ふるさとはどこですか?——テレサ・テンと福島県三島町

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平野 久美子 【Profile】

小さな町の温かな心

記事を送ってくれた福島市在住の友人は、実は、東日本大震災が起きた2011年の秋に、台湾政府が被災者1000人を招待した14日間台湾の旅に、幸運にも参加できた一人だ。被災後の自分たちを気遣ってくれた台湾に、少しでも恩返しをしたいと行動してきた熱き心が、私の好奇心と瞬時に合体し、三島町行きは決まった。6月15日、私はテレサ・テンの著作権を管理する台湾の「鄧麗君文教基金会」日本側窓口を務める舟木稔さんにも声を掛けて、東北新幹線に乗り込んだ。

東京から321キロメートル、三島町は遠かった。郡山駅から高速道路を使って2時間のドライブ。青くかすむ磐梯山を見ながら猪苗代湖沿いに西へ向かい、水田地帯やスギやキリの森を抜けてようやく到着した。只見線を利用しても郡山から2時間半は優にかかる。清流に抱かれた集落の人口は約1600人。豪雪地帯だけあって、急角度の屋根が独特の家並みを作り出している。冬になると、雪煙を上げて走る只見線の列車や鉄橋の美しさが外国人観光客から人気を集め、各国の写真家や鉄道ファンがわざわざ訪れるそうだ。

三島町では都会に出て行った若者や私のようにふるさとを持たない都会人を対象として、1974年からふるさと運動を進めている。そのことを知った当時のレコード会社の宣伝マンが、三島町をキャンペーン先に選んだらしい。テレサ・テン来町の理由が新曲の宣伝だと分かっていても、三島町役場は特別町民証を発行し記念植樹式まで用意して、町民は一丸となり彼女をもてなした。この大歓迎と雪国の美しさがテレサに十分伝わったことは言うまでもない。

記念植樹(福島県三島町役場提供)

「テレサさんが三島町を訪れたことは、町にとって大きな出来事でした。このご縁を生かして、多くの人に心のふるさとを提供できればと思っています」。矢澤源成町長はこのように話しながら、41年前の写真をたくさん見せてくれた。どれも町民が記念撮影したもので、テレビや雑誌では決して見せないテレサの素顔が写っている。

町役場の案内で、私たちは彼女が記念植樹したシラカバをまず見に行った。80年に道路拡張計画が持ち上がったのだが、伐採することなく海抜660メートルの美坂高原に移植した。

「ほら、あの木です」

ええっ、あれですか…青葉が空に溶け込むほどの大木だ。その大きさに歳月の流れを痛感し、舟木さんと私は言葉を失った。三島町では、周辺にシラカバを何本も植えて、「幸せの小径」という散策道を整備している。

現在のシラカバの木(平野 久美子氏撮影)

高原からの帰り道、テレサが泊まった旅館「ふるさと荘」に立ち寄った。小鳥のさえずりが聞こえるほど静かな川べりの宿である。

テレサが泊まった旅館「ふるさと荘」(平野 久美子氏撮影)

「41年前と何も変わっていません。テレサさんが来てくださった当時のままです」

旅館のスタッフはそう言って2階へ案内してくれた。彼女が1泊した部屋はこぢんまりとした和室で、只見川の清らかな流れと癒しの森が目の前に広がり、大自然の精気が部屋に充満していた。受付の脇のケースには愛らしいまん丸顔のテレサ・テンと町民との記念写真やサインが飾ってあった。40年たっても何一つ変わらないなんて東京では考えられないが、三島町では、あの日がそっと保存されている。テレサ・テンが再訪できたなら、どんなに喜んだことだろうか。

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平野 久美子HIRANO Kumiko経歴・執筆一覧を見る

ノンフィクション作家。出版社勤務を経て文筆活動開始。アジアンティー愛好家。2000年、『淡淡有情』で小学館ノンフィクション大賞受賞。アジア各国から題材を選ぶと共に、台湾の日本統治時代についても関心が高い。著書に『テレサ・テンが見た夢 華人歌星伝説』(筑摩書房)、『トオサンの桜・散りゆく台湾の中の日本』(小学館)、『水の奇跡を呼んだ男』(産経新聞出版、農業農村工学会著作賞)、『牡丹社事件・マブイの行方』(集広舎)など。
website: http://www.hilanokumiko.jp/

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