「台湾人元日本兵」を弔う公園を訪ねる

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片倉 佳史 【Profile】

人民解放軍兵士になった台湾人

中には、より数奇な運命をたどる兵士もいた。それは朝鮮戦争の際、「中国人民志願軍」の兵士として最前線に送られた人々である。戦死率の高い激戦だったため、多数の死傷者が出ている。

この時、生還した兵士たちは文化大革命の際、日本軍人や国府軍兵士であったこと、台湾出身であることを理由に、さまざまな迫害を受けた。これらは全て「罪状」であり、人民解放軍への志願によってのみ、懲罰から免れることができたと伝えられる。退役しても、一般人として生き抜くことは非常に難しく、人民解放軍兵士となる以外に生きるすべがなかった。

正確な数字はないものの、許氏によれば、中国に残留した台湾人兵士は700人ほどいたという。その後、両岸関係の緊張緩和による交流が始まり、親族訪問が可能になったが、あくまでも中華民国の特権階級に居座った外省人が画策したものだった。つまり、中国出身の外省人兵士が帰郷するためのものであり、中国に残留した台湾人兵士が台湾に戻ることは、ほとんど不可能だった。

展示館の外壁には日本軍、国府軍、人民解放軍の三つの軍服を着た兵士の姿が描かれている(撮影:片倉 佳史)

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片倉 佳史KATAKURA Yoshifumi経歴・執筆一覧を見る

台湾在住作家、武蔵野大学客員教授。1969年神奈川県生まれ。早稲田大学教育学部在学中に初めて台湾を旅行する。大学卒業後は福武書店(現ベネッセ)に就職。1997年より本格的に台湾で生活。以来、台湾の文化や日本との関わりについての執筆や写真撮影を続けている。分野は、地理、歴史、言語、交通、温泉、トレンドなど多岐にわたるが、特に日本時代の遺構や鉄道への造詣が深い。主な著書に、『古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年 1895―1945』、『台湾に生きている「日本」』(祥伝社)、『台湾に残る日本鉄道遺産―今も息づく日本統治時代の遺構』(交通新聞社)、『台北・歴史建築探訪~日本が遺した建築遺産を歩く』(ウェッジ)、『台湾旅人地図帳』(ウェッジ)、『台湾のトリセツ~地図で読み解く初耳秘話』(昭文社)等。オフィシャルサイト:台湾特捜百貨店~片倉佳史の台湾体験

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