相次ぐ不倫騒動と「社会的制裁」から考える日本人の性意識

社会

瀬地山 角 【Profile】

世間をにぎわす著名人の不倫報道。日本では不倫が事実上「社会的制裁」の対象となるが、その根拠は何なのか。他人の不倫に対する反応から、日本人の性意識とその社会的背景を読み解く。

「世間をお騒がせして申し訳ない」のか

2016年早々に、人気タレント・ベッキーの不倫問題が日本のメディアを騒がせた。ロックバンド、「ゲスの極み乙女。」のボーカルで既婚の川谷絵音(かわたにえのん)との不倫を週刊誌に報じられ、いくつかのCM契約を解除されることとなり、現在、芸能活動を自粛している。

また「男性国会議員にも育児休業が認められるべきだ」と主張した自民党の宮崎謙介議員が、同党の妻、金子恵美議員が出産間近であるときに、女性タレントと不倫関係があったことが報じられた結果、離党だけではなく、議員辞職をすることとなった。

この3月には障害者として評論活動などを行っている乙武洋匡氏も週刊誌で不倫が明らかとなり、公式サイトで謝罪するとともに、活動を自粛すると発表した。その際、妻の謝罪文も掲載されたことが話題となった。「世間をお騒がせして申し訳ない」というのだが、夫婦間で話がついたのなら、そもそも騒ぐ「世間」の方がおかしいのではないだろうか?

他人の不倫への反応が示す社会のありよう

端的に言えば、不倫は現代の日本社会において刑法上の犯罪ではない。また、性差別という批判も当たらない。

ベッキーの件では英紙ガーディアン(電子版)が、不倫発覚当初、メディアがベッキーのことばかりバッシングする現象を取り上げ、日本の芸能界は性差別的と批判した。日本でも以前から不倫は性差別、女性蔑視という批判があったが、これは後述するように、現代日本に適用できる議論ではない。またベッキーの件は、より有名な方がバッシングにあうから、というだけだと私は考える。

犯罪でも性差別でもない以上、社会的に罰する必要はなく、例えばタレントのCM契約解除や公職の立場を奪うといった、いわば社会的制裁(リンチ)の対象になるべきではない。

婚外性関係自体は、どの社会でも起きることだろう。だからこそその意味をどのように捉えるかというのは、まさにその「社会」の問題なのである。したがって日本社会の文脈でなぜ不倫がこのように問題となるのかを、戦前の制度と比較しながら考えてみたい。

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東京大学大学院総合文化研究科教授。専門はジェンダー論、東アジア研究。1963年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。学術博士。北海道大学文学部助手などを経て、2009年から現職。著書に『東アジアの家父長制―ジェンダーの比較社会学』(勁草書房、1996年)など。

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