天皇陛下「生前退位」のご意向と実現への展望
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NHKの第一報と好意的な反響
7月13日(水)夜7時、NHK総合テレビがトップニュースで「天皇陛下“生前退位”のご意向」と伝えた。その時私は、東京・新宿で研究仲間と平安時代の村上天皇(926~967年)が書かれた御日記(逸文)を輪読していたが、娘からのLINEで報道の要点を知り、まさにびっくり仰天した。
しかし、間もなくマスコミ各社から取材の電話やメールが相次ぎ、また帰途NHKから渋谷の局へ来てほしいとの連絡があった。そこで、報道の全文を何度も読み直し、また担当者から説明を受けて、内容は「ご意向」に近いと信じて差し支えないと考えるに至った。その際いくつかの質問に答えた中の一部が、翌14日朝のニュースで放映されたので、念のため以下に引用しておこう。
現行の日本国憲法に定められる象徴天皇制度が存続していくための最も根本的で重大な問題を提起されました。近現代の皇室制度は、明治時代(1889年制定)の「皇室典範」により形作られ、それが戦後(1946年公布)の現行典範に引き継がれています。しかし、当時は予見できなかった高齢化・長寿化が急速に進行していますから、21世紀の現実にそぐわない制度の改革(典範の改正)は、そろそろしなければなりません。今こそ数十年先を見通した議論が必要です。とはいえ、どんな改革もプラスとマイナスがありますから、それをしっかり調べ確かめて、ベターな結論を出せるよう努力することが望まれます。
その翌朝から数日の主要な新聞6紙などを調べてみると、誰しも「退位のご意向」に驚きながら、ほとんど肯定的に受け止めている。宮内庁の風岡典之長官も、表向きに関与してないと言い訳しながら、報道の核心を否定していないから、おおむね事実だとみられる。
また、安倍晋三首相は「事柄の性格上ノーコメント」のポーズをとるが、菅義偉官房長官は、以前から「皇族数の減少対策を検討中」と述べることにより、「皇室典範」の問題点改善に取り組んでいることをほのめかした。さらに、与野党の有力者たちも、ご意向が確認されたら、その実現に向けて取り組む必要がある、と前向きのコメントをしている。
第一報の原文による真意の確認
そこで、NHKの第一報を、ウェブにも掲載されたフルテキスト(7月19日付)で読み直してみると、すでに何年も前から当事者・関係者が検討を重ね、数年先まで見通した精緻な内容であることに、率直なところ感心するほかない。原文の論点を①~⑩に抄出し、簡単な解説と私見と私注(※)を加えよう(引用部の太字は筆者による強調)。
①天皇陛下が、天皇の位を生前に皇太子さまに譲る「生前退位」の意向を、宮内庁の関係者に示されていることが分かりました。数年以内の譲位を望まれているということで、天皇陛下自身が広く内外にお気持ちを表す方向で調整が進んでいます。
※現行の「皇室典範」は終身在位しか規定していないが、今上陛下は「生前退位」のご意向を身内の方々だけでなく「宮内庁の関係者」にも示されているという。その関与を宮内庁が否定したのは、「ご意向」の実現に「皇室典範」の改正という政治的要素が絡むため、憲法上「国政に関する権能を有しない」とされる天皇の側近として距離を置いたにすぎない。従って、「自身が広く内外にお気持ちを表す」場合も、「生前退位」に直接言及されないとみられる。
象徴天皇の担う3種類の務め
②天皇陛下は、昭和天皇の崩御(編注:1989年1月7日)に伴い、55歳で、今の憲法(編注:1946年公布)のもと、初めて「象徴」として即位されました。現代にふさわしい皇室の在り方を求めて新たな社会の要請に応え続けられ、公務の量は昭和天皇の時代と比べ大幅に増えています。
※現行の日本国憲法は、第一章「天皇」の第一条に「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴」と定めている。そこで、今上陛下は即位以来「象徴天皇とは何をなすべきか」を常に考えながら「現代にふさわしい皇室の在り方を求めて、新たな社会の要請に応え続け」てこられたのである。
③天皇の務めには、憲法で定められた国事行為のほかにも、公的に関わることがふさわしい象徴的な行為があると考え、式典の出席や被災地のお見舞いなどさまざまな公務に臨まれてきました。また、天皇の公務は公平に行われることが大切だとして、82歳の今まで、公務を大きく変えられることはほとんどありませんでした。
