台湾人の肥えた舌に「そば」で挑む
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2015年11月から台湾南部の町・台南で、地元育ちの妻と共に日本そばの店「洞蕎麦」を営んでいる。「洞蕎麦」はありがたいことに開店以来多くの方から支持を得ており、インターネット上でも好意的なレビューをたくさんいただいている。テレビにもよく取り上げてもらい、台南市の名店百選にも2年連続で選ばれた。台湾ではラーメンやうどんは人気を集めているが、そばの人気はそれほどでもなかった。その中で、そばを愛する日本人の一人として、日本の伝統食である「そば」を台湾に根付かせるために続けた努力の経緯をみなさんに紹介したい。
台湾人にそばを味わってもらえるように試行錯誤を重ねる
1年目はバイクがやっと通れるほどの細い路地裏に面した小さな庭と井戸のある古民家に店を構え、土日のみ営業、1日60食限定、事前予約制というスタイルで、台湾彰化県産そば粉7割の手打ちそばを提供していた。半年目から十割そばが作れる機械を導入し、手打ちと十割の2本立てにした。価格はどちらもざるそばで120~200元(1元約3.8円)。
客足は安定していたが、より多くの人に気軽にそばを味わっていただくため、16年12月に大通りに面した建物に移転し、スタッフを数名雇い、数量限定と予約制をやめて、毎日営業するようになった。麺は九割そばをメインにし、幅広い層のニーズに応えるため品目を丼物、カレー、天ぷらや唐揚げなど大幅に増やした。
また不定期でそば打ちイベントを行っており、参加者には2~3人1組になって水回し、練り、のし、畳み、切りという一連の工程を体験してもらう他、自分が打ったそばを食べた後でそば茶やそばアイス、そばクッキーなども味わっていただく。合間ごとにそばの栄養価や年越しそばなどの食習慣、そばの歴史や浮世絵に描かれたそばなどさまざまな豆知識も紹介する。最後は沖縄三線でミニライブ。親子向けの回ではとにかく楽しんでもらうことに、大人向けの回ではだしや返しの作り方や応用法なども含めた知識の伝達に力点を置いている。
来店客には丁寧にそばの説明をする
台湾には和食を出す店は山ほどあるし、ラーメン店も数え切れない。うどんも大人気で、丸亀製麺などにはしょっちゅう行列ができている。ところがそばの専門店となると、台湾全土でも両手で数えられるほどしかない。多くの台湾人がそばと聞いてまず思い浮かべるのは、コンビニエンスストアの冷蔵コーナーに置いてあるものだろう。それほどに馴染みが薄い食べ物をわざわざ専門店まで食べに来てくださるのは大変にありがたい事だ。それだけに、来店された方に「そばっておいしいものだなあ」と思っていただけるよう日々努めている。味の追究はもちろんだが、それと同程度に重視しているのが、初めての方へのメニュー紹介で、お店ではこんな会話を重ねることになる。
「いらっしゃいませ! お好きなお席へどうぞ。「洞蕎麦」へご来店になったことは?」
「いや、初めてです」
「それではご説明させていただきます。そばには3通りの食べ方があります。麺をつゆにつけて食べるざるそば、冷たいつゆのそば、温かいつゆのそばです。つゆの原料は同じですがだしとしょうゆの割合が異なり、温かいつゆはそのまま飲んでいただけます。また月見そばには生卵が一つ入っており、その他のそばもオプションで黄身を追加できます。もし生卵が苦手でしたら味付け卵もご用意しております」
そばを運んだときにも説明を欠かさない。ざるそばだったら「お好みでこちらのわさび、ネギ、大根おろしをつゆに入れ、器を持って、中のつゆに麺をつけながらお召し上がりください。時間が経つと麺がくっついたり、食感が悪くなったりしますので、お早めにどうぞ」といったように。お客さんには健康志向の方が多いので、食後のそば湯も身体にいいと伝えれば大体の人が飲んでくれる。
また店内の壁いっぱいにそばつゆ、そば湯、そばの栄養価、年越しそば、江戸時代の屋台などの紹介文、そばの製造工程や彰化県のそば畑の写真、江戸時代の浮世絵などを掲載したり、展示コーナーにそば打ち道具一式と雑誌や書籍を並べたりしているので、店内を一回りすればかなりの知識が得られるようになっている。
