「台湾料理」は何料理?

文化

台湾料理と台湾意識

提供:大岡 響子

1920年代以降、台湾料理はそのおいしさに舌鼓を打った日本人たちを通じて、日本本土の婦人雑誌でも紹介されるようになった。広東料理に似たもの(『婦女界』1924年11月号)、中華料理に似たもの、元々中華料理から出たもの(『主婦ノ友』1930年12月号、1924年12月号)と定型的に表現されながらも、中華料理よりも「味は淡泊でずっと日本人向き」だったり、中華料理とは「ちょっと変わった味」があったりすると伝えている。

こうした当時の日本人の台湾料理理解は、直接的な抗日運動はほぼ抑え込まれ、その代わりに台湾人の自治を要求する政治運動が盛んになり始めた20年代に、「台湾意識」が生じたことと、意図しないかたちで符号しているようにも思える。江山楼の後継者である呉渓水は後に、台湾料理は中華料理に由来しながらも、台湾の風土や習慣の影響を受けたことで、台湾料理は台湾料理としか言えない独自の料理を形作ったと述べている。

台湾料理を形作るもの

台湾料理には他にも忘れてはいけない要素がある。客家料理や先住民の人々の料理も台湾料理を構成する一部であるし、植民地期には日本料理の影響も受けた。現在、日本人にもおなじみの台湾グルメである牛肉麺は、第二次世界大戦後国民党とともに流入してきた200万人超の人々とともに台湾へとやってきた中国北方の料理である。

「台湾料理とは何か」を説明することの難しさは、台湾が経験してきた歴史の屈折と複雑な折り重なりからくるものだ。だからこそ、そのおいしさの背後に何があるのかについて、少し思いを巡らすことがあってもいい。

「これは何料理かな」という老台北の問い掛けに、「ふ、福建料理でしょうか」と答えた私はもちろん「台湾料理だよ!」と先生の添削を受けた。デザートのパパイアが運ばれてきた時には、もうおなかも頭もいっぱいいっぱいだった私に、老台北は直々においしい食べ方を伝授してくださった。パパイアの種が入っていたくぼみに、ラベルにX.Oと書かれた琥珀(こはく)色の液体を流し込む。「こんな食べ方知らないでしょう」という蔡先生に「これも台湾料理ですか」と尋ねると、ふふっと笑いながらひと言。「これは蔡式料理だね。」

バナー写真=台湾料理(bonchan / PIXTA)

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