長崎カステラは、和菓子である

文化

平野 久美子 【Profile】

オランダと台湾が、功労者

この菓子がポルトガルから伝わった当時、砂糖は大変な貴重品だった。主な輸入先は中国だったが、江戸時代になるとオランダ東インド会社から買い付けるようになる。もともと砂糖は、船のバランスを保つ底荷(バラスト)としてオランダ船が積んできたのだが、日本からの銀や銅の輸出量、砂糖の消費量が増えるにつれ、右肩あがりに買い付けが増えた。江戸時代の宝歴9年(1759)年には、買い付け額が現在の貨幣価値で約24億円となり、オランダ商館の出納簿によれば、ある時は日本へ納める輸入品の何と30%が砂糖になったという。のちに、幕府が国産砂糖を奨励したので輸入量は減るが、莫大(ばくだい)な量の砂糖は、台湾の台南を経由して長崎の出島へと運ばれた。つまり、カステラが普及した背景には、砂糖貿易を一手に担ったオランダと貿易中継点の台湾の存在があり、バタビヤ→台南→長崎→小倉→大阪という砂糖ルートが出来上がっていた。高い関税が付加されたにもかかわらず、砂糖の人気は高く、主な消費地は上方と江戸だったが、長崎の消費量もかなりの量に上った。

砂糖の歴史を展示する「出島和蘭商館跡」(撮影:平野 久美子)

その全てが菓子(カステラ、ボーロ、甘納豆、コンペイトーなど)に使われたわけではないけれど、高価な砂糖を惜しげもなく菓子や料理に使うことが、もてはやされ、けちると、「長崎の遠か」とやゆされた。また、羽振りのよい商館員や中国商人たちは、丸山の遊女に砂糖をプレゼント。遊女たちはそれを銀に交換していたという。

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ノンフィクション作家。出版社勤務を経て文筆活動開始。アジアンティー愛好家。2000年、『淡淡有情』で小学館ノンフィクション大賞受賞。アジア各国から題材を選ぶと共に、台湾の日本統治時代についても関心が高い。著書に『テレサ・テンが見た夢 華人歌星伝説』(筑摩書房)、『トオサンの桜・散りゆく台湾の中の日本』(小学館)、『水の奇跡を呼んだ男』(産経新聞出版、農業農村工学会著作賞)、『牡丹社事件・マブイの行方』(集広舎)など。
website: http://www.hilanokumiko.jp/

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