「人が知り合い・人を思う」、 中国客が切り拓く新たな日中関係

文化

2003年の「観光立国」宣言を機に、多くの中国の若者たちが日本を訪れるようになった。彼らはお決まりの観光コースではなく、よりディープなニッポンに関心を持ち始めた。日中交流の最前線に身を置いてきた毛丹青さんは、当初の「知る」から、「深く知る」過程を経て、いまや共に手を携えて「同じ夢を作り上げよう」というステップに入りつつある、と指摘する。

2003年の「観光立国」政策の意外な効果

日中間で観光客が年々増えているが、歴史的に見なければいけない。

大きな誤解があるのは1972年の田中角栄総理による日中国交回復に焦点を当てようとしている点である。その重要性は否定できないけれど、スパンを近代に引っ張って来た場合に2003年、小泉政権が観光立国をうち出したその年を境にして中国からの観光客が増え始めている。ここにもっと注目すべきである。

当時の小泉政権は日本のために政策を選んだだけだったが、思いがけず中国からの人の往来がこれだけ増えた、当時誰も想像しなかったそのことを考えなければいけない。

年間の訪問者数が倍増してくる段階ではガイドブックが頼りだったが、質的な大きな変化としてリピーターが圧倒的に増えてきて、次第にリピーターの方が多くなっている。それに伴い、最初の段階では日本を理解するために「浅い描写」で十分だったのが、10年後には「深読み」が必要な段階に入って来た。そして中国人が日本を見ていろいろなストーリーを語り始めることが増えた。日本国内の地方への旅も増え、昔のような「日本は富士山と桜」のイメージではなく、その時代のものを求めるのが今の勢いだと思う。

その結果、例えば京都で観光客の一番人気を調べて見たら京都御所だった。タダで誰でも入れるし、非常に広々とした空間ということでそこがいいと。

御所の良さが分かってきた大きな理由は京都の他の主要観光名所をすでに知り尽くしたからである。

かつてない人的往来の“進化”

日本人との心の触れ合い、交流は非常に重要である。1972年の国交回復はもちろん良かったけれどまだ政治家のパワーゲームだった。民の顔は見えてきていない。でも例えば過去10年間、日中関係は必ずしも良好ではなかったが、人の往来がどんどん増えて来ている。「あの国が嫌だ」と思ったら行かなければそれで済むのに逆の現象が起きてしまっている。

どういうことかと言うと、政治情勢に左右されない大きな観光市場がある。「人が人を呼び、人は人と知り合い、人は人を思う」、こんな素晴らしい時代が現在、われわれの目の前に現れてきているのではないか。

かつて日中の関係でここまで人と人の往来が進化した時代はない。宋の時代、遣隋使の時代、(往来したのはエリートだけで)民なんか関係なかった。今はそうした国家像へのアンチテーゼが起きている。

現場の至るところでそうしたことが起きているというのが私の実感である。

そもそも2003年の観光立国は日中関係を良くするためのものではなく単なる経済対策の国策だった。しかし中国はこの間、最も激しい変化を起こしていた。中国から(日本の)政策に応じたのは国ではなく民なのである。

時期を重ねて考えると、中国はちょうどこの時期に国内総生産(GDP)が伸びて経済力をつけ、富裕層も現れた。偶然にも(両者が)重なり、03年〜13年のこの経済発展を見て行くと、爆買いあり、留学ブームあり。中国が経済力をつけて来たからこそ、民との交流を一層進化させることができた。

日本の実像に触れていた典型例―ノーベル賞作家・莫言氏

ノーベル文学賞を受賞した莫言先生はそうした典型的なケースと考えられる。

もともと彼の日本へのイメージは100パーセント近く文学作品からだった。

20年ほど前に初来日したが、解放軍を退役して最初に選んだ個人海外旅行の行く先が日本だった。講演の中でその理由について、「川端康成の小説『雪国』の中で秋田犬がベロ(舌)を出して水を舐めるシーンを読んだ時に衝撃を受けた。これも小説にすることができるんだと。」と何回もおっしゃっている。そこから書くインスピレーションを得たという。

彼はその後僕と一緒に10回近く日本に来るわけだが、各地を旅しながら行く度にそういう具体的なものを見た。そのことによって今度は日本像というものが豊かになる。例えば北海道に今から14年ほど前に一緒に旅したバスの中で彼は大変饒舌(じょうぜつ)で、「キタキツネ物語」という映画を見たことがあると言い、狐の習性とかをもう止まらないくらいしゃべっていた。中国の民話では狐はだいたい美女の化身である。

そして目的地に着き、彼がバスから降り立ったその瞬間、一匹の狐が彼に向かって一直線に走って来た。これには同行した皆が感動した。

ノーベル賞受賞の莫言氏と近付いてきたキタキツネ(提供:毛丹青教授)

その後彼は、「日本は今まで大変神秘的なものだったが、狐を見た瞬間、日本はもう神秘的なものではなくなってしまった。普通のものだ」と語り、後に自分のエッセイ集の中でも書いている。

これは結局、実像の日本を見た瞬間、人の考えは実際の映像から、あるいは実際に手に触れるところから、出て来るということである。決して国の関係や政治家の話から出て来るものではない。

莫言先生は2012年にノーベル文学賞を見事に受賞したが、ある長編小説のクライマックスシーンに北海道の体験そのものである大雪の夜を描写している。彼は公の場で「北海道で見た場面をそのまま作品の中に導入した」とはっきり言っている。いまは個人としての旅が意外なところに大きな変化をもたらし、付加価値を見つけることができる、そういう時代ではないか。

同じ夢を創り上げる! 中国製キャラと猫駅長たまちゃんが共演へ

「深読み」をする雑誌「在日本」の次の展開は、中国のイラストレーターによるキャラクターと日本のキャラクターを共演させようと考えている。

過去10数年で中国のアニメ、キャラクター産業は急速に伸びてきた。海賊版ではなく独自に作ったものが広がってきている。そんな中で、一致したのが「アリ・ザ・フォクス(ALI THE FOX)」と言う狐のキャラクターだ。

単に売り買いではなく「一緒にものを作りましょう」「魂に触れる瞬間を共有し同じ物語を作って行きましょう」と。「日本を知る」から、「深く知る」プロセスを経て、今度は日本人と一緒に「同じ夢を作り上げよう」というステップに来ている。

「アリ・ザ・フォクス」は、真っ赤な狐、人に癒しをもたらす。もう一つが和歌山電鉄の猫駅長たまちゃん。人に癒しを与える。残念ながら亡くなって神社にまつられる大明神になったが、アリとたまちゃんを共演させる。日中同時発売するが、絵本から始まりゆくゆくは映画になる。

私は、大胆な方法を通じて、中国と日本の若者同士が非政治的、非イデオロギー的な、純粋な生活を一緒に楽しもう、純粋な想像力を豊かにしよう、というところに着眼している。

(談)

バナー写真=アリ・ザ・フォクスと猫駅長たまちゃんの共演画像、提供:毛丹青教授

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