日記研究最前線——「個人の経験」から歴史を見つめ直す
文化- English
- 日本語
- 简体字
- 繁體字
- Français
- Español
- العربية
- Русский
2.28ペンキ事件と蒋介石日記
台湾で「世界一長い戒厳令」が解除されてから71年目を迎えた今年の2月28日、慈湖陵寝(台北近郊・桃園市)に安置されている蒋介石元総統の棺(ひつぎ)に赤いペンキがかけられた。台湾独立を掲げる団体「FETN-蛮番島嶼社」が起こしたこの事件以降、現在も蒋介石と蒋経国親子の棺が安置されている慈湖陵寝と大溪陵寝は封鎖されたままだ。
FETNは、移行期の正義を着実に実行することを主張し、二二八事件で犠牲となった人々を象徴する「赤いペンキ」をかけた。移行期正義とは、独裁政権下で行われた人権侵害や残虐行為の「清算」を目指す政治的な態度で、台湾では1995年の「二二八事件の処理及び補償法」にはじまる。二二八事件とその後の白色テロに関して、蔡英文総統は真相解明と責任の帰属を明確にする方針を示している。蒋介石本人が記した日記は、そうした移行期正義の実践の中で二二八事件を「清算」していくに当たって、重要な史料の一つといえるだろう。というのも、中国全土で共産党と内戦中であった蒋介石がどれくらいのタイムラグで、事件をどのように把握していたのかを知ることができるからだ。スタンフォード大学フーバー研究所に貸与されている蒋介石日記には、二二八事件への言及が18カ所あり、47年3月15日付の日記には、「新しく回復した土地と辺境の省は武力で維持すべきだ」と記されている(野嶋剛「蒋介石日記5:弾圧2.28事件「土地は武力で維持」、『朝日新聞』2008/9/2朝刊)。
「個人の経験」から歴史を問い直す
蒋介石日記に限らず、日記は歴史的事件の全体像を補完したり、作品の制作過程や作家のプライベートを垣間見たりできる史料として、傍証的な役割を期待されてきた。
しかし近年、日記を傍証的な史料としてのみ扱うのではなく、ミクロな視点から歴史を描き出し、これまで等閑に付されていた問題を浮かび上がらせ得る史料として扱う動きも出てきている。
台湾では中央研究院台湾史研究所所長の許雪姫教授が中心となり、日記の解読と翻刻、そして研究が進められている。日記知識庫と題されたホームページには、デジタルアーカイブ化された日記が無料で公開され、中央研究院所蔵の日記を史料とした学位論文のタイトルも同ホームページで確認できる。
台湾における日記研究は、霧峰林家の林献堂が記した日記(『灌園先生日記』)を読み解くことから始まった。林献堂は、1920年代から30年代前半にかけての抗日民族運動のリーダーであり、台湾総督府に対して合法的な活動を通して、台湾人自治を求める台湾議会設置請願運動などを展開した。林献堂の日記は、林献堂の一生を「裏書き」する証拠であるばかりでなく、そこには台湾人の心声が言い表され、政府資料の不足を補い、さらにミクロな視点から台湾史を示すものである。
翻って日本における近年の日記研究事情を見てみよう。近代以降の日記を主な研究対象とする試みとしては、同志社大学コリア研究センターが2016年に主催した国際シンポジウム「日記からみた東アジアの脱植民地化と冷戦」と明治学院大学の田中祐介助教が14年から開催している「近代日本の日記文化と自己表象」研究会などがある。
同志社大学のシンポジウムでは、主に日記という個人記録(ego-documents)に書き刻まれた諸個人の脱植民地化と冷戦の経験を出発点に、「歴史を描き直す」試みがなされた。林献堂を含むインテリ層のほか、農民や電気工、弁士、韓薬士の綴った日記を通じて、その時代を生きた民間人の心性と歴史の関わりが描き出された。このシンポジウムで扱われた日記の書き手たちは、林献堂以外は朝鮮半島に居住するか、もしくは中国東北部の朝鮮族であった。
「近代日本の日記文化と自己表象」研究会が16年に開催した学際シンポジウムでは、歴史学、文学、社会学、文化人類学等の若手研究者が集い、高等小学校や高等学校の生徒、満州の中国人学生、教員、学徒兵、役人、医療従事者、農民、作家などさまざまな書き手による日記や記録の分析を通じて、近代日本における自らの内面や日常を記す行為の歴史性が問われた。またこの研究会では、故福田秀一氏(国際基督教大学教授)の日記資料コレクションを中心に、日記資料の散逸防止とさらなる活用を目指した目録化事業も行われている。
日台のこうした研究動向から見えてくるのは、「個人の経験」から歴史を問い直していく可能性である。
(上記シンポジウム・研究会関連文献)
- 板垣竜太・鄭昞旭編 (2017)『日記からみた東アジアの冷戦』同志社コリア研究センター
- 田中祐介編(2017)『日記文化から近代日本を問うー人々はいかに書き、書かされ、書き遺してきたか』笠間書院
日記から「台湾史」を考える
「個人の経験」に立脚した歴史への問い直しは、昨今の台湾において移行期正義を促進していく流れとも呼応するのではないだろうか。二二八事件に関連する公文書の精査が急ピッチで進められ、今年の3月には1000人余りの受難者がいる可能性が新たに明らかとなった。蔡総統が目指す補償金の支給や名誉回復証書の授与に留まらない「真相」究明と責任の明確化が、どの程度実現可能であるのかはまだ見通せない。しかし、現在まで「救済」されることのなかった個人の痛ましく、筆舌に尽くしがたい経験を「台湾史」という歴史の文脈の中で捉え直していくことが、個別の補償に加えて今求められているように思える。それは、国民党やかつての指導者、あるいは民進党を主語とする「台湾史」ではない。さまざまな関係性が折り重なり、時にはしがらみとも言い得るものの中で構成される「個人の経験」にかたどられた「台湾史」だといえる。
バナー写真=topntp / PIXTA