九份、このままではいけない

文化

一青 妙 【Profile】

九份は「産業遺産」としての価値をアピールすべき

どうしたら九份をより魅力的な観光地にできるだろうか。一つは「産業遺産」の価値をアピールすることだ。九份の問題は、産業遺産であるのに、その魅力が全く活用されていないところにある。

最近、私は日本の新潟県にある佐渡金山と島根県の石見銀山をそれぞれ訪問した。佐渡金山はまさに鉱山のテーマパークと言っていいぐらい、広大な敷地の炭鉱跡を地下に入って見て回れるようになっていた。石見銀山は世界遺産に指定されているだけあって、鉱山跡が昔のままの姿をとどめており、江戸時代の武家屋敷や代官所跡、銀山で栄えた豪商の住宅なども並び、中には、古民家を改修した民宿やレストランもある。どちらも、歴史を語れる観光ガイドが常駐し、見応えのある観光地となっていて、九份にとって学ぶべきところは多い。

九份旧坑道(撮影:一青 妙)

重要なのは、九份に住む「人」がアピールすることではないだろうか。現地にいる人々が、自分たちの住む場所に愛着と誇りを持つことで、郷土愛から土地へのアイデンティティーが生まれ、良さが自然と広がっていく。

九份には、昔から住んでいる人たちが大勢いる。ところが、観光をビジネスとする層と、地元住民との間のつながりがいま一つ希薄で、かみ合っていないのではないだろうか。そこには、私たち顔家の責任もある。今も九份の土地の多く部分は顔家が所有しており、関わりはなお深い。

だいぶ前のことだが、九份にロープウエーをかけ、山の麓から老街まで景色を楽しみながら、行きやすくするという案を、政府が持ち掛けてきたこともあった。諸条件がうまく整わず、結局実現されなかった。他企業からの開発案などもあったそうだが、九份の未来について顔家がリーダーシップを発揮したことは、私が知っている限り、なかったように思う。

九份をさらに魅力ある観光地にしたい

悲観的なことばかりでもない。九份にも、志を持った人は少なくない。風景や空気に引かれた多くの芸術家が移り住んでいる。彼らは茶芸館や民宿を経営しながら、今の九份の在り方に疑問を持ち、九份ならではの独特の文化をもっと育てたいと奮闘している。

まとまった人数を収容できるホテルの整備。日本統治時代に発展をとげた台湾の金鉱山遺跡としてのブランディング構築。駐車場問題の解決。歴史を学べる九份博物館の建設。

九份をさらに魅力ある観光地にしていくに当たり、アイデアはどんどん湧き上がってくる。

顔家は九份での金と石炭の採掘が終焉(しゅうえん)を迎えた後、事業の転換がうまく図れず、企業として、表舞台から静かに姿を消した。だが、九份の歴史は、顔家の歴史そのものだ。顔家が九份を何とかしなければ、誰ができるのか。今後、九份のさらなる発展について、顔家がどのような役割を果たせるのか、私も微力ではあるが、顔家の中で声を上げていきたい。

今の九份に危機感を持つ台湾の人たちと協力しながら、人を連れていきたくなる「私の九份」を実現していくように、頑張るつもりだ。

バナー写真=台湾九份(genki / PIXTA)

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一青 妙HITOTO Tae経歴・執筆一覧を見る

女優・歯科医・作家。台湾人の父と、日本人の母との間に生まれる。幼少期を台湾で過ごし11歳から日本で生活。家族や台湾をテーマにエッセイを多数執筆し、著書に『ママ、ごはんまだ?』『私の箱子』『私の台南』『環島〜ぐるっと台湾一周の旅』などがある。台南市親善大使、石川県中能登町観光大使。『ママ、ごはんまだ?』を原作にした同名の日台合作映画が上映され、2019年3月、『私の箱子』を原作にした舞台が台湾で上演、本人も出演した。ブログ「妙的日記」やX(旧ツイッター)からも発信中。

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