再上場JAL、破綻から再生に至る道のり
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JALはなぜ破綻したのか
JAL破綻の直接の引き金となったのは2008年のリーマン・ショックだった。しかし、そうしたショックに耐えることのできない脆弱(ぜいじゃく)な企業体質が長年にわたって形成されてきたことがより大きな原因だといえよう。
例えば効率の悪い大型機材を大量に保有せざるを得なかったこと。ここでいう「効率が悪い」とは、供給座席が需要に対して過剰になりがちであり、安売りをしてもなお空席が生じる便が多く見られることである。ただ、これは主に、日本の航空市場の特殊性に起因するものである。日本では、国内線の基幹空港である羽田空港が非常に混雑しており、大量輸送によって需要に対応していかなければならない状況が続いてきた。そのため、大型機材での運航が推奨されてきた事情がある。しかし、多くの地方空港が建設されていく中で、需要の大きさも多様化し、必ずしも大型機が望ましいとはいえなくなってきた。
投資の失敗も大きい。ホテルなどの関連企業を増やし、総合的なサービスの提供による競争力の強化を図ったが、採算性の見通しの甘さから、採算性を見込めないものが本業の足を引っ張る結果となった。また、過去における長期にわたる為替差損も、JALの放漫経営の象徴としてよく取り上げられている。
労働組合の問題もある。複数の労働組合が存在しているため、複雑な労使関係だけでなく、労々関係も企業経営を極めて難しいものとしてきた。その他にも、採算性の取れる見込みのない地方路線への就航を政治的な観点から行わなければならなかったことなど、破綻の要因は多く見いだすことができる。それだけ問題の多い企業であったことは確かだといえよう。
緩やかな解決から法的整理へ
JALの経営危機に対する対応として、国土交通省は2009年8月、有識者委員会(日本航空の経営改善のための有識者会議)を設置し、JAL自身に経営改善計画を策定させる形の緩やかな解決を図った。しかし、ちょうどこの直後に民主党政権が誕生し、特に前原誠司国土交通大臣(当時)の強力なリーダーシップのもとで、政府がJAL問題に極めて積極的に関与することとなった。
まずは前原大臣が私的にJAL再建業務を要請した再生タスクフォースによって、JALの内部調査が徹底的に進められたが、政府と金融機関が出資する企業再生支援機構の設立に伴って、その業務は支援機構に引き継がれることになった。JALは2010年1月に会社更生法の適用を申請し、その後、支援機構の企業再生支援委員長で、これまで多くの倒産企業の管財人を務めてきた瀬戸英雄弁護士の指揮下、経営の建て直しが進められた。更生計画に基づき、金融機関による債権放棄(5215億円)と支援機構からの公的資金の注入(3500億円)を受け、株式は100%減資された。
JAL再生の上で何よりも大きいのは、京セラ創業者で前原氏と親しい稲盛和夫氏がJAL会長に就任し、采配を振るったことだろう。京セラを「アメーバ方式」で世界的企業に成長させた稲盛氏の経営手腕による貢献は大きい。例えば、これまでJALでは、収支を見る上では路線ネットワーク全体を単位として捉えてきており、個別の路線収支は重視されてこなかった。これに対して稲盛氏は個別の路線収支の把握の重要性を徹底した。そして、特に幹部社員を中心として、経営感覚の向上を図ることをセミナーなどの実施を通して徹底させてきた。稲盛氏と瀬戸氏の存在なくしては、JALの経営改革はかなり難しいものとなっていたに違いない。
経営改革に労働組合も協力
路線別収支の把握以外に、具体的にどのような改革が行われてきたかを見てみよう。
まず、効率の悪い大型機材は売却され、ボーイング737、767型機といった中型機を主体とする機材編成へと大幅に転換させた。その結果、大型機の操縦免許しか持たない高齢のパイロットは職場を去らざるを得なくなり、後の訴訟問題へとつながっていく。
関連会社も次々と売却されていった。相当数の関連会社が売却されていったが、その中には、収益性、将来性が高いと見られていたクレジットカード子会社のJALカードなども含まれていた。JAL再生がなったときには、こうした優良子会社を手放したことが後で大きな禍根になるのではないかといわれたくらいである。
