大阪人と台南人、なぜ似ている?——引かれ合う日台の古都交流

文化

大洞 敦史 【Profile】

中央に対する古都の矜持

本筋に戻ると、「よその土地でも堂々と地元の言葉を使う」という点も大阪人と台南人の特徴だ。東京で生粋の東北弁や九州弁を耳にすることはめったにないが、大阪弁は至るところで耳に入ってくる。大阪人に言わせれば、いわゆる標準日本語は「東京弁」に過ぎない。一方、台湾に目を向けると、台北などの街角で聞こえてくるのは中国の普通話に近い「国語」または「華語」と呼ばれる言葉がほとんどだが、台南では中国福建南部の方言にルーツをもつ台湾語の方が圧倒的に優勢である。筆者の知人には、台湾語をあまり解さない筆者に対しても、頑として華語を口にしない人が何人もいる。

そこからうかがえるのは「中央に対する古都の矜持(きょうじ)」である。ちなみに今の大阪には7世紀に難波宮という都があったから、京都、奈良と共に古都と呼んで差し支えない。関ヶ原では運悪く敗れたが、自分たちこそ古代から続く日本文化の精髄を担っているという意識が大阪人にはある。

台南では17世紀にまずオランダ東インド会社が入植を始め、東南アジアから大量の移民を雇い入れて町を建設し、鄭成功がこれを破って上述の赤崁楼を行政の中心に定め、漢人の政権を樹立した。大阪が太閤はんのお膝元なら、台南は鄭成功のお膝元だ。秀吉と鄭成功はともに平民の出である。史実はさておき、小説やドラマなどで描かれる秀吉のキャラクターは、言葉こそ尾張弁だが、頭の回転が速く、「人たらし」と呼ばれるほど他者と心を通わせるすべに長けるあたり、典型的な大阪人とは言えないか。

他方、鄭は明の滅亡後、明の復興を目指して清と戦いを繰り広げた人物だ。そんな鄭の政治的な反骨精神を、今の台南人も受け継いでいる。

ちなみに近松門左衛門が鄭をモデルに脚本を書いた人形浄瑠璃「国性爺合戦」は、1715年に大阪の竹本座で初演されている。300年前の一種の奇縁と言えるだろう。

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1984年東京生まれ、明治大学理工学研究科修士課程修了。2012年台湾台南市へ移住、そば店「洞蕎麦」を5年間経営。現在「鶴恩翻訳社」代表。著書『台湾環島南風のスケッチ』『遊步台南』、共著『旅する台湾 屏東』、翻訳書『フォルモサに吹く風』『君の心に刻んだ名前』『台湾和製マジョリカタイルの記憶』等。

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