台湾で神社が多数造営されたわけ

文化

金子 展也 【Profile】

神社規定の整備

1934年9月に台湾総督府文教局から「神社建設要項ニ関スル件」として、初めて「神社」に関する規定が提示された。神社には「神社」と規定される要件があった。

(1)必要条件として、境内入口に鳥居があり、社殿(本殿、拝殿)まで参道が通じ、参道のそばには手水(ちょうず)舎社務所などがある。

(2)敷地4~5000坪(1坪3.3平方メートル)以上、本殿 5坪程度、拝殿 20坪程度とされた。

(3)「神社」であるためには、崇敬者または氏子は50人以上とし、その中の総代が神社に関する維持のための一切の事務を行う義務を有する。

つまり、この要件に当てはまるのが、台湾総督府文教局社会課が発行した『台湾に於ける神社及宗教』(43年3月発行)であり、また、田村晴胤(たむら・はるたね)による『神の国日本』(45年2月発行)に掲載されている68社の神社であった。これらは、祈年祭・新嘗祭に天皇や国から奉幣(神饌=しんせん=以外で神に奉献すること)や幣帛(へいはく)料(金銭での奉献)を受ける官幣社(2社)や国弊社(3社)を筆頭に、県社(8社)、郷社(17社)、無格社(36社)、そして、台湾護国神社と建功神社を含んだ。なお、終戦間近に3社が無格社から郷社へ列格され、最終的に郷社は20社、無格社は33社となった。

往時の台湾神社(提供:水町史郎)

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金子 展也KANEKO Nobuya経歴・執筆一覧を見る

1950年、北海道生まれ。小樽商科大学商学部卒業。卒業後、日立ハイテクノロジーズで勤務、2001年より06年まで、台湾に駐在する。専門は日本統治時代の台湾に造営された神社の調査・研究。現在、一般財団法人台湾協会評議員。2012年から16年まで神奈川大学非文字資料研究センターで研究協力者として海外に造営された神社の調査研究を行う。著書に『台湾旧神社故地への旅案内―台湾を護った神々』(神社新報社、2015年)、『台湾に渡った日本の神々』(潮書房光人新社、2018年)

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