大阪人と台南人、なぜ似ている?——引かれ合う日台の古都交流

文化

大洞 敦史 【Profile】

気風の上でいくつも通じ合う台南人と大阪人

単に人が親切で、物価が安くて、食べ物がおいしいだけの場所なら、ほかにもいろいろあるだろう。台南人が大阪を、大阪人が台南を旅して共に「波長が合う」と感じるのは、気風の上でいくつか通じ合う部分があるからだ。具体例を挙げれば「見知らぬ人にも自然に話しかける」とか「よその土地でも堂々と地元の言葉を使う」などだ。

「見知らぬ人にも自然に話しかける」という習慣は、大阪も台南も、豊富な水運を基盤に発展してきた港湾都市であり、商業の町であることと関わりがあるように思う。大阪は「水都」という美称を持つほど、多くの川や運河を擁する町だ。台南には清の時代、五条港とよばれる5本の水路が流れ、中国大陸との間で盛んに交易が行われていた。1858年に清とイギリス・フランス・ドイツ・ロシア間で結ばれた天津条約による開港後は西欧諸国の商館が立ち並び、多くの外国人が駐留していた。商売の基礎はコミュニケーション力である。常に外の人間との交わりがあったからこそ、庶民の間にも開放的な気風が育った。今、観光客が口々に賞賛する大阪人と台南人の親切さは、その延長線上にある。

ここで興味深い歌を紹介したい。「道頓堀行進曲」と「台南進行曲」だ。前者は昭和初期に関西地方の各松竹座で、同名の幕間劇の上演中に歌われていたもので、歌手の筑波久仁子、内海一郎らがレコードを出し、全国に広まった。

赤い灯 青い灯 道頓堀の川面にあつまる 恋の灯になんでカフヱーが 忘らりよか

(日比繁次郎作詞、塩尻精八作曲)

一方の「台南進行曲」は、「道頓堀行進曲」のメロディーに新たに台湾語の歌詞を付けたもので、1933年台南生まれの林世芳という男性歌手が60年代前半に発表した。ちなみに「進行曲」は日本語の行進曲と同じくマーチの同義語である。

舞場的霓虹燈 閃爍運河邊(ダンスホールのネオンが運河のほとりに輝く)小船隻成雙對 良宵月光瞑(対になった小船を照らす月明かり)懷念的美麗的 台南的晚暝(懐かしく美しき台南の夜)

(作詞者不詳、筆者和訳)

作詞者は当然原曲の歌詞を参考にしたことだろうが、ロマンチックでノスタルジーを誘うムードはそのままに、「道頓堀」が「運河」すなわち日本統治時代に造られた港町・安平と台南市街地を結ぶ台南運河に替えられている点が面白い。歌詞の他の部分には、当時の繁華街であった台南銀座や、台湾を代表する名所旧跡である赤崁楼といった地名が織り込まれていて、在りし日の台南をしのばせるものとなっている。

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大洞 敦史DAIDO Atsushi経歴・執筆一覧を見る

1984年東京生まれ、明治大学理工学研究科修士課程修了。2012年台湾台南市へ移住、そば店「洞蕎麦」を5年間経営。現在「鶴恩翻訳社」代表。著書『台湾環島南風のスケッチ』『遊步台南』、共著『旅する台湾 屏東』、翻訳書『フォルモサに吹く風』『君の心に刻んだ名前』『台湾和製マジョリカタイルの記憶』等。

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