日本と台湾と月刊『な~るほど・ザ・台湾』の休刊

文化

梶山 憲一 【Profile】

幅広く台湾を紹介した『なる台』

私が初めて台湾へ旅行したのは1990年3月のことだった。その前に在日台湾人や台湾からの留学生らと知り合う機会があり、彼らの育った背景を見てみたかった。

そして、現代日本が失ったかもしれない「思いやり」や「活気」に触れ、また複雑な文化の重なりに気付いて、がぜん、台湾への興味が高まったのだった。

帰国すると、自宅の近くに「日華資料センター」という名の、台湾の政府駐日機関が運営する図書館があることを知った。

「日華資料センター(のちに台湾資料センター/現在はすでに閉館)」で見つけたのが『なる台』だった。それ以降、旅行先の台湾でも機会があれば手に取る雑誌となり、90年代私は一読者として過ごすことになった。

この時代、台湾は李登輝総統の下、民主化とともに「台湾化」と「国際化」を進めているように見えた。

旅行者としての私は、例えば、立ち上げて間もない「台湾ペンクラブ」などの会合に野次馬として顔を出していた。台湾には「中華民国ペンクラブ」がある他に「台湾ペンクラブ」が結成されたのだ。私が見た「台湾化」の現れといえる。

観光地を巡らない旅行者の私が、幅広く台湾を観ようとしたとき台湾の書籍や新聞とともに、参考になったのも『なる台』だった。

90年代に入ってから、日本からの旅行者の関心は多様化していく。渡航者数も90年代の初めは年間60万人ほどだったが、終わり頃には90万人ほどに増えていた。そうして、「男性天国」といった台湾のイメージは次第に相対的に薄れ、「グルメ天国」などとも言われるようになっていた。『なる台』の記事も、台湾でのこうした変化を反映しようとしているようだった。

90年代の『な~るほど・ザ・台湾』(撮影:梶山 憲一)

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梶山 憲一KAJIYAMA Kenichi経歴・執筆一覧を見る

1953年大阪生まれ。78年早稲田大学社会科学部卒業。卒業後は編集者として、主に歴史や美術に関する書籍の企画・編集に携わる(『NHK故宮博物院』全15巻など)。89年より台湾について研究を重ね、台湾に関する記事を執筆。これらの記事で日本ライターズネットワーク大賞を受賞。92年、「台湾文化研究会」を創設、機関誌『ふぉるもさ』を創刊。2000年よりまどか出版編集長。03から06年まで月刊『な~るほど・ザ・台湾』編集長。06年秋から同誌顧問。『わがまま歩き台湾』(実業の日本社)、『SAPIO別冊:まるごと一冊台湾を行く』(小学館)など。英語からの翻訳に、メアリー・M.ロジャース著『目で見る世界の国々64:台湾』(国土社/共訳)、中国語からの翻訳に、阮美姝著『台湾二二八の真実』(まどか出版/共訳)などがある。

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