台湾を変えた日本人シリーズ:不毛の大地を緑野に変えた八田與一(2)

文化

古川 勝三 【Profile】

巨大なかんがい事業決定の舞台裏

工事の設計図と予算書を携えた技師の八田與一は、部下に見送られ嘉義駅(台湾・嘉義市)から上京、台北に着くと総督府の会議室に腰を下ろした。民政長官の下村宏をはじめ土木局長の相賀照郷、土木課長の山形要助以下、技師たちが八田の説明を聞き終わると、工事規模の大きさに多くの技師が驚嘆した。かんがい面積15万ヘクタール、水路の延長1万6000キロメートル、工事期間およそ6年間、必要経費は事務費を入れて4300万円だったという。

「水源は、どうする」と山形が口火を切った。

「濁水渓からの直接取水で5万2000ヘクタール、それに官田渓に造るダムから9万8000ヘクタールのかんがいを考えています」と八田は答えた。

「ダムの規模は」と聞かれ、「有効貯水量約1億5000万トンのダムを半射水式で造ろうと考えています。これがその設計図です。全部で300枚余りあります」と八田。ダムの設計図を見て、技師全員が目を疑った。

設計図には堰堤(えんてい)は長さ1273メートル、高さ56メートル、底部幅303メートル、頂部幅9メートルの巨大な堰堤の断面図が描かれていたからだ。東洋はおろか世界にも例がない規模のダムを、32歳の技師が設計していたのである。「八田の大風呂敷」が真価を発揮していた。局長以下、ほとんどの技師が質問を終え、静寂が会議室を包んだ。

下村がおもむろに口を開いた。

「この規模の工事は、内地にはあるのか? ないとすれば、巨大工事を二つも台湾でやるのは愉快じゃないか」。この言葉に、今度は土木局の全技師が耳を疑った。「日月譚水力発電工事」と「官田渓埤圳新設工事」の巨大工事を土木局が一度に背負い込むことになるからだ。

「金のことは何とかする。工事をするからには、必ず成功させてくれ。八田技師、頼んだよ。ところでダムの人造湖はまるで堰堤に生えた珊瑚樹そっくりだな。北の日月譚に南の珊瑚譚というのはどうだろう。」下村は上機嫌で会議室を後にした。

総督府土木局内での審議はこれで終わったのである。

巨大なかんがい事業が嘉南平原で動き出そうとしていた。八田案は総督の明石元二郎の決断を経て第42帝国議会で審議された。米騒動の苦い経験をしていた議会は、7月の追加予算で通過成立させたのである。巨大工事は総督府の直轄工事でなく、民間工事として国が補助金を出し、総督府が工事全体を監督する方式にした。そのため「公共埤圳嘉南大圳組合」が設立され、八田は総督府から組合に出向し、烏山頭出張所長として工事を指揮することになった。

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古川 勝三FURUKAWA Katsumi経歴・執筆一覧を見る

1944年愛媛県宇和島市生まれ。中学校教諭として教職の道をあゆみ、1980年文部省海外派遣教師として、台湾高雄日本人学校で3年間勤務。「台湾の歩んだ道 -歴史と原住民族-」「台湾を愛した日本人 八田與一の生涯」「日本人に知ってほしい『台湾の歴史』」「台湾を愛した日本人Ⅱ」KANO野球部名監督近藤兵太郎の生涯」などの著書がある。現在、日台友好のために全国で講演活動をするかたわら「台湾を愛した日本人Ⅲ」で磯永吉について執筆している。

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