この過程で大幅なリストラも行われた。希望退職が数度にわたって募集され、かなりの人々がその募集に応募して会社を去っていった。
残った社員の給与水準も切り下げ、ライバルの全日本空輸(ANA)より2割程度低い水準に抑制された。給与体系は能力による差別化が進められ、パイロットや客室乗務員の待遇も大幅に改められた。特にパイロットに関しては、世間から批判の多かったハイヤーでの送迎は廃止された。また、以前は、実際に乗務していなくても一定時間は乗務していたものとして給与が支払われていたが、それも実際に乗務した時間に合わせた支払いに改められていった。
このような改変は、強力な組合の存在に鑑みれば、従来では考えられないものであった。これが可能になったのは、支援機構という外部からの力が、組合を説得する上で大きな交渉力を発揮したことと、組合側もJALの将来に大きな不安を抱いて、改革に協力する気になったことがある。
年金を大幅にカットすることも大変な苦労を伴うものであった。さまざまなやり取りがあった結果、最終的に現役50%、OB30%カットという成果を得ることができた。特に現役世代には不公平感はあろうが、ともかくも改革を実現できたことは大きな意義を持つものであった。
こうした努力の結果、2010年3月期(2009年4月~2010年3月)には1337億円の営業赤字だったJALは、2012年3月期(2011年4月~2012年3月)に2049億円の営業黒字を計上するなど、想像もできなかったようなV字回復を遂げた。それも、世界的に見てもまれにみるような好業績を挙げるに至っている。2011年の東日本大震災という非常事態に遭遇したにもかかわらずにある。こうした結果に対して、業界周辺からはやっかみの声が出るまでになっている。再上場を目前にして、経営危機時の赤字の繰り越しによってJALが法人税を免除されている点をはじめ、さまざまな批判がなされており、自民党の航空問題プロジェクトチームが再上場反対や地方路線拡充を決議するなど、再上場に対する障害を形成するまでに至った。
再生JAL、自己統制が大きな課題
さて、今年9月19日、JALは再上場を果たした。本格的な再スタートを切ることになるのだ。今後JALにとって何が課題となるのだろうか。
まずは、破綻によって大きな損失を被った元株主に対してどのように信頼を回復していくかという点がある。JALは今後も、その犠牲に対して真摯(しんし)に対応していかなければならないだろう。個人株主はもちろん、何よりも機関投資家の信頼性を回復し、どのようにして安定株主を獲得していくかが問題となる。長期的な経営戦略が重要になる航空事業としては、安定株主の存在は必要不可欠なものである。
次に社内ガバナンスの問題である。ここまで大きな犠牲を払って企業再建に取り組んできた社員に対して、一定の慰労をしなければ社内の活気が保(たも)てないことは事実である。しかし、JALの動静については社会的な注目度が大きく、破綻した企業に対する視線は厳しい。また、社員の意識が再び放漫化するという恐れもないわけではない。そうならないように、どのように手綱をとっていくかは極めて難しいことだろうと思われる。
そして、何よりも稲盛氏、瀬戸氏など、いわば「外部」からの圧力がなくなった段階で自己統制をどのように、従来のように厳しく行っていくことができるかということがある。特に組合との交渉において、重しがなくなった状況で、また経営が非常に順調に推移している中で、その果実をめぐってどのような対応をしていくかは、今後の大きな課題である。
その他、係争中の整理解雇の問題もある。判決次第では、改革が逆行することにもなりかねない。このように、まだまだ前途多難であるという意識を経営陣や社員がどこまで継続的に持ちうるかでこれからのJALの成否は大きく左右されることになるだろう。
最後にJALは撤退した地方路線を復活させるべきだとの議論について付け加えると、これらの路線はそもそも公的に維持されていくものであり、民間企業にその維持を委ねること自体が問題ではないかと考える。JAL再生に伴って、航空政策のあり方自体も問い直されている。