大きな成果あった安倍訪米
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「信頼できる日本」を提示
先般の安倍首相の訪米は大きな成果を納めたと評価できよう。まずは「イベント」として成功したことを否定することは難しいだろう。今回、オバマ政権はまさに安倍首相を「full-embrace(全面的に抱擁)」した。さまざまな制約を考えると、細かい注文がないわけではないが、行けるところまで行ったということではなかろうか。最新の世論調査をみると東アジア情勢の不透明感が増すなかで、一時低迷が危惧された「対日イメージ」が改善されつつあるが、まさに安倍首相自身がそのことを、身をもって示したといえる。
前回の訪米は手始めに「ジャパン・イズ・バック」と政策コミュニティに対して訴えかけたが、今回はアメリカ国民を前に、「信頼するに足るパートナーとしての日本」を提示したということだろう。想定できなかったのは、首都ワシントン近隣のボルチモアにおいて暴動が発生し、アメリカ国民の視線が若干そちらに引きつけられたことくらいではなかろうか。
皮肉なことだが、オバマ大統領のボルチモア暴動への踏み込んだコメントは、安倍首相との共同記者会見の場で発せられたため、期せずして全米メディアが部分的ではあるが、この共同記者会見の一場面をトップニュースとして報じた。
シンボルも政策も:フルコースの訪米内容
今回の訪米は、「シンボリックス(象徴行為)」と「サブスタンス(政策)」のフルコースといった感があった。一週間の日程もあっという間に過ぎてしまったというのが印象だ。象徴政治の次元では、オバマ大統領との一連の会談・イベントは、懸念されていた安倍首相とオバマ大統領の「パーソナル・ケミストリー(相性)」問題を当面は払拭した。また首相自身が英語で読み上げた議会演説は、アメリカに強い印象を刻み込んだことは疑いない。
ワシントン以外の訪問地でも、精力的に行事をこなし、日米関係の厚みを首相自身が浮かび上がらせた。政策面でも、訪米中に開催された「2+2」でガイドラインの改定について合意がなされ、TPPについてもその重要性が日米双方によって再確認され、もはや時間的余裕があまりない中、最終合意に向けてさらに詰めた交渉が加速化していくことが予想される。
国際政治の混迷が「パートナー」求める
今まで何人の日本の首相が、ここまで強い印象をアメリカに刻むことが出来たかと振り返ってみると、そう多くは浮かんでこない。これまでアメリカに強い印象を残した首相としては、レーガン時代の中曽根首相、G・W・ブッシュ時代の小泉首相の例が頭に思い浮かぶが(鳩山首相もまったく別の意味で強い印象を刻み込んだが)、中曽根首相と小泉首相が大統領との個人的関係をテコに日米関係を大きく進展させた印象が強いのに対し、今回の安倍首相の訪米は、アメリカにとっても、日本にとっても、お互いの存在が不可欠であるということを具体的に示すことによって、日本の存在を強く印象づけた点がこれまでの事例とは決定的に違っていたのではないか。
分かりやすくいえば、中曽根首相は「日の出山荘」であり、小泉首相は「クロフォード」であり「グレイスランド」であったのが、今回は「同盟のバージョンアップ(安保法制、ガイドライン)」、「日米が中心となった新しく先進的な、そして開かれた経済的な枠組みの構築(TPP)」、そして「(日本の首相としては初めての)上下両院合同会議演説」である。背景には、混迷の度合いを深め、無秩序性が浮かび上がりつつある世界政治の状態と中国の不透明な台頭があることはいうまでもない。これらにいかに日米として対応できるかということが、今回の訪米の具体的な課題であった。
その結果、「日米対等」という戦後日本を貫いてきた執念のような想いが後退し、日米がパートナーであるという側面が自然に浮かび上がったという点では、今回の訪米はこれまでにない性格のものだったといえよう。それは安倍首相本人の功績である同時に、日米関係の在り方を、アジア太平洋地域、そしてグローバルな次元で進行しつつある新たな事態に適合させるべく努力してきた日米双方の側の努力の積み重ねであるともいえよう。
安保、経済双方の「秩序づくり」で協調
