台湾総督府庁舎(現・総統府)の建築秘話

文化

空襲と台湾総督府

完工以来、権力の象徴として君臨したこの建物だが、やはり戦禍だけは免れることができなかった。1944年10月12日から始まった台湾地区への空襲では中央塔が被弾した。そして、翌年5月31日の台北大空襲の際には建物の右翼が被弾した。この時に倒壊したのは、中央塔脇のエレベーターと階段、その間にあった事務室にとどまったが、炎を消すのに3日間を要したと言われている。

この時、館内にいた人々は地下室に避難していたが、全員が生き埋めになるという悲劇も起こった。この空襲で死者は100人を数え、対家屋面積比の83%に当たる箇所が被害を受けたとされている。

日本統治時代に撮影された台湾総督府(『古写真が語る台湾 日本統治時代の50年』より転載)

終戦を迎えると、台湾は蔣介石率いる中華民国国民党政権の統治下に入った。台湾総督府も「台湾省行政長官公署」と改名された。そして、国民党が共産党との内戦に敗れ、国体そのものを台湾に移してくると、この建物は中華民国の総統府として使われることとなった。

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