台湾総督府庁舎(現・総統府)の建築秘話

文化

片倉 佳史 【Profile】

総督府を修復した人物

終戦を迎えると、台湾総督府は統治機関としての機能を失った。疲弊し切った総督府に庁舎を修繕する余裕はなかったが、修復は台湾人技師と留用された日本人技師が担うことになった。

この時に重要な役割を演じたのが故・李重耀氏だった。李氏は総督府修繕の他、桃園神社の保存や戦後の衛生機関の整備などで知られる人物である。18歳で台湾総督府財務局営繕課の技師となり、戦時中は台湾総督官邸(現台北賓館)の防空壕(ごう)の設計コンペで入選した経験もある。

庁舎の修復は行政長官・陳儀の命令によるものだった。李氏は日本人技師から受け継いだ建築士としての誇りを胸に、職務に没頭したという。

撮影:片倉 佳史

工事は1947年に始まった。まず、しなければならなかったのは館内のがれきを運び出すことだった。これは牛車で約1万台分に相当し、延べ8万人の工員を要した。当時はインフレの嵐が吹き荒れており、物価が非常に不安定だった。現金は意味をなさないので、李氏は米を確保し、給金としてこれを分配したという。当時の世相を如実に物語るエピソードである。

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台湾在住作家、武蔵野大学客員教授。1969年神奈川県生まれ。早稲田大学教育学部在学中に初めて台湾を旅行する。大学卒業後は福武書店(現ベネッセ)に就職。1997年より本格的に台湾で生活。以来、台湾の文化や日本との関わりについての執筆や写真撮影を続けている。分野は、地理、歴史、言語、交通、温泉、トレンドなど多岐にわたるが、特に日本時代の遺構や鉄道への造詣が深い。主な著書に、『古写真が語る 台湾 日本統治時代の50年 1895―1945』、『台湾に生きている「日本」』(祥伝社)、『台湾に残る日本鉄道遺産―今も息づく日本統治時代の遺構』(交通新聞社)、『台北・歴史建築探訪~日本が遺した建築遺産を歩く』(ウェッジ)、『台湾旅人地図帳』(ウェッジ)、『台湾のトリセツ~地図で読み解く初耳秘話』(昭文社)等。オフィシャルサイト:台湾特捜百貨店~片倉佳史の台湾体験

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