台湾でそばがラーメンほど普及しないわけ
実を言えば「そばの食感やかつおだしのつゆは、台湾人の好みにあまり合わないのではないか」という疑問が、ぼくが独学でそばの研究や試作を始めてから、ずっと心につきまとっていた。店を構える前の1年間、平均1週間に1度の頻度で、学校や民宿、レストラン、友人宅、果ては雑貨店や衣料品店など、さまざまな場所にそば打ち道具一式を持って行き、前述のそば打ちイベントを開いてきた。みんなそばを打っている間は和気あいあいと盛り上がっているのだが、いざ食べる段になると、期待するほどの反応が見られないのだ。それで真剣に理由を考えて、台湾にそばの専門店が極めて少ないのも納得がいくようになった。
第1に、台湾の人は季節を問わず冷えた料理をあまり食べない。逆に鍋物などは真夏でもしょっちゅう食される。また生卵やネギや大根おろしが食べられない人も非常に多い。
麺に関しては、もちもちとした弾力のある歯応えが好まれる傾向にある。「很Q彈(弾力がある)」というのが「おいしい麺」の代名詞になってしまっているので、歯を当てればポロリと切れるそばを、たとえおいしいと感じてもうまく形容できる言葉が少ない。
また台湾では塩辛いものが敬遠される。以前台北のある和風居酒屋に行った時、日本で修行したという店主から「店で魚の一夜干しを作るのに使う塩の量は日本の6分の1です」という話を聞いたことがある。その上ぼくの住んでいる台南では、台湾でもとりわけ甘い味付けが好まれることで知られている。江戸風のそばつゆはなかなか受け入れられないだろう。
おまけに台南は美食の都と言われ、飲食業の激戦地である。台北で3年もつクオリティの店が、もし台南だったら1年ももたないとも言われている。ついでに言えば、台湾人は日本人と比べて外でお酒を飲む人が少ないので、食事で利益を上げるしかない(実際、「洞蕎麦」で酒類を注文するお客さんは100人に1人いるかいないかだ)。
こうした不利な条件を承知の上で、開店に踏み切った。もとより大きく儲けようという意図は無かったが、とにかく台湾の人達にそばを好きになってもらえることを目指して、試行錯誤を繰り返してきた。
例えば、そばつゆはかつおと昆布からとっただしにしょうゆ、みりん、砂糖を混ぜて加熱した返しを合わせて作るが、「洞蕎麦」では返しに対するだしの割合を一般的な江戸風のそれよりもかなり高くした。かつおの香りは広く受け入れられており、3人に2人くらいは400ccあるかけそばのつゆをほぼ飲み干してくれる。ただし、必ずアツアツの状態で出さなければならない。少しでもぬるいとすぐにクレームを頂戴することになる。
また、こちらにはベジタリアンが非常に多いので、シイタケと昆布をベースにしたつゆを用意して、ベジタリアンの方々にも安心して召し上がってもらえるようにした。
週替わりメニューも用意し、冷たいそばにさまざまな具材をのせて提供している。マンゴーとエビ、スモークサーモンのサラダ、パッションフルーツとパパイア、リンゴのシナモン煮、アボカドのディップとベーコンなどなど。端午の節句にはししゃもを並べた鯉のぼりそばを出し、その他よもぎそば、抹茶そば、胡麻そば、ドラゴンフルーツそばなどの変わりそばも出してきた。
台湾でそばの新境地を切り開きたい
こうした試みはややもすればそば通、そば職人の方々からお叱りを受けるかもしれない。しかし日本のそばだって鹿児島のジネンジョをつなぎにしたそばや新潟のふのりをつなぎにしたへぎそば、山形の鶏でだしを取ったそばなど、実は非常に広い幅を持っている。近年は肉がたっぷり盛られたそばをラー油入りのつゆで食べるスタイルも人気だ。ラーメンが中華料理の枠を抜け出して独自の発展を遂げてきたように、台湾に渡ったそばも日本人の意表を突くような発展の可能性があるはずだ。
「洞蕎麦」のために、これまでに力を貸してくださった人は数え切れないが、開店当初は特に台湾で「Mr. 拉麺」「Mr. 天丼屋」などの飲食店を展開する野崎孝男氏、「神戸厨房」オーナーの福田雄介氏など、地元に住む先輩方に大変お世話になった。勤勉なスタッフたちにも頭が下がる。そして何よりも、ぼくの夢をずっと支えてくれ、頭も身体も年中フル稼働で働いてくれている妻に、心から感謝したい。
バナー写真提供:大洞 敦史