台湾で根を下ろした日本人シリーズ:風景の一部となる——写真家・熊谷俊之

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馬場 克樹 【Profile】

熊谷 俊之 KUMAGAI Toshiyuki

1971年栃木県生まれ。台湾在住の日本人写真家として、内外から熊谷を推す声は多い。政治家から芸能人まで数多くの人物をカメラに収めてきた。また、自転車で「環島」と呼ばれる台湾一周の旅や、日月潭を泳いで横断、台湾の百名山に登り、伝統行事にも潜入する行動派、体験派の一面を持つ変幻自在の写真家だ。2017年2月には、これまでの業績が評価され、台湾交通部観光局から「台湾観光貢献奨」を受賞した。

歴代の総統を撮り、知名度が急上昇

台湾に戻ると、広告代理店や出版社からの仕事で、雑誌の表紙やコラムを飾る台湾の著名芸能人や日系企業の社長の写真を担当した。ある時、日本の雑誌社の依頼で李登輝元総統を撮影するチャンスを得た。これをきっかけに熊谷の写真家としての知名度は一気に高まり、その後、陳水扁、馬英九、そして現職の蔡英文と歴代の総統を撮影する機会にも恵まれた。

しかし、熊谷の写真は人物だけにとどまらなかった。2007年に初めて台湾の最高峰である玉山(日本統治時代の呼称は「新高山」、3952メートル)に登頂したことをきっかけに、今度は台湾の自然にも引かれていく。緯度が低い台湾では、海抜3500メートルの地点でも樹林が広がり、それが新鮮だった。その後も玉山には15回、台湾第二の高峰、雪山(日本統治時代の呼称は「次高山」、3886メートル)にも3回、これまでに台湾百名山のうち21峰に登頂している。また、台湾の美しい風景を求めて、山奥の先住民族の集落や離島にも足を運んだ。熊谷は台湾の三大絶景として「南投水漾森林」「屏東好茶舊社」「馬祖大坵島」を挙げた。

提供:熊谷 俊之

「水漾森林は1999年の台湾中部大地震の際に、石鼓盤渓の水がせき止められてできた湖の中に杉林が残ってできた風景です。日月潭には1日の中に四季があると言われていますが、水漾森林は1時間の中に四季があります。それくらい表情が目まぐるしく変わるのが魅力です」

刻一刻と変化する景色を1秒たりとも逃さない。そんな気持ちがこの言葉にも表れている。しかし、水漾の杉林は大地震から20年近くがたち、水没した幹や根がいつまで持ちこたえられるのか分からない状態であるとも聞く。消えゆく景色だからこそ、写真家はなお、いとしく感じるのかもしれない。

南投水漾森林(提供:熊谷 俊之)

また、屏東好茶舊社は、台湾百名山で一番南に位置する北大武山を聖なる山とあがめる先住民族のルカイ族が、「石板屋」と呼ばれる伝統的な石造りの家屋で昔ながらの生活を営んでいる秘境だ。そして、離島の馬祖からさらに離れた大坵島は、夏のごく限られた期間に藻や夜光虫が青く光る珍現象「藍眼涙(青い涙)」で知られる。熊谷が挙げた場所は、いずれも陸の孤島か真の孤島で簡単に行ける場所ではない。しかし、興味を持った場所には必ず自分の足で赴くのが熊谷流なのである(ただし、大坵島は対岸の馬祖島北竿の町や沖を航行する船舶の明かりによる光害で、藍眼涙の撮影には必ずしも最適な環境ではないと熊谷は言う)。

屏東好茶舊社(提供:熊谷 俊之)

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シンガーソングライター、俳優、ライター。仙台市生まれ。2007年からの3年半、財団法人交流協会(現・公益財団法人日本台湾交流協会)台北事務所に文化室長として赴任。日本に帰国後、東日本大震災の復興支援のボランティアに1年半従事。2012年より台湾に移住。日台混成バンド「八得力(Battery)」を結成し、台湾各地での演奏活動の傍ら、映画、ゲーム、CM等にも楽曲を提供。著書に『約定之地—24位在台灣扎根的日本人(約束の地—24名の台湾で根を下ろした日本人)』(2021年、時報出版)。俳優として台湾の映画、TVドラマ、舞台、CMにも多数出演しているほか、2022年7月より台湾国際放送のラジオ番組『とっても台湾』のパーソナリティにも就任。

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