※天皇の主な務め(広義の公務)は、(1)憲法の第六条と第七条に定められる国事行為、(2)象徴としてふさわしいと考えられる公的行為、および(3)宮中で国家・国民のために祈られる祭祀行為から成る。
このうち(1)は、指名された内閣総理大臣と最高裁判所長官を天皇が任命するとか、内閣の助言と承認により、法律の公布、国会の召集、栄典の授与、外交文書の認証、来日大使の接受などを行う儀礼的なことが多い。また(3)は、天皇が正式の和装を召され宮中の三殿(賢所[かしこどころ]・皇霊殿・神殿)および新嘗祭(にいなめさい)用の神嘉殿(しんかでん)で営まれる主要な祭祀(さいし)が、毎年数十回に上る。さらに(2)は、全国で持ち回りの国民体育大会や植樹祭、豊かな海づくり大会への三大行幸を始め、各種の記念式典や激甚被災地などへのお出ましが増え、また次々と来日する国賓・公賓の歓迎、大使・公使の慰労、招請を受けた国々の訪問など、国際親善の役割も大きい。
その結果、年中ほとんど休まれる暇がない(御所におられても、面会者や行幸先などの調査・準備に余念がないという)。その全てが大切なことだと考え、一つ一つ「公平に」全力を尽くし続けてこられたのである。
高齢により自ら皇位を退く決意
④一方で、82歳の誕生日を前にした去年暮れの記者会見では、「年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました」と率直に老いや間違いを認め、「少しでもそのようなことのないようにしていくつもりです」と述べられました(中略)別の関係者は「ご自身が考える象徴としてのあるべき姿が近い将来体現できなくなるという焦燥感やストレスで悩まれているように感じる。公務の多さもされど、象徴であること自体が最大の負担になっているように見える。譲位でしか解決は難しいと思う」と話しています。
※この「関係者」は(次の⑤も)、誰か分からない(ことになっている)が、憲法に基づき「象徴としてのあるべき姿」を形作られてきた今上陛下は、それが「老い」により「体現できなく」なれば本来の「象徴天皇」でなくなってしまう、と思い悩んでおられることを、一般の国民に知らせなければと考えたのであろう。
⑤こうした意向は、皇后さまをはじめ皇太子さまや秋篠宮さまも受け入れられているとのことです。天皇陛下がこうした考えを示されたのは、5年ほど前のことで、以来、この考えは一貫して変わっていないということです。
※こうした象徴天皇としての信念を持たれる陛下は、将来を見据えて「5年ほど前」から「“生前退位”のご意向」を一貫して示され、しかも「数年内を望まれている」ことを、すでに皇后陛下も皇太子殿下も秋篠宮殿下も「受け入れられている」ことまで明らかにされたのである。
摂政も臨時代行も象徴ではない
⑥今の皇室制度では、天皇の「生前退位」は認められていません。天皇が崩御した時に限って、皇位継承順位に従って自動的に次の天皇が即位する仕組みになっていて、天皇は、生涯引退できない立場にあります。こうした制度のもと、天皇が重い病気で国事行為にあたれない場合などに限って、代役を務める「摂政」を置くことが認められているほか、一時的な体調不良や外国訪問などの際には、皇太子などによる「国事行為の臨時代行」が行われています。
※現行の憲法も「皇室典範」も、終身在位を前提として、天皇が回復不能な重病などになれば、代役の「摂政」を置くとか、昭和39年(1964)公布の法律により、一時的な「国事行為の臨時代行」ならば、皇太子などに委任できることになっている。
⑦明治時代半ば(編注:1889年)、大日本帝国憲法とともに定められた旧皇室典範で、天皇の譲位が強制されて政治的混乱を招いた時代があったことなどを理由に、皇位の継承は天皇の崩御に限られました。これは、戦後制定された今の皇室典範にも引き継がれました。宮内庁は、天皇の「生前退位」が認められない理由について(中略)恣意(しい)的に退位する懸念もあるなどと説明してきました。
※明治と戦後の「皇室典範」とで、皇位の継承が「天皇の崩御に限られ」たのは、前近代史上の「生前退位」が「強制」や「恣意」による恐れもあったと考えられたからである。
皇室典範の改正すべき2点
⑧退位の実現に向けて、考えられるのは、皇室典範を改正して、天皇の生前退位を制度化することです。一方で、制度化までしなくても、とりあえず天皇陛下の意向を実現できるよう特別に法を整備することも十分に考えられます。どのような場合に生前退位が認められるかなど検討すべき課題は多岐にわたるとみられ、いずれにしても、国会の場に諮(はか)られることが必要になってきます。
