倍の面積の南極大陸をやみくもに歩き回ったところで隕石が見つかるものではない。隕石が集積するメカニズムを突き止め、それに従って集中的に探査を行ない、南極が隕石の宝庫であることを世界中に知らしめた事実は、日本の大きな功績として記録にとどめておかねばなるまい。

南極隕石のほとんどは小惑星起源とされているが、中には月起源や火星起源の隕石も含まれており、今後も新しい発見があるだろう。2019年は南極隕石発見50周年である。翌2020年には、小惑星への長旅を終えた「はやぶさ2」が地球に帰還する。南極隕石の発見が扉を開いた惑星物資科学のさらなる進展を期待したい。

オゾンホールを世界最初に報告

南極上空のオゾン量が急激に減少していることを、1982年に第23次越冬隊が昭和基地の観測で捉えた。観測を担当した忠鉢繁隊員によれば、最初は観測機器の故障を疑うほどの異常な値だったという。越冬を終え帰国した忠鉢隊員は、1984年にギリシャで開催されたオゾンシンポジウムで成果を発表し、これが南極上空のオゾンホールの世界最初の報告となった。オゾン量の測定には「ドブソン分光計」という装置を使用するが、通常は太陽光を使って行う観測を極夜期(太陽が昇らない時期)にも実施するため、月明かりを利用した方策を独自に編み出した。ここにも、日本人の創意と工夫の跡が見られる。

オゾンホールの拡大は、南極だけの問題ではなく地球全体の環境問題として、やがて「モントリオール議定書」(1987年にカナダで採択、1989年発効)につながっていく。その取り組みが功を奏したのか、一時期は南極大陸の2倍ほどに拡大したオゾンホールは、このところ縮小の傾向を見せている。

オゾン層は、地球に降り注ぐ有害な紫外線を水際で食い止めるという重要な役割を担っている。もしオゾン層が破壊されると、生物にとっては地上での生息ができなくなり、紫外線が届かない水中や地中の生物のみが生き残ることになるかもしれない。

南極の湖底に群生する「コケボウズ」

1995年、第36次越冬隊の伊村智隊員が、昭和基地付近の岩盤に点在する湖の底に奇妙な物体を発見した。大きさは直径40センチ、高さ60センチ余りの緑色の塔状の植物で、「コケボウズ」と名付けられた。これは、苔類、藻類、シアノバクテリアなどが群生して塔状になったもので、湖の底に群生している。

南極では、極寒の冬の期間でも海や湖が凍結するのは表面だけで、内部まで完全に凍結することはないが、それにしても湖底の森林ともいうべき大規模な植生があったことは大きな驚きであった。いつ、どのようなきっかけで彼らは南極をすみ家とするようになったのか、興味は尽きない。南極のような極限環境にすむ生物の生態は、地球の生命の起源や進化とも深く関わっているはずだ。

「コケボウズ」観察のために湖底に水中ビデオシステムを設置(2010年1月、第51次観測隊)

「アイスコア」は地球環境のタイムカプセル

内陸のドームふじ基地での氷床掘削の様子。光の当たっている場所が掘削孔入口。そこにドリルを降ろして氷を掘り進む (2005年1月、第45次観測隊)

南極大陸には、最大4000メートルを超える厚い氷床がある。これは南極に降り積もった雪が積み重なったもので、深い場所にある氷ほど年代が古い、ということになる。昭和基地から1000キロ内陸にあるドームふじ基地では、2007年にほぼ岩盤に達する深さ3035メートルの氷を掘り抜いて、今から約72万年前の氷(柱状の氷の試料;アイスコア)を取り出すことに成功した。こうして掘削したアイスコアの解析の結果、過去72万年間の気温や二酸化炭素濃度の変動の様子が、連続したデータとして明らかになった。その意味では、南極の氷床コアはまさに地球環境のタイムカプセルといえよう。

ドームふじ基地は1996年に開設されたが、標高は3800メートル、平均気温はマイナス50℃、最低気温はマイナス80℃まで下がる。このような場所に基地を造るためには、まず極低温に耐え、大量の物資を輸送できる大型雪上車の開発が必要であった。また氷を掘るドリルも、国内やグリーンランドでのテストを重ねて、世界最速のドリルが完成した。アイスコアの掘削には、こうしたテクノロジーに支えられた側面があることも指摘しておきたい。

南極から見える地球・宇宙の未来

2001年、第42次観測隊で越冬中の筆者。今年11月に出発する第58次南極観測隊の隊長に任命された

「南極は地球・宇宙ののぞき窓」と呼ばれるが、極地観測とは、全地球規模および地球近傍(きんぼう)の宇宙空間の変動、とりわけ環境変動を引き起こす要因を解明し、その変動を監視するということに他ならない。地球の環境変動メカニズムは決して単純なものではなく、太陽エネルギー、宇宙線、地球磁場、プレート運動、海流、氷床、生物活動などが複雑に作用し合い、それらが地球上の大気、海洋、動物相・植物相に影響を及ぼし、それがまた次の変動への引き金になる、という大きな流れの連鎖である。

その意味では、氷床、海洋、陸地がセットで存在する「極域」は、地球上では稀有(けう)な場所であり、それゆえに他の地域に比べて比類なき科学的優位性を有していることを強調しておきたい。「南極観測って、何のためにやっているんですか?」という質問には、「今地球で何が起こっていて、これから地球はどうなっていくのかを科学的に明らかにするためです」と答えたい。このことは、地球というプラットフォームに人類が生存することの意義、つまり「我々人類はどこから来て、どこに向かおうとしているのか?」という問い掛けへの答えを探し求めることでもある。

(2016年10月3日 記)

バナー写真:アデリーペンギンの昭和基地訪問(2011年、第52次観測隊)/バナーおよび本文中写真提供=国立極地研究所

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地球温暖化 環境 JAXA 気候変動 南極

本吉 洋一MOTOYOSHI Yōichi経歴・執筆一覧を見る

国立極地研究所広報室長。2016年11月に出発する第58次南極観測隊の隊長に任命された。1954年千葉県生まれ。78年北海道大学理学部地質学鉱物学科卒業、86年北海道大学理学研究科博士課程修了、87年オーストラリア・ニューサウスウエールズ大学研究員、88年国立極地研究所助手、94年助教授、2001年教授を経て、06年極地研副所長。16年より現職。1981年から2009年の間に計8回、南極観測隊に参加。そのうち2回は約1年を南極で過ごす越冬隊員として参加。2000年、09年には観測隊長を務めた。       

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