国立競技場問題の本質:不透明で無責任、時代錯誤の大艦巨砲主義

政治・外交 社会

加藤 秀樹 【Profile】

巨額の建設費用が世論の反発を受け、計画見直しの声が高まる新国立競技場。2020年東京オリンピックのメーン会場建設をめぐる数々の問題について、筆者は「日本の政治家、官僚システムが抱える無責任構造が生んだ象徴的な事例だ」と指摘する。

世界の潮流と逆行する「多目的」施設

オリンピックの開催にあわせてスタジアムを建設した各国とも、競技場を将来どう使うかについて徹底した検討が行われている。オリンピック・パラリンピックでの使用は約1カ月間。その後の50年、100年間をどのように有効利用するか。まず、それを決めてから逆算してオリンピック競技場としての仕様(仮設客席を設けるなど)を決めるのが近年の大勢だ。特に先進国ではサッカーなど専用の競技場が既に多くあるため、目的を明確にしなければ「使えない競技場」になるおそれが高い。

例えば、アトランタの競技場は野球場に、シドニーの競技場は規模を縮小してフットボールスタジアムとして使用している。一方、「鳥の巣」の呼び名で有名になった北京の巨大競技場は最終用途が不明確なまま建設したため、オリンピック開催後はほとんど使われず、維持費がかさんで取り壊しも検討されているという。

オリンピック開催時に収容人数8万人だったロンドンの競技場は5.4万人まで減らし、プロサッカーチームのホームスタジアムにする予定だった。ところがその合意がいったん御破算になるなど方針変更があったため、改修費が予定より高くなる見込みだという。

世界の主要競技場がサッカーなどの「専用競技場」になっているのに対し、新国立競技場は、陸上競技に加えてサッカー、ラクビー、さらには「文化」イベントにも使用する多目的な施設だ。その結果、規模だけでなく、今回先送りされることになった伸縮型可動席や開閉式屋根(遮音装置)まで設置することで、建設費を異例に高くしている。

高すぎる「年48日利用で維持管理費40億円」

JSCのオリンピック終了後の計画案では、年間の競技場利用はサッカー20日、ラグビー5日、陸上競技11日、文化イベント12日の合計48日間と試算している。この利用見込みすら甘いといわれているが、これで年間の維持管理費が40億円余りにもなるという。

JSCによると、スポーツだけでは競技場運営の収支が赤字になるため、文化、特に音楽イベントを行う。音楽イベントには遮音のため屋根が必要とのこと。しかし、屋根を必要とする文化イベントは見込みでも12日間。しかも8万人の観客を動員できるイベントは、日本全体の実績でみても年数回程度だ。

オリンピック以外にサッカーW杯などにも使用するというが、陸上用のトラックがあるため、多目的競技場は専用サッカー場に比べると観客席がフィールドから遠くなる。2002年のW杯以後、専用サッカー場は日本ではすでに余り気味なので、これでは集客上の競争力に欠けると指摘されている。

巨大な施設を整備することで費用(設置費、維持運営費)がかかり、この費用を賄うためにイベントを開催する。イベントを開催するので遮音のための開閉式屋根や可動席が必要となり、その結果、さらに費用が膨れ上がる。何が目的の施設か明確でないからこのようなことになる。

さらに、遮音のための屋根が必要だと言いながら、「雪や嵐に耐えられない構造では」との指摘に対して、JSCは、「そのような気候の場合、屋根を開けて対応したり、イベントを開催しない」と説明している。支離滅裂だ。

大規模改修時、さらに1000億円規模が必要か?

海外の競技場でも店舗、レストランなどの施設を併設する例は多い。しかし、あくまでも基本的な目的を明確にしたうえで、競技がオフの時にも集客するための施設だ。博物館、図書館、とりわけ東京では至る所にあるショッピングモールがなぜ新国立競技場に必要な機能なのか。しかも専門家でもないJSCがどんな成算があって計画するのか。説得力のある説明は今に至るまで2年間全くない。

新国立競技場は、旧競技場の4倍の床面積があり、これだけ様々な施設があると当然維持運営費用も莫大になる。JSCの試算では、新国立競技場の維持運営費は40億円余。これは、旧国立競技場の維持運営費の約8倍だ。