※現行法にない「生前退位」を実現するには「皇室典範」の第四条を改正して制度化するかのが本筋であるが、当代限りの特別法を作る方法も考えられる。ただ、いずれも国会で議論しなければならないことである。
⑨皇室典範で、皇太子は皇位継承順位が1位の「天皇の子」(皇男子)とされています。皇太子さまが天皇に代わって即位されると、弟の秋篠宮さまが、皇位継承順位1位に繰り上がりますが、皇太子にはなられません(中略)このため、天皇陛下の退位に関する検討が始まれば、秋篠宮さまをどう位置づけるのかも、にわかに検討の対象となってきそうです。
※現行の「皇室典範」は、第一条で皇位継承資格を「皇統に属する男系の男子」に限定し、第二条で継承順位を直系・長系・長子優先と規定している。しかし、その直系・長系に皇男子孫が誕生することを前提として、第八条に「皇嗣たる男子を皇太子という。皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫を皇太孫という」としか定めていない。従って、新天皇の弟君の秋篠宮殿下は、皇位継承の順位が1位になっても、「皇嗣たる皇弟」と位置づけられていないので、このままでは「皇太子が不在になる」から、第八条の改正も避けて通れない。
天皇交替と年号改元は「2020年か」
⑩(原文では⑨の前)皇太子さまが新たな天皇として即位されると、元号は「平成」から新たな元号に変わることになります。「元号法」では、「元号」は、皇位の継承があった時に限り改めるとされているためです。宮内庁の関係者によりますと、天皇陛下は、数年内の退位を望まれているということです。仮に、4年後の東京で開かれるオリンピックとパラリンピックの前に退位されると、東京オリンピック・パラリンピックは、皇太子さまを天皇とする新たな時代を迎えた日本で開かれることになります。
※日本の年号=元号は、明治以降「一世一元」(一代一号)とされ、昭和53年(1978)公布の「元号法」も同様の原則を定めており、今上陛下の退位により皇太子殿下が皇位継承されたら、直ちに元号が「政令」で定められ一斉に切り替えられる。
また、「天皇陛下は数年以内の退位を望まれている」という、その「数年」を、大胆に「4年後」と仮定し、東京五輪は新天皇・新元号のもとで開催されるかもしれないとまで示唆している。
今上陛下の「ご意向」に対する異論
以上、NHKの第一報から読み取ることのできる重要な論点を再確認してきた。これだけでなく8月8日のご自身による「お気持ち」の直接表明を受けて、その実現へと向かっていくためには、何をどうすればよいのだろうか。管見の一端を略述しよう。
その前に、7月13日の第一報を視聴しても、原則論にこだわって「ご意向」に異論を唱える識者が少なくない。例えば、東大名誉教授の小堀桂一郎氏は、「産経新聞」16日朝刊で「天皇の生前退位を可とするごとき前例を今敢えて作ることは、事実上の国体の破壊に繋(つな)がるのではないかとの危惧は深刻である(中略)この事態は摂政の冊立(さくりつ)を以って切り抜けるのが最善だ」と述べている。
また、雑誌『WiLL』9月号(7月26日発行)で、日本大学教授の百地章氏は、普段天皇の元首化(主体性の回復)を持論としていながら、今回「もし内閣が、天皇の“私的ご発言”に法的に拘束されることになれば、それこそ立憲君主制に悖(もと)ることになろう(中略)どうしても必要とあらば(中略)「摂政」を置き、陛下を激務から解放して差し上げるのが、法の主旨に叶(かな)い、かつ陛下のお気持ちにも沿うことになろう」と論じている。
しかし、確かに「皇室典範」第十六条は、「天皇が、精神若(も)しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く」と規定しているが、80歳代でもお元気な今上陛下の場合、高齢を理由に摂政を置かれることは逆に「法の主旨に叶」わないことになろう。
しかも、NHKの報道によると今上陛下は「憲法に定められた象徴としての務めを果たせる者が天皇の任にあるべきだ」と考えられ、上掲③※のような激務に全力を尽くしてこられた。従って、その一部削減や全部代行の策をとられず、今なお「激務から解放して」安楽な余生を送ろうとはお考えでないと思われるから、摂政を置くことでは「陛下のお気持ち」に沿えないのである。
皇室典範改正論議の進め方
このように考えるならば、漏れ伝わった今上陛下の「ご意向」を真剣に受け止め、その実現に取り組むほかない。ただ、それには上掲⑧※のような、「皇室典範」を改正するか特別法を作るため「国会の場に諮る」必要があり、それに先立って「これまで皇位継承資格の拡大や“女系宮家”の創設など、皇室制度の見直しを巡る議論では、政府の有識者会議が設けられるなどしてきましたが、同じような手続きを経ることも考えられます」(引用⑧の中略部分)と議論されている。
