台湾少年野球の聖地紅葉村を訪ねて

文化

言葉と名前に宿る誇り

アミ族のオヤウさんは撮影中、台湾人のプロデューサーとは台湾語、私たちとは日本語で話してくれた。自身は戦後生まれだが、父親から日本語を習ったそうだ。そのオヤウさんが地元での上映会の時、「地元だからいいでしょ」と言ってアミ語であいさつを始めた。マイクを握るオヤウさんのりりしい横顔に心が震えた。成功鎮は人口約1万5000人で、アミ族と漢民族系の人たちがほぼ半数ずつ暮らす町だ。オヤウさんのスピーチを理解できたのは会場の半分だったかもしれない。それでも、あえてアミ語で話すことを選んだオヤウさんの気持ちを思った。先住民族が自分たちの言葉を失いかけている。学校の授業で習わなければならないほどに。そんな事態に対するじくじたる思いもあっただろう。彼らから言葉を奪ってきた歴史に日本も加担していることを考えると申し訳なく思う。

成功鎮での上映会で、アミ語で挨拶するオヤウさん、2017年(松根広隆氏撮影)

オヤウさんは中国語名も持っているが、最初に名乗ったのは部族名だった。漁師の仕事仲間も近所の人もみんな「オヤウ」と呼び、彼が中国語名で呼ばれるのを聞いたことは一度もなかった。映画の紹介テロップも民族名を優先させた。初めて監督した『台湾人生』に出演してくれたパイワン族の故タリグ・プジャズヤンさん(1928年生まれ)の言葉が忘れられない。「原住民族(先住民族)がこの台湾を守ってきた。原住民族がいなければ、今の台湾はない」。そして「名前が日本人になっても、中国人になっても、自分は原住民族であることを忘れてはならない」と。タリグさんは日本統治時代に生まれ、松田正一という名を持ち、戦後は「華愛」という中国語名で国会議員を務め、先住民族の権利回復を目指し力を尽くした。

紅葉少年野球団50年目の挑戦

紅葉少年野球団は昨年、全国大会で準優勝したが、主力選手はみな卒業してしまった。エースで主将を務める新5年生のファッサオ(中国語名:鄭景澤)君を中心に新しいチーム作りが進んでいる。彼は、父がアミ族で母はプユマ族だ。「野球が好きだから、3年生のときに転校してきた。初めは大変だったけど、キャプテンになってとてもうれしい。夢は大リーガー」と話す。今年の夏も「紅葉杯野球大会」が台東県で開かれる。国の内外の小学生から高校生まで66チームが参加する。全国制覇を目指すファッサオ君たち新チームの初舞台だ。68年にセンターで活躍したハイソル(邱春光)さんや、彼の息子で、子どもたちが学ぶ紅葉国民小学校のイマン(邱聖光)先生をはじめ、全員顔見知りの村人たちが彼らの成長を楽しみに見守っている。先住民族代表という意識うんぬんは別として、ひたすら練習に打ち込む子どもたちのこれからの人生が実りあるものであることを願ってやまない。紅葉村が再び脚光を浴びる日は来るのか。野球少年たちの50年目の挑戦が始まっている。

夏休みのある日の紅葉国民小学のグラウンド。コーチの姿はなく、思い思いの格好で集まった選手たちが自主的に練習していた、2017年(五十嵐真帆氏撮影)

バナー写真=紅葉少年棒紀念(記念)館(田中紀子氏撮影)

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