日本にとっての対米外交は、日本外交の大半ではないにしても、圧倒的な部分を構成する。その意味で、対米外交は日米二国間関係を超えて、政権の外交方針そのものの評価と連動し、日本国民がもろ手を上げて賛成であるというわけにもいかないのも当然である。安保法制をめぐる議論、歴史問題をめぐる論争、日中・日韓関係、沖縄の基地問題などが今回の訪米の評価と連動し、様々な見解が飛び交っていることも事実であろう。ここでは冷静に今回の訪米の成果といくつか考えられる問題点を指摘したい。
今回の訪米の政策的な焦点はなんといってもガイドラインと環太平洋パートナーシップ(TPP)だった。この二つは安全保障と経済ということで政策領域としては別物だが、両者に通底しているのは、日米でアジア太平洋地域における先進的な秩序を維持していこうという発想だ。
日米で、この地域における自由で開かれた、そしてルールに基づいた秩序を下支えする先進的な政治経済秩序を構想し、既成の秩序や規範が脅かされた時には、共同で対処する。さらに両者は、グローバルなスコープを有している点でも重なりあう部分がある。いま世界が直面している脅威の多くはかつてのように地理的に限定できるものではない。新たなガイドラインにおいては、新しい領域での戦略的な協力が提示されている。
TPPについても、メガFTA時代の到来が語られるなか、日米が合意してTPP交渉を加速させることはグローバルなインプリケーションを有する。中国主導のアジア・インフラ開発銀行(AIIB)が動き出そうとしている中、TPPの戦略的重要性がさらに高まっているともいえる。逆にいえば、TPP交渉が頓挫してしまえば、それこそAIIBをめぐる日米の対応は「外交敗北」と見なされるだろうし、そもそもアメリカの「リバランス政策」も空洞化してしまう。
今回の訪米を通じて、ガイドラインとTPPを軸に、日米が秩序づくりにおいて共同歩調をとるということを内外に示せたことの意味は大きいだろう。
「歴史問題」:米は当面、70年談話を注視
懸念された「歴史問題」についてはどうだったろうか。これまで安倍首相に対する一部の層に見られた疑念の大部分は、総理自身が抱いていると想定された「歴史観」に関わるものだった。安全保障政策における一連のプラグマティックな取り組みも、現実に対応するという装いをとりつつも、実は根幹では「ナショナルな衝動」に突き動かされているのではないかとの疑念が、アメリカの東アジア専門家の間ではくすぶっていた。
しかし、今回の訪米中に発せられた歴史に関わる一連の発言や象徴的行為(第二次大戦記念碑訪問)を総合すると、少なくともアメリカ側の期待値との関係においては十分であったと考えられる。最近は歴史問題がワシントンを巻き込むかたちで展開しており、今回の対応はそのことを十分に理解した上でのセットアップだったいえよう。その注意深さが目立ってしまった感はあったが、アメリカとの関係で必要なことはこれで言ったという理解でいいのではないだろうか。一方で、雲が完全に晴れたかというとそこまでは達していない。当面はアメリカも戦後70年談話を注視するというところだろう。
首相訪米翌週に日本研究者を中心とした187名の学者が「歴史問題」に関する声明を発出したことにも見られるように、日本に強い関心を持っている研究者層には安倍首相の「保守主義」に対する根強い不信感がある。この声明は、ポジティブなトーンを保とうとしつつも、根底に横たわる不信感は明らかだ。
この声明に過剰反応すべきではないが、187名の異なったバックグラウンドの研究者が一つの文書に同意署名したということの意味それ自体はしっかりと受けとめなければならないだろう。187名のオリジナルの署名に加え、5月19日には追加署名のリストも発表された。いまや450を超える研究者が名を連ねている。
いま日米関係は多層的な次元で成立している。それは、ある一つの次元で成立している日米関係に、他の次元で成立している日米関係が交差してくることを意味している。アカデミックな次元で成立している日米関係が、政治や安全保障の次元で成立している日米関係と完全に重なりあうことはないだろう。
日本にも限りなく多様なアメリカ観があるように、アメリカにも多様な日本観がある。現に同じ日本研究者であっても、いわゆる政治系、もしくは安全保障の専門家は、この声明にほとんど名を連ねていない。また政策系シンクタンクの日本専門家の多くも不在だ。187名がひとつの文書の下に一同に介したことの意味も大きいが、そこに欠けている名前の意味も大きい。バランス感覚をもって評価したいところだ。
バナー写真:オバマ米大統領(左)と車中で歓談する安倍晋三首相=2015年4月27日、ワシントン(ホワイトハウス提供、時事)