
日本人はどうして席を譲らないのか?——台湾の「同理心」と日本の「自己責任」から考える
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行き過ぎた「自己責任」がマイナスに作用
よく言われる理由に、日本人の通勤時間が長いことが挙げられる。残業や激務で疲れており、自分を後回しにできる心理的・体力的な余裕が生まれない。茨城県から都内へ通勤をしている男性は、席を確保するため4、5本の電車を見送ることも少なくない。そうまでして手に入れた席を譲る気持ちにはなれないという。また、高齢者に席を譲るのをためらう理由として、「年寄り扱いされるのを嫌がる高齢者がいる」「譲ろうとしても断わられ、時には逆ギレされることもある」という話も耳にする。台湾の場合も、こうした例がない訳ではないが、だからといって「以降はもう譲らなくていい」とは考えないだろう。これについてある台湾人は、「そんなことを恐れていたら、本当に席を必要とする人を助けられない」と答えた。こうしてみると、他人との間に発生する迷惑への恐怖心や面倒を煩わしく感じる気持ちは、日本人と台湾人では随分と差があるようだ。
例えば台湾の「同理心」に対し、日本で最近よく見聞きする言葉に「自己責任」がある。これは、2004年のイラク邦人人質事件で日本社会に定着し、最近ではシリアで人質になり解放されたジャーナリスト・安田純平さんを非難する際に使われ、多くの論争を巻き起こした。本来は「契約などにおける免責事項(英語ではOwn risk)」を表す概念だったが、現在は強者が弱者を助けることを拒否し、そうした状況を嘲笑するニュアンスで使われることもある。こうした多義的な日本の「自己責任」という言葉を台湾の言葉に翻訳する場合、やはり一言で表すのは難しい。今の日本社会で、妊娠や高齢ということは「自己責任」の範囲にあり、人に迷惑をかけないようにひたすら我慢すべきという意識が働いているのかもしれない。日本人は幼いころから徹底的に「他人に迷惑・面倒をかけない」ことを美徳として身に付けるが、それが今では逆に「迷惑や面倒をかけられることを許さない」といった負の気持ちを増幅させる原因になっているようだ。
一方の台湾では、自分と他人との関係は、凸凹の面が組み合っているような状態だ。相手に迷惑をかけることがあるかもしれないが、逆に相手が困っているような状況なら、その面倒は引き受ける。多くの接点があるために、その摩擦からトラブルが発生することも避けられないが、孤立することもない。
もちろん物事には必ず短所と長所が生じる。震災などの非日常において、なるべく他人に迷惑をかけないよう行動する日本人の姿が、海外でも称賛を受けたのはその一例だろう。逆に台湾では、2018年9月、台風により関西国際空港で自由旅行客が一時的に空港に閉じ込められた際、台湾政府に救助を求める世論が台湾外交官を自死に追い詰めたのは、「自己責任」的な感覚の欠如の結果だったと言えるかもしれない。こうした行き過ぎた自国民の「同理心」は、当時の台湾のインターネット交流サイト(SNS)上で「巨大な赤ちゃん」と批判された。
とはいえ、現在の日本における弱者に対する「自己責任」を求める態度もまた行き過ぎと感じる。人生は長い。誰しもいつかは老いるし、不測の事態でいつ周りの手助けを必要とするようになるかも分からない。日本人が台湾を評価する際、「日本が失ってしまったものが残っている」と口にするのは、「お互いさま」という気持ちが台湾社会でまだまだ成立しているからではないだろうか。
バナー写真=妊婦に席を譲る若い女性(Ushico / PIXTA)