これは開閉式屋根を設置した場合だが、追加空調設備、芝生育成のための大型送風機や土壌空気交換システム、地中温度制御システム、イベント開催時の芝生養生が必要になる。サッカー、ラグビー等の球技で使用する場合の伸縮型可動席も、建設費だけでなく維持運営費が高額だ。年数を経ると40億円でおさまらないという意見もある。運営主体であるJSC、文部科学省は、維持運営費に加え、長期的な改修費まで国民に示さなければ無責任である。

JSCの計画では、毎年の維持運営経費を賄うための収入は41億円弱、年間の黒字4000万円弱と見込んでいる。これもつじつま合わせだと言われているが、仮にそうなったとしても10年に一度必要になると言われている開閉式屋根の張り替え、さらには1000億円規模と言われる大規模改修は全くまかなえない。

首都圏近郊に類似の施設が多数存在する中で、陸上競技、サッカー、ラグビー、文化イベント等の開催を計画どおり確保できる見込みも、8万人を集客できる見込みもほぼ絶望的という指摘が強い。

かつて日本中の町に多目的ホールが建設され、「無目的ホール」と揶揄された。そしてその多くが、今や維持困難になっている。「無目的競技場」の将来世代への負担はあまりにも大きい。

誰も責任取らない構造

建設費用に関する下村大臣の発言が3000億から1700億、そして2500億と大きく振れているのは先に述べた。一方、JSCの河野理事長は「やめる、やめないは我々が決めることではなく、文部科学省が判断」。競技場デザインの審査委員長であった建築家の安藤忠雄氏は「審査委員会ではデザインの決定までで、その先は関わっていない」と発言している。 一体誰が決め、誰が責任を負うのか。

デザインや施設を決めているのは、国立競技場の運営を担当するJSCだ。これは予算の執行、建設業者との契約当事者であることなどからも明らかだ。そしてJSCは文部科学省所管の独立行政法人だ。 

JSCは国立競技場の建設及びその後の使い方を議論する諮問委員会として、国立競技場将来構想有識者会議を2012年1月に設けた。そして、その下に新国立競技場基本構想国際デザイン競技審査委員会(安藤忠雄委員長)が置かれ、ザハのデザインが選ばれたのだが、このコンクールの募集要項も審査結果も有識者会議で承認している。そこには担当の文部科学省スポーツ・青少年局長、副大臣も出席している。

またJSCへの交付、補助金は、文部科学省スポーツ・青少年局予算として配布されている。そしてそれら全体を統括しているのが文部科学大臣である。最終責任者である大臣の下で全員が応分の責任を持っている。ところが全員が他人事のようにツケ回しをしているのだ。

この無責任さと表裏一体なのが、JSCの裁量の大きさだ。

専門家いない組織JSCに膨大な裁量権

JSCには建築や競技場の専門家はいない。にもかかわらず新競技場の施設決定はJSCに委ねられているのである。のみならず、旧競技場解体予算(200億円)の中にJSC本部ビルと、同じく文部科学省の外郭団体である日本青年館の建て替え費用(130億円)まで含ませるなど、文部科学省とその関係団体が国会のチェックもなく莫大な税を自らの組織のために使っている構図がみてとれる。そのことはJSCとザハ・ハディド氏との契約内容をみても明らかだ。

コンクールの対象はデザインのみで、選ばれた建築家の業務はデザイン監修(委託経費13億円)とされ、実際の設計はJSCが主導し、JSCの考えで内容を大きく変えることができる。建設費用の振れの一因はそこにある。これを素人の追認機関にすぎないといわれ、形式的な諮問が行われるだけの有識者会議で承認していく。これが、勝手に決めて責任は取らないしくみだ。

その結果、有識者たちは「事務局であるJSCが決めたこと」。JSCは「有識者会議で決めた」、「文部科学省の指示」。そして文部科学省幹部と大臣はその上に乗っている感覚なのだ。数千億円もの税金の使い方を委ねられたら身の震えるような感覚があっていいはずだ。しかし彼らの誰にも、巨額の血税を扱う緊張感、無駄にしてはいけないという責任感はない。

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非営利の政策シンクタンク「構想日本」代表。京都大学経済学部卒業後、大蔵省入省。1997年に退官し、「構想日本」を設立。2015年から京都大学経済学研究科特任教授を務める。著書に『アジア各国の経済・社会システム』(東洋経済新報社、1996年)、『金融市場と地球環境』(ダイヤモンド社、1996年)、『道路公団解体プラン』(文藝春秋、2001年)など。

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