確かに戦後は既存の法律を改正して新法を制定する際、有識者に賛否両論を聞くケースが多い。現に平成17年(2005)と同24年(2012)、内閣官房長官の諮問で「皇室典範の改正に関する有識者会議」と「皇室制度に関する有識者ヒアリング」が行われた。その両方に私も招かれて管見を述べたことがある。
しかし、そこでは諮問事項に対する各自の意見を手短に話すだけで、合意点を求めて議論することはできない。むしろ賛否両論の対立点を際立たせ、世論の分裂を強めかねない。もし今回も有識者会議を設けるのであれば、過去2回の経験に学び、今上陛下の「ご意向」の実現を大前提として共通認識を持ち、それに伴う問題点などを建設的に述べ合う場となるよう、当局者と有識者には心掛けていただきたい。
「皇室会議」での議論が望ましい
そこで私は、現行憲法第一章に掲げる「天皇」を中心とする皇室の在り方に関する重大事は、政府の一時的な諮問機関よりも、現行典範の第五章に基いて常設されている至高の「皇室会議」で議論し合意形成することが、最も本質にかない現実的でもあると考えている。
現行常設の皇室会議
皇族 | 成年の男女皇族から選出 | 2名 |
立法 | 衆議院の議長と副議長 | 2名 |
参議院の議長と副議長 | 2名 | |
行政 | 内閣総理大臣と宮内庁長官 | 2名 |
司法 | 最高裁判所の長官と裁判官 | 2名 |
皇室会議とは、旧典範の「皇族会議」(成年皇族男子で構成)に代わる皇室事項の会議機関として常設され、その議員は「皇族2人、衆議院及び参議院の議長及び副議長(立法府)、内閣総理大臣、宮内庁の長(行政府)並びに最高裁判所の長たる裁判官及びその他の裁判官1人(司法府)」の合計10人で組織され(第二十八条)、そのうち内閣総理大臣が「皇室会議の議長となる」(第二十九条)。
つまり皇族の代表2名(現在は秋篠宮殿下と常陸宮妃殿下)も三権の代表8名も一堂に会するから、前者が天皇陛下や皇太子殿下のご意向を承り、後者が一般国民(衆参両院の議長は与党から、副議長は野党から選出)の意向をくんで、じっくりと議論できるに違いない。
もちろん、現行の典範は、終身在位を前提にしているから「生前退位」を議題に想定していない。しかし第二条に定める皇位継承順序を第三条で「皇室会議の議により、前条に定める順序に従って、皇位継承の順序を変えることができる」としている。従って、これを応用すれば、第四条の「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する」という終身在位の規定を残して、新しく途中に「又は皇室会議の議により退位したときは、(皇嗣が、直ちに即位する)」という文言を付けたらよいと思われる。
これは、今回の「生前退位」が、仮に特別法で実現された場合でも、次回以降についての方針を明確化することができるからである。将来は、従来の終身在位を優先して残し、新規の生前退位も可能にするが、それを天皇の自由意志だけに委ねるのではなく、公正な「皇室会議」に諮って慎重に吟味する必要がある。
かつて明治や戦後の「皇室典範」を制定する際に問題視されたのは、前近代の皇室史上60例ほどある「生前退位」(譲位)が、恣意や政治的な意図で行われ、対立する有力者などの強制によって争いが生じたことが少なくなかったからである。それを防ぐために終身在位としたことは、それ相当に正当な判断であったと理解してよい。
しかし、70年前では予想されなかった超高齢化の進む現在、将来にわたって終身在位のみの在り方を続ければ、天皇陛下が象徴の役割を十分に果たせなくなるだけでなく、次の皇嗣も次の継承予定者も、皇位を受け継ぐ年齢が高くなり、ご自身による務めも難しくなる恐れが多分にある。従って、今のうちに「生前退位」も可能な道を開いておくことは、憲法の命題である象徴天皇制度の機能を維持するためにも今や必要であり、有意義なことだと考えられる。
とはいえ、その「生前退位」が正当な理由で行われて皇位・皇室の安定的な継続・発展が可能になるようなシステムとするには、「皇室会議」のような権威ある常設機関の実質的な関与が不可欠だということを重ねて強調しておきたい。
(2016年7月30日 記)
タイトル写真:国事行為として、第191回臨時国会の開会式でお言葉を述べられる天皇陛下=2016年8月1日、東京・国